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◆其の壱
寒中、
利家を水風呂へ入れる
天正の末年頃は
豊臣秀吉が一応天下を
統一してちょっと
少康状態を得ていた時で
叔父の前田利家は
益々秀吉に重用され、
徳川家康に次ぐ威望を
持っていた。
叔父の利家は慶次郎が
常日頃世を軽んじ人を
小馬鹿にする
悪い癖のあることを知り、
口やかましく之を
誡めていたのであるが、
慶次郎にしてみると
之が馬鹿馬鹿しくて
面白くない、
どうしても我慢が
できない。
何とかして四角四面の
顔をしてる叔父の鼻を
あかしてやりたい、
色々と思案を
こらしたあげく、
ある時利家の御前に出て、
「さて私もこのたびは
叔父上にご心配の
かけ通し申し訳も
ありませんが、
これからは心を入れ替え、
まじめな人間に
なりたいと思います。
ついては粗茶一服
差し上げたく
何日の何の刻、
私宅にお出でを
お待ち申し上げます」
と申し入れた。
これを聞いて
利家も大に喜び
「さては慶次奴も
心を入れ替えたか、
もとより文武の道に優れ、
人間も馬鹿でない
彼のこと、
もう少し真面目の
人間にさえなって
くれたらこの上ない
頼もしい奴である」
と当日は約束の刻限に
いそいそとして
慶次郎の家にいった。
慶次郎はうやうやしく
叔父を出迎え
上段の間に招じ入れた。
元来慶次郎は文学を好み、
和漢に通じ源氏物語や、
伊勢物語などの
古典にも通じ歌道にも
優れていた。
またその頃流行った
連歌を紹巴(しょうは)
に学び、
茶道は古田織部に受け、
かつ乱舞にも
長じていたというから
その才能も窺い知られる。
まず、利家卿に対し
謹んで茶を献じ、
さて慶次郎が申すには
「今日はことのほか
寒うございます。
これから
一献差し上げたいと
存じまするが、
それに先立ち
一風呂お召しに
なっては
如何でございますか、
丁度加減も
よろしいようで
ございます」
「そうか、
それはよく
気のつく事じゃ、
この寒空に
何よりの馳走じゃ」
と言いながら
利家は案内を連れて
直に風呂場で下り立ち、
くるくると衣服を
脱いで素っ裸となった。
ガラリ戸を開けて、
中へ入ると、
湯加減と思いきや、
氷の如き水がなみなみと
こしらえてある。
しかも窓の裂け目から
寒風が遠慮なく
吹き込む始末。
さすが温厚の利家卿も
怒り心頭に発し、
「慶次奴を逃がすなッ!」
と供侍の家来ともに
どなった。
一方慶次郎はその時、
裏口につないでおいた
松風と称する駿馬に
鞭うって逃れ去り
そのまま行方不明と
なってしまった。
慶次郎には
家も妻も子も
一切眼中になく、
ただただ野放しの自由の
天地が欲しかったのだ。
四角張った
叔父利家の前に
かしこまっているのが
嫌で嫌でたまらず、
とうから見切りを
つけていたのであるが
慶次郎も人間である以上、
この人間の枷の中から
抜け出ることが
一寸困難であったろう、
叔父の利家が
決して憎いわけでもなく
又嫌なわけでもないが、
せせこましい檻の中に
生息することが
どうしても…
たえられなくなった
のであろう。
叔父にはこれまで
さんざん厄介になった、
いま訣別するにしても
何がな置き土産が
必要である。
そこで寒中、
叔父を素っ裸にして
手をうって
喜んだわけである。
まことにたわいない
いたずらであった。




