今回から、霊的なことに全く関心がなく、理解していない人のために、スピリチュアリズムの発端とも言える、ある事件の内容を紹介しようと思います。

知ってらっしゃる方も今一度読んで頂けたらと思います。

 

1848年3月のことでした。ニューヨーク州西部の都市ロチェスターの片田舎にハイズビルという村があり、そこの一軒家にフォックスという夫婦と末娘二人の家族が引越してきたのです。(実は子供は6人兄弟なのですが、長女はすでに嫁ぎ、男兄弟は3人とも独立していました)

引越しした翌年から夜になると何かを叩くような音や手でノックするような音、更には家具を移動させているような騒々しい音が聞こえるようになったのです。そうした音は日増しに激しさを増し、真夜中にびっくりして起きることもありました。

フォックス夫妻はその都度ランプをつけて家中をまわって点検しましたが、何一つ変わったことは見つからなかったのです。そのうちについに問題の31日がやって来ました。その日は雪の降る寒い日で、風も強くて窓はガタガタしていました。何が起きても騒がないようにと、自分達の寝室に二人の子供を寝かせることにしましたが、間もなく子供が「また変な音が・・・」と叫びました。けれど、窓が外れていると思い、フォックス氏が起きて窓の所へ行き、トントン、トントンと叩いていると、末娘のケートが「お父さんが窓を叩くたびに天井から音がするよ」と言い、その音のする方角を向いて今度は「鬼さん、私のする通りにしてごらん」と言って、親指と人差し指で2回鳴らしてみたのです。すると同じ回数だけ音が返って来たので、嬉しくなったケートはもう一度指を鳴らすと、すぐまた音が返ってきました。何べんやっても返ってくるので、今度は姉のマーガレットが両手で4回叩くと、すぐさま4つの音が返ってきたのです。最初の対話は他愛ないものでしたが、母親がその”鬼さん”に向かって「娘のマーガレットの歳は?」と聞くと12回音がして、「じゃ、ケートは?」と聞くと9回鳴ったのです。更に「私が生んだ子供は何人?」と聞くと7つ音がしたそうで、そこでもう一ついい質問に気がつき「7人とも今も生きている?」これには反応なしで、「何人生き残っている?」と聞くと6つ音がしたのです。「死んだのは何人?」と聞くと一つだけ返ってきたのですが、確かに7人生んで一人亡くなっていたのです。衝撃的なことに隣りの家の奥さんも呼んでくると、「まさか・・・」と言わんばかりの笑いを浮かべていたのに、間もなく真顔に変わりました。家族の人数を質問した時に3人と答えると思っていたのが「4人」との答えに、その奥さんはその場で泣き崩れたのです。それは幼い女の子を亡くしたばかりだったからだそうです。

このケートの行為が、スピリチュアリズムの大発見へと一大飛躍をと遂げることになり、地上界と死後の世界との間で一種のモールス信号が成功したのです。このケートと”鬼さん”との交信がその後、死後の世界の情報がふんだんに流れ込む最初の懸け橋となったのです。

そしてこのあと、その霊の地上時代の身元がわかりました。名前をチャールズ・ロズマと言い、行商人で、何年か前にこの家に行商に来た際に、当時の住人に殺害されてお金を奪われ、死体はこの家の地下室に埋められたという事実まで述べたのです。そして、当初、地下を掘る作業が行われ、骨や髪の毛らしき物が発掘されたようですが、はっきりとした証拠にはならなかったようです。ですが、フォックス家がこの土地を離れてから60年近く経った頃、フォックス家が住んでいた地下室に少年たちが面白がって入り込み、遊んでいると壁が崩れ、そこから人骨と行商人の鞄などが見つかったとのことです。地下の壁は二重構造になっていて、その行商人は壁の間に埋められていたようです。

ということで、奇しくも姉妹が亡くなった後に立証されたことになります。けれど、当時は霊媒がほとんどいなかったので、その後の姉妹は霊媒として、いろいろな研究材料にされたようで生き辛かったのではないかと思います。

ただ、このようなセンセーショナルな話題に発展したことで、この怪奇現象は”ハイズビル事件”とか”フォックス家事件”などと呼ばれ有名になったのです。

そして、地上界と死後の世界との間で交信が可能であることを証明してくれた点に、この事件の大切な意義があったのです。

この事件がきっかけとなって全米でフォックス姉妹のような霊的媒介者(ミディアム)と思われる人物が科学者や知識人による研究の対象とされるようになり、交霊会などの霊界との交流の場が各地で開かれるようになったとのことです。

 

次回は米国におけるそうした動向の中で、ニューヨーク州の最高裁判事のジョン・エドマンズ氏という方のことを書きたいと思います。