今回も「質問に答える」の中から抜粋です。

問「永遠の生命を考えると、地上でのこんな限られた物的体験に意義があるのでしょうか。」

答「永遠も無数の小さな体験の総計から成り立つのです。一つの体験、一つの行為、一つの言葉、一つの思念にも、それがいかに小さいものであってもそれなりの意義があります。そうした細々とした体験の寄せ集めが永遠を作るのです。そのうちの一つが欠けても完全性を失います。例えば、二,三百名から成るオーケストラの中でトライアングルを一度だけ鳴らす人がいるとします。分量から言えば全くささやかな存在ですが、もしもその人が、そのたった一回の演奏で音階を間違えたらどうなりますか。あるいは音が弱すぎて聞き取れなかったらどうなりますか。オーケストラ全体が台無しになるでしょう。分かりますね。あなた方の地上生活での体験もそれと同じことです。一つひとつが魂の陶冶のための一部ーー大切な一部を担っているのです。その体験は永久に魂に刻み込まれていきます。」

 

今回の質問は、私達人間がこの世に生まれる意義があるのかという質問です。この世での体験はどんなに小さなことでも意義があると言われています。例えとしてオーケストラについて記されていますが、確かにどんなに小さな存在であっても、その存在感はあるのですよね。それはオーケストラの構成を成しているからです。作曲者の意図ですから、どのような音であっても欠けてはいけないのです。それは地上の生活にも言えるということなのですよね。例え微々たる経験で限られた地上の体験であっても、永遠の中の一部に構成されていると言われています。それこそ、それは神様の意図することなのだと思います。だからこそ、それは魂の陶冶のための大切な一部を担っているのだと言われるのでしょう。そしてその体験は永久に魂に刻み込まれるのだと言われています。だとしたら、自分自身に恥じない生き方をするほか選択肢はないのではないでしょうか。