ブログ友達がベートーベンの自筆楽譜のことを書いていたので、いろいろと思いだした。
その友達だが、曲のアナリーゼも素晴らしく、とてもこの場で無料で載せるのはもったいない気がしてやまないのだが・・・(*^。^*)
こんなアナリーゼの授業だったら、ぜったいに面白いだろうなぁ~って感じるブログである。
自分も、もともと、楽譜を集めるのが趣味であった。
いやいや、それ以前に、気に入った本(文学類)は必ず二冊購入していた。
一冊は単純に読む本、もう一冊はコレクション用。
ただし! 初版に限るが・・。
はたから見ると、なんという贅沢!(*^。^*)
そんな集めた本も、背に腹は代えられないので、売ってしまったものもあるけどね!
楽譜も、ピアノを始めてから、興味を持った曲はすべて購入し、レコードを聴きながら楽譜を見るのが好きだった。
最近はCDで聴いてるが、好きな楽譜は見なくなってしまった。
これには二つの理由がある。
一つは、歳を重ね、いわゆる老眼になり、いちいちメガネをかけるのが面倒になったからだ(^_^;)
二つ目は、好きな曲を繰り返して聴いているので、見ずとも頭に楽譜が浮かんでくるからである。
ただ、相変わらず楽譜を集めるのは好きである。
特に自筆楽譜は、コレクションや研究(別に大したことはしてない)用として数点所有している。
それらを見ていると、市販されてる楽譜類では、絶対に気づかないいろいろなことに気づかされるから面白いのである。
あの悪魔的天才児であるリストのソナタロ短調。
彼のは、何度も何度も書き直したであろう形跡がページをめくるときにつく痕跡が、黒々と残っているのに対して、
モーツァルトは、ほぼ、直した形跡がないのにビックリするはずだ。(シンプルでキレイ)
リストも人だったんだ・・・と安心したことがあった。
でも・・・モーツァルトはやはり“普通の人”ではないのが自筆楽譜によってよくわかった。
面白いのは、譜面面で性格まで出ているのがわかることだ。
バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、リスト・・・etc
もともと自分がピアノを始めるきっかけになったショパンの楽譜はどうだろう・・・。
最近手に入れたショパンEtude OP25の自筆楽譜では、繊細な文字やきれいな音符を見て、
彼の音楽性や性格が、ただ単にピアノ曲を聴く以上に非常によくわかる。
そういう素性を知っていると知らないとでは、ピアノを弾くときの気持ちに違いが生じる。
ピアノという楽器(厳密にはほぼすべての楽器)は、指先で弾くのだが、実はそれだけではない。
弾くまで(弾けるまで)の過程は、単純なメカニズムではないのだ。
全身・・肩から腕、肘、手首、指・・・とあらやる部位を駆使し、脳と目と筋肉で曲を感じとって、耳を研ぎ澄ませ、指先に全神経を集中して、やっと・・やっと一つの音が出せるのだ。
それを感じないで、ただ鍵盤を叩くのと、それを感じながら、鍵盤を叩くのとでは、あきらかに音が違うし、前者ではそれを“音楽”と呼ぶことは許されない。(自分の中で・・・)
誰が弾いても同じ音・・・と思っている人も決して少なくないが、それもありえない。
それがあるからこそ、音楽をやることは楽しいのである。
いい音を出すまでは、自分もピアノをやめられないし、諦めるわけにはいかないのである。
その友達だが、曲のアナリーゼも素晴らしく、とてもこの場で無料で載せるのはもったいない気がしてやまないのだが・・・(*^。^*)
こんなアナリーゼの授業だったら、ぜったいに面白いだろうなぁ~って感じるブログである。
自分も、もともと、楽譜を集めるのが趣味であった。
いやいや、それ以前に、気に入った本(文学類)は必ず二冊購入していた。
一冊は単純に読む本、もう一冊はコレクション用。
ただし! 初版に限るが・・。
はたから見ると、なんという贅沢!(*^。^*)
そんな集めた本も、背に腹は代えられないので、売ってしまったものもあるけどね!
楽譜も、ピアノを始めてから、興味を持った曲はすべて購入し、レコードを聴きながら楽譜を見るのが好きだった。
最近はCDで聴いてるが、好きな楽譜は見なくなってしまった。
これには二つの理由がある。
一つは、歳を重ね、いわゆる老眼になり、いちいちメガネをかけるのが面倒になったからだ(^_^;)
二つ目は、好きな曲を繰り返して聴いているので、見ずとも頭に楽譜が浮かんでくるからである。
ただ、相変わらず楽譜を集めるのは好きである。
特に自筆楽譜は、コレクションや研究(別に大したことはしてない)用として数点所有している。
それらを見ていると、市販されてる楽譜類では、絶対に気づかないいろいろなことに気づかされるから面白いのである。
あの悪魔的天才児であるリストのソナタロ短調。
彼のは、何度も何度も書き直したであろう形跡がページをめくるときにつく痕跡が、黒々と残っているのに対して、
モーツァルトは、ほぼ、直した形跡がないのにビックリするはずだ。(シンプルでキレイ)
リストも人だったんだ・・・と安心したことがあった。
でも・・・モーツァルトはやはり“普通の人”ではないのが自筆楽譜によってよくわかった。
面白いのは、譜面面で性格まで出ているのがわかることだ。
バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、リスト・・・etc
もともと自分がピアノを始めるきっかけになったショパンの楽譜はどうだろう・・・。
最近手に入れたショパンEtude OP25の自筆楽譜では、繊細な文字やきれいな音符を見て、
彼の音楽性や性格が、ただ単にピアノ曲を聴く以上に非常によくわかる。
そういう素性を知っていると知らないとでは、ピアノを弾くときの気持ちに違いが生じる。
ピアノという楽器(厳密にはほぼすべての楽器)は、指先で弾くのだが、実はそれだけではない。
弾くまで(弾けるまで)の過程は、単純なメカニズムではないのだ。
全身・・肩から腕、肘、手首、指・・・とあらやる部位を駆使し、脳と目と筋肉で曲を感じとって、耳を研ぎ澄ませ、指先に全神経を集中して、やっと・・やっと一つの音が出せるのだ。
それを感じないで、ただ鍵盤を叩くのと、それを感じながら、鍵盤を叩くのとでは、あきらかに音が違うし、前者ではそれを“音楽”と呼ぶことは許されない。(自分の中で・・・)
誰が弾いても同じ音・・・と思っている人も決して少なくないが、それもありえない。
それがあるからこそ、音楽をやることは楽しいのである。
いい音を出すまでは、自分もピアノをやめられないし、諦めるわけにはいかないのである。