こんにちは。
このブログは不思議なことを呟いたり、参拝日記を綴ったりしていますよ。
さて、昨日のブログで、山口県下関市川棚の瀕死のクスノキについて書きましたが、何と続きがあったのです。
ブログを書いたのは土曜日の夜で、更新したのは日曜日の午前中でした。
更新した後もまだぐすぐすとしていたので、長男(14歳)が、
「なんで落ち込んでいるん?」
と聞いてきたので、クスの森のことを話したときの長男のドン引きした顔‼️
ほーんと失礼するわ。
昨日は娘の7歳の誕生日だったので、広島市のレクトに買い物に行ったり、バタバタしてました。
そして午後に友達がケーキを持って遊びに来てくれました。
彼女は4軒隣に住む、ご近所さんです。
彼女はとある国立大学の研究室で働いており、以前にブログでも登場したことがあります。
すると、私はふと思い出したことがありました。
彼女は夫婦ともに山口県から移住してきたのです。
(ちなみに私は香川県からの移住者です)
「ねえ、川棚のクスの森って知ってる? 昨日、わたしそこに行ったんだ」
と言うと、彼女はビックリした顔で、
「そうなの? なんでわざわざそこに行ったの? そこ、私の実家だよ」
ええええーーーーっ‼️
川棚なの。
ええええーーーっ‼️
「そうなの。クスノキの近くにある、瓦そばたかせが高校の時のバイト先だったよ」
と言うじゃありませんか。
たかせってお店は知らないのですが😅
本当に近くに住んでいるみたいです。
もちろん、クスノキの瀕死具合は知ってました。
彼女は本当にあっけらかんと、
「前はもっとひどかったんだから。完全に枝だけになったから。あそこまでよく持ちこたえたよ」
と、アッサリしたものでした。
私、まだ余韻を引っ張っていて、昨日から泣いていたんですけど😅
旦那さんも高校の同級生と聞いていたので、場所を聞いたら、「旦那は彦島なの」と言ってました。
(彦島ってどこ)
信じられない、と驚きました。
昨日行った場所に住んでいる人が、ケーキ持って自宅に尋ねてきてくれるものなの?
「ずっと見守っています」
という看板は、先月の3月に下関市役所が設置してくれたものだと、市役所のホームページで知りました。
先行きが少しずつ見えて来たので、あの経緯を記した看板を設置したそうです。
愛情深い看板だと、思っていました。
そして同時に、強い慚愧がうかがえます。
それが設置された数週間後に、私がこの地に呼ばれたのは、あまりにもタイミングが良すぎるのではないでしょうか。
「クスノキが下関のど真ん中にあったら、もうとっくに無くなっていたのよ。昔から戦場だったからね、下関は」
と、彼女は言います。
確かにそうだわ、と思いました。
平安時代の壇ノ浦の戦いも下関です。
そもそも幕末に下関戦争が、長州藩とイギリスやアメリカとの間に起こっているので、クスノキはそれも掻い潜ってきたことになるのです。
御神木は敵軍に目を付けられます。
海辺の川棚にひっそりとあったので、燃やされずに1000年以上も残ってこれたのです。
「だから、クスノキは大丈夫だと信じているの」
と、彼女はニッコリと言ってくれました。
そして、クスノキにまつわる小学校の遠足の話や、お祭りのことを楽しく話してくれました。
なんだか…
不思議な気持ちになって…
川棚のクスノキの精霊が遊びに来てくれたような、そんな気持ちになりました。
もう一度、泣きそうになりました。
土地の神様は強いのだな、と強く思い知りました。
強い神様は人と人を結びつけてくれるのだ、と思います。
下関の美味しいお店も教えてもらったし、またクスノキに会いにいくぞ。
と何だか元気が出た、不思議な午後。
そして、昨日のブログを読んでくださった方、リプログしてくださった方、本当に本当にありがとうございました。