昨日は久しぶりに平日オフを取り、一切仕事をしない時間を過ごしました。

久しぶりに実家と母が入所している施設に行くためのお休み。

今年に入ってすぐに母が入院し、両親にとってはこんなに離れているのは何十年ぶりなんじゃないかというぐらいの離れ離れの生活が続いています。

後からわかったことだけど、膝の痛みで動けないと思っていた母の不調の原因は実は小脳梗塞だった。父を1人に出来ないという母の思いの強さが余計に母の体を壊す結果になってしまった、、、😭
そして父のために近くの病院(その時は膝の不調だと思ってるから)に急遽入院させたが、その間になんと、脳幹梗塞を発症していたというのだ、、入院していたのに。

たった数日での変わり様にここじゃダメだと姉妹で相談し、病院にも話し、ようやく転院し、小脳梗塞や脳幹梗塞、それらの治療とリハビリを受けさせてもらえるようになった。

なんで正月に行った時にもっと母と話さなかったんだろう。
なんでもっと連絡しなかったんだろう。
なんであの病院を選んでしまったんだろう。

後悔の連続。


私はずっと母が嫌いだと思ってた。
気が強くて、負けず嫌いで、他にもあるけど書くのはやめよう。
でも、酒癖が悪い繊細な職人の父と朝から晩まで一瞬に働き、仕事、家事、子育てをしてきた人、この強さがなくてはきっと生きてはいけなかっただろう。
男としてこんなに面倒な人なのに、姉妹が誰も父を嫌いにならなかったのは、母が悪者に見えていたからなのか、、、。でも改めて考えると、愚痴はあれど、本格的な父の悪口は聞いたことないかもしれないなって
思う。
この夫婦の歴史は子には理解出来ないドラマがありすぎて簡単な文書では終わらせられないし、長い長いブログになってしまうから、今日は割愛しよう。
(なんじゃそりゃ。笑。書かんなら言うなってね)


嫌なこともいっぱいあった幼少だったけど、なんだかんだ幸せだったのは、生きてこれたのは、母が居たからなんだろうと、しみじみ思う。
私は母のようには生きれないし、母のようには絶対に出来ない。
好きなことももちろんしてきたとは思うけど、文句言いながらも、ずっとずっと父のために生きてる。

女は強い。
母は強い。
そういう生き物なんだよな。

そんな母は、一生懸命リハビリし、一生懸命に父を思い、頑張ってる。
その姿を見るたびに泣ける。
初老の年齢のくせに一瞬で子になってしまう。

まとまりがない文章、オチもないブログになってしまったけど、子にとってどんな親でもかけがえのないもの。嫌な幼少の思い出はあっても親からの愛情はいつも感じられていたから生きてこれてた。
愛情って大事。孤独は毒だ。

孤独にさせない、愛情を与える、そんな生き方を、残りの人生でもしていきたいな。
もしかしたら自分自身にもね。

余談だが、姉妹達が母にお見舞いに行くと必ず誰が来たかわかる?と名前を言わせるのだが、何故か私はいつも居ると言うらしい。一緒にいると。
思いが飛んでいってるのか、生霊か。どちらにしても嬉しいことなんだけどね。一緒にいるのは。



最初に書こうと思ってたことから、だいぶ脱線して母の話になりました。笑