俺は昭和平成の教育を受けたので高校までの学校ではバンバン怒鳴られてぶん殴られた。
今思えば怒鳴られることでも殴られる事でもなく、宿題を忘れたとか、団体行動に遅れたとか、差されて回答を間違えたとか、言えばわかることなのにわさわざ頭だの顔を殴られたもんだ。
酷い時には俺は何もしてないのに騒いでいた奴らの連帯責任で黒板で使うでかいコンパスで殴られたこともある。
俺にとって学校は恐怖の対象だった。
で、大学に行ったら全然環境が違った。
何かあれば注意される。
改善したらお咎め無し。
自主性が尊重されていた。
社会に出たらもっと平和だった。
IT系と呼ばれる業界で働きだした俺は、その風土が合った。
暴力や個人攻撃は無く、失敗は組織の仕組みの責任、個人への追及は殆どされない。されても理屈で話し合う。
もともと理屈っぽい俺は大変生きやすくなったと感じたもんだ。
で、今の学校はそんな社会の規範に則り暴力を排除し、組織的な構造改善を進めているらしい。
これには体罰という名の暴力による悲惨な事件があったりした背景があってこうなったんだけど、そうした弊害が出てきている。
記憶に新しいのがトイレでの集団暴行動画事件。
ぶっちゃけあの類の事をやらかす人間に説諭は無効だろう。
世の中にはぶん殴らないとわからない人間がいるのだ。
だからこそ教育には暴力に対して0-100での対応ではなく、フレキシブルな暴力が求められる。
これが俺の考え方だ。
で、この記事。
要するに「金八のやり方は古い!今では通用しない!」と言ってるわけだが俺の意見は違う。
今こそ金八が必要だ。
そもそも金八がぶん殴ったのは3回しかなくて、1回目は腐ったミカンの加藤と松浦。
彼らは理由はあれどもあまりにもムチャクチャをやってしまい、その尻拭いの為動くんだけどにもうどうしようもなくて泣きながらぶん殴っていた。
2回目は何の罪もない老人を集団で追い込み病院送りにした数名。
こんなに酷い状況なのに金八は葛藤し、泣きながらビンタしていた。
3回目は自分の姉を殺した犯人に刺し違えるべく復讐鬼と化し暴走していた子を止めた時。
これなんか、ぶん殴ってなかったらこの子が死んでいたかもしれない。
これらは「殴る」以外に方法があるだろうか?俺は不可能だと思う。
この記事の問題は理由を書かず「金八はすぐ殴る」みたいな書き方をしているところ。
ドラマをちゃんと観ると、本来の金八は暴力を使わず必ず話し合っている。
やる時は本当にやらなきゃならない時に散々葛藤して、泣きながら仕方なく怒鳴り、殴っている。それが適切であるが為に事態が悪化せずに済んでいることがわかるだろう。
言えばわかる子に暴力は要らないが、言ってもわからない奴は殴るしかない。
金八はドラマだけど、現実の現場も基本的な状況は同じだろう。
難しいのは生徒のその見極めなんだろうけど、ここは社会経験が乏しい"先生"といういう人達にはできないのかもしれない。
でもこのままじゃダメだよね。
というわけで、今こそ金八が必要なんだと俺は思う。
まあ、最近tverで金八の面白さにハマったからこそこういう無責任な記事があって、これは無責任な記事なんですよ、とお知らせしたいと思いました。
「教」という字は、子供をムチでしばく大人を表現している。
この事が本質だろう、と、金八っぽくシメてみる。
