転職を繰り返してきた私は、職場で「やめる」「やめたい」とひとことも言ったことがない。
いざとなれば直接上司に退職届を提出するだけだからだ。
「やめる」と公言する人ほど、会社をやめないのは一体なんなのだろう。
職場の関本さんが、私や竪山さん山川さんの前で「オレ、4月いっぱいで仕事やめるから」と言った。お局さまの竪山さんは「関本くんがいないと仕事、まわらなくなるよ」と言い、新入社員の山川さんも「えーっ!そうですよ。やめないでください」と言う。
そんな中私は黙ったままで、内心『どうぞ、どうぞ』と思ってしまった。
もう「'Official髭男dism'のことを'ヒゲダン'じゃなくて、'オフィダン'て言うヤツがいるんすよー」とかいう話にあわせ笑いしなくて済むんだ。というか'オフィダン'で「関本くん、おもしろいー!」っていう竪山さんたちのセンスもどうなの?と思うけれども、そうとは言えない私はあわせ笑いをするしかない。そんな日々が続いていた。仕事が忙しくなろうとあわせ笑いの虚しさからは解放されるんだ。
…と思っていたのもつかの間、あれから5ヶ月カレはやめていない。もう9月だぞ!どうした!ここまでずっと「やめる」と言い続けてたな!なにがキミのモチベーションをそんなに上げているんだい⁉︎私のモチベーションの方が萎えてきているよ!
いわゆる‘障害者’として、発達障害の私は一般の?方達と共に働かせて頂いているのだけれども、こうゆう矛盾した場面に出くわすことが多々ある。
この前は、山川さんが「わたし、見た目に自信がなくて…」といい、竪山さんは「やだぁ、じゅうぶんキレイじゃん」と言い、「竪山さんの方こそキレイですぅ」と山川さんは言う、てことがあった。…このやり取りがどうにも居心地悪くて、思わず私は山川さんに向かってこう言った。
「でも、脚がキレイじゃないですか」
あたりは静まり返った。そそくさとみんなハケて、行ってしまった。
なにが問題だったのか、わからないひとが結構いるんじゃないのかな?
私からしたら日常はウソのかたまりから出来ているように思えるんだけれど、全部ウソかと言うとそうでもなく、真実もあったりするからややこしい。ウソと真実をいちいち見抜いていても仕事にはならない。
ときに私は一般のひとの感覚がわからないまま一生を終えるのだな、と底知れないさみしさを感じることがあるのだけれど、向こうだって私の感覚を知らないまま一生を終えるのだし、とも思う。お互いを理解とまではいかなくても認め合えたら一番HAPPY なんだけれど。
まだ、仕事場で「やめる」と言えない私がいる。いつか言えるようになるのかなぁ。言えたら随分と気持ちがラクになるような気がするなぁ。
…そっか、そういうことなんだね。
今回学んだのは「真実は時に必要とされない」ことと「明るいバカに人は集まる」てこと。