息子が学校にいけなくなったのは高校3年生の冬、2023年12月6日。


この日は所定の用紙に志望校を優先順位をつけて記入したものを提出する期限日。 


この時期の志望校決定は、調査票を貰うためだったり、試験日程に無理がないかを調べ提出する最終決定のようなもの。


それに加え、第一希望のAO入試の為の志願理由書も学校提出期限日だった。


どちらも白紙のまま前日の夜を迎えた。


寝る時間になって、私のLINEに

「書かなきゃ」

というメッセージを送ってきた。


「困ってるなら一緒に考えよう」

と息子に寄り添った。


志望校で迷ってるなら…と、偏差値などが載っている学校一覧を息子と一緒に見ようとした。


ずっと黙ったままだが、

「分からない」

と時々口にする息子。


息子は将来やりたい事や、行きたいと切望するほどの大学はないものの、

以前から第一希望だと言っていた大学がある。

ずっと一貫していたから、そこは不動だと思い、滑り止めの私立を一緒に考えて欲しいのかと思い息子の偏差値に合う大学を見繕い、候補として名前を挙げた。

それは三者面談で担任の先生から言われた学校でもあった。


すると、

「何でそこなの?」

「そもそも私立は受けるの?」

「後期日程はどうするの?」

と、まるで他人事のよう。


「浪人はしない」と言っていたから、私立も滑り止めで受けるんじゃないの?

後期は安全策取るならここなんじゃないの?

と三者面談で先生が言っていた定石通りの学校の名を挙げるがうんとは言わない息子。

だからと言って自分から学校の名前を口にすることはない。


時間だけがあっという間に過ぎる。


私はパジャマの上に半纏を着て、毛布にくるまる。寒くて仕方ない。


息子は布団の中で横になったままで、用紙に向き合う姿勢は見られない。


だけど

「書かなきゃ…」

と呟く。


書かなきゃ学校に行けない。


そんな息子の代わりに、鉛筆書きで定石を書いた。


息子は納得がいかない様子。


夜の3時になった。


先生にはまだ悩んでることを説明して提出を先延ばしにして貰うことや、変更の可能性があることを伝えて提出することをを提案したが、

「そんなの許されない」

と拒否するものの、起き上がるでもなく、用紙に向き合うでもなく。


らちが明かないので、遅いからもう寝ようと言い私は寝ることに。


朝息子を起こしに行くが起きてこず。

いつものように何度も起こすが起きず。


用紙が出来てないから学校行かないんだな…と思い諦めた日。


不登校の始まりでした。