先日、けっこうハードな仕事と

半ばボランティアのような地域のちょっとした 

ミニ手話講座のお手伝いをこなし、

夕方から、

新宿の映画館へ


宮崎駿監督の映画は

欠かさず観ているという心友とは

久しぶりの再会なはずなのに

特にいつもと変わらずな感じで、


でも、あのときには

まだ問題解決には至っていなかった案件や

闘ってるんだよ的な

混沌とした話しも聞いてくれて、


1995年に出会った時には

手話通訳仲間だった彼女は 

違う世界の人になっても

いまだにずっと心友でいてくれる、


本当に彼女の存在に感謝。



君たちはどう生きるか、


わたしたちはどう生きるか、


新宿、それも映画館近く

四季の道あたりは

ある意味、

人生のターニングポイントとも言えるエリア

でもありました。


20代前半、新宿のライブハウスで

バイトとバンド活動と

恋にあけくれていました。(笑)


もう聞こえない人に出会い、

手話にも出会っていたけど、

すっかり見事に手話から

遠ざかっていて、


まさか

今の自分が

手話通訳を生業にし、

UDのNPO法人の理事をしたり、

音楽からは全く離れてしまうとは 

想像していませんでした。



良きことも、悪しきことも 

沢山あり

決して自慢など出来ませんが、


まあまあ、

面白い人生だったという

気もします。


これから

残りの人生をどう生きるか、


不徳の致すところ的な部分は

やむを得ないとしても


自分なりに

生きるを享受しようと思っています。