結論から言うと、ソフトバンクのiPhone6sからソフトバンクのiPhone13proへ機種変する場合、simカードをさしかえるだけ。

 

他の場合はわかりません。(´;ω;`)

 

データ移行については当方、諸事情によりiTunesやiCloudを使えなかったため以下を参考にさせていただきました。

 

 

問題なく通話できています。

「my SoftBank」にログインしてみるとiPhone6sのままになっていますので気になる方や不安な方はソフトバンクショップへ行かれた方が良いかと。

 

ただし事務手数料3300円、とられるみたいです。

 

え〜〜〜って、思いますよね。

 

私は思いました。ですので詳しくはないのですけれども自分なりに調べてやることに。

 

このブログにたどり着いた方はそもそも自分でやりました、って言う人が多いとは思います。……………が、実際どうなの?と悩んでらっしゃるごく少数の方のお役に立てれば幸いと思い残しておきます。

 

ちなみに玲音さんはいつも通りです。

会社の専務(社長のご主人)から、私を含めた女子四人で近くにあるA型事業所が運営する食堂へお昼に食事に行くように勧められた時のことだった。その食堂のことをよく知らなかった私は専務にたずねた。

「何という名前の何屋さんですか?」

専務は答えた。

「あの、ほら、頭のアンポンタンの人達がしよらす、うどん屋さんたい」

 

このあと障害者を何だと思っているのか問い詰めたが「ハイ、ハイ」で逃げられた。

 

「障害者=みんな知的障害」という認識。知的障害があろうとなかろうと自分と変わらない、生きとし生ける存在であることになぜ、気づかない。知らないことよりも知ろうとしないことがその人自身の民度の低さを招いている。自分のせいで生きづらい社会が出来上がっていることに気づいてもいない。弊社の専務が特別なわけではない。世の中にそんなヤツはたくさんいる。

 

そんな専務がある時していた営業マンとの会話。

 

営業マン「子供の頃は球磨川で魚を獲るのが大好きでして」

専務「魚はウマかとですか」

営業マン「フナとかも釣れれば、色々なものが釣れまして」

専務「その魚はウマかとですか」

営業マン「釣りそのものが好きなんです。鮎とかも釣ってました」

専務「あー、わかる。その魚はウマかでしょ」

 

本当の話ですよ🐟。

 

今回学んだのは「自分を知らない人ほどアンポンタン」てことでした。

転職を繰り返してきた私は、職場で「やめる」「やめたい」とひとことも言ったことがない。

いざとなれば直接上司に退職届を提出するだけだからだ。

 

「やめる」と公言する人ほど、会社をやめないのは一体なんなのだろう。

 

職場の関本さんが、私や竪山さん山川さんの前で「オレ、4月いっぱいで仕事やめるから」と言った。お局さまの竪山さんは「関本くんがいないと仕事、まわらなくなるよ」と言い、新入社員の山川さんも「えーっ!そうですよ。やめないでください」と言う。

そんな中私は黙ったままで、内心『どうぞ、どうぞ』と思ってしまった。

 

もう「'Official髭男dism'のことを'ヒゲダン'じゃなくて、'オフィダン'て言うヤツがいるんすよー」とかいう話にあわせ笑いしなくて済むんだ。というか'オフィダン'で「関本くん、おもしろいー!」っていう竪山さんたちのセンスもどうなの?と思うけれども、そうとは言えない私はあわせ笑いをするしかない。そんな日々が続いていた。仕事が忙しくなろうとあわせ笑いの虚しさからは解放されるんだ。

 

…と思っていたのもつかの間、あれから5ヶ月カレはやめていない。もう9月だぞ!どうした!ここまでずっと「やめる」と言い続けてたな!なにがキミのモチベーションをそんなに上げているんだい⁉︎私のモチベーションの方が萎えてきているよ!

 

いわゆる‘障害者’として、発達障害の私は一般の?方達と共に働かせて頂いているのだけれども、こうゆう矛盾した場面に出くわすことが多々ある。

 

この前は、山川さんが「わたし、見た目に自信がなくて…」といい、竪山さんは「やだぁ、じゅうぶんキレイじゃん」と言い、「竪山さんの方こそキレイですぅ」と山川さんは言う、てことがあった。…このやり取りがどうにも居心地悪くて、思わず私は山川さんに向かってこう言った。

「でも、脚がキレイじゃないですか」

あたりは静まり返った。そそくさとみんなハケて、行ってしまった。

 

なにが問題だったのか、わからないひとが結構いるんじゃないのかな?

 

私からしたら日常はウソのかたまりから出来ているように思えるんだけれど、全部ウソかと言うとそうでもなく、真実もあったりするからややこしい。ウソと真実をいちいち見抜いていても仕事にはならない。

 

ときに私は一般のひとの感覚がわからないまま一生を終えるのだな、と底知れないさみしさを感じることがあるのだけれど、向こうだって私の感覚を知らないまま一生を終えるのだし、とも思う。お互いを理解とまではいかなくても認め合えたら一番HAPPY なんだけれど。

 

まだ、仕事場で「やめる」と言えない私がいる。いつか言えるようになるのかなぁ。言えたら随分と気持ちがラクになるような気がするなぁ。

 

…そっか、そういうことなんだね。

 

今回学んだのは「真実は時に必要とされない」ことと「明るいバカに人は集まる」てこと。