オヤジのおもちゃ箱

オヤジのおもちゃ箱

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

忍阪(おっさか)の里山は今回の奈良旅行で

一番楽しみにしていたエリアです。😀

4年前、大阪赴任が終わる直前に

土砂降りの中、無理をして訪れました。

でも大正解! 直ぐに関東へ戻る事になり

奈良は簡単に訪れる場所ではなくなりました。

今回は幸運にも傘の出番は無かった。

 

 

4年ぶりの段ノ塚古墳(舒明天皇陵)。

風格のある佇まいは石垣の段築の効果か?

特にこのアングル(↑)は気に入ってます。

 

 

段ノ塚古墳が鎮座する忍阪は

宇陀を経由して伊勢方面へ抜ける

忍阪街道に沿った丘陵地にあたります。

神武天皇が伊勢方面からこの地へ進軍し

土蜘蛛八十建(やそたける)を征伐した

「忍坂大室屋」の伝承地。

三輪山や長谷寺も近い交通の要衝です。🤔

 

 

天智天皇や天武天皇の父親であり

斉明天皇の夫である舒明が

どうしてこの地に埋葬されたのか

なんだかミステリアスですが

墳丘は日本初の八角墳で、天智や天武

そして斉明天皇の陵墓も八角墳。

更に文武天皇も同型の墳丘なのです。

お墓の形が変わると王朝も変わるのか?

 

 

晩秋のやや冷たい空気の中

小鳥のさえずりが響き渡ります。

本当に静か・・・・・・・・🐦

拝所も小奇麗に整備されていました。

 

 

墳丘の外周には踏み跡があり

墳丘の周囲をひと回り出来ます。

八角形の墳丘部分は2段築成で

初段の対辺間距離は約42mあります。

八角墳の中では最大級ではないでしょうか?

 

 

外周部分から墳丘を垣間見る事が出来ます。

とても整備が行き届いてますねぇ~

石室を保護する為でしょうか

適度に伐採も行っているようです。😲

 

 

段ノ塚古墳の外周を一回りした後

あっ!見付けた! これこれ!😀

足元のせせらぎ沿いに置かれている

鏡王女の万葉歌碑。

 

秋山の  木の下隠り  ゆく水の

我こそ益さめ  思おすよりは

 

 

歌碑をやり過ごすと視界が急に開け

そこには「万葉の谷」が広がる。

残念ながら、鏡王女墓手前のビニール畑が

景観をスポイルしている部分は有るけれど

まるで王女の言霊が

周囲に“たなびいて”いるような・・・・😲

 

注)「万葉の谷」はオヤジの造語です。

 

 

ビニール畑の反対側から撮影した図。

オヤジの撮影技術では「万葉の谷」の

素晴らしい雰囲気を表現出来る筈もない。

そこで説明板に掲載されていた

入江泰吉さんの作品を掲載します。↓

(前々回のブログで、入江さんが撮影した

東大寺戒壇堂の広目天を紹介しています。)

 

 

忍阪は奈良のエッセンスかもしれない。

 

 

「万葉の谷」の中央に佇む鏡王女忍阪墓。

王女は天智天皇から藤原鎌足に下賜された

という説がありますが、天皇の女性を

臣下が譲り受けるという畏れ多い事って

あるのかなぁ?

王女は皇族ではないので

こちらの円墳の管理は談山神社です。

 

 

舒明天皇と鏡王女の他には

大伴皇女の陵墓があります。

鏡王女の墓から更に登った場所です。

思いの外急坂で、前回の土砂降りの中

「よくぞ登ったものよ!」と我ながら感心しました。

 

 

大伴皇女は推古天皇の兄弟で

聖徳太子の叔母にあたります。

皇族故、古墳を管理するのは宮内庁。🤔

 

 

こちらも周囲のひと回りが可能です。

整備が行き届いてますねぇ~

 

舒明天皇、鏡王女そして大伴皇女が眠る

「万葉の谷」は本当に素晴らしく

「日本人の故郷」という言葉が相応しい。

 

最後に鏡王女の歌碑の揮毫者である

万葉学者の犬養孝さんが絶賛された

「万葉の谷」の銘文を紹介します。

 

「将来はわからないにしても

せめてこの、やまぶところの静けさだけでも

この国の未来にかけて、残してほしいものである。

そこには千三百年の声々が

心と言葉の美しさに昇華して

まざまざと生きづいている。」

 

 

去り難い万葉の心象風景。

後ろ髪を引かれる思いですが

次の目的地、室生寺に向かわなければ・・・・

 

前回訪れた時の記事です。↓