手話通訳に限らず


どの言語の通訳でも


第一言語、母語の優位性は変わらないわけです。


ろう通訳の必要性の主張の中に

ろう者のような手話表現が

聴者の手話通訳者には出来ないからと言う

考え方があります。


それは

手話を言語として考えたら当然のことです。


では他の言語の通訳者が


ネイティブではないから

ろう通訳のようにフィーダーを通して

第一言語、母語の通訳者という考えは

全くない訳ではないでしょうが

あまり多い気はしません。


とはいえ、

目標言語が日本語で

起点言語が英語なら

日本語ネイティブの通訳者のほうが

日本人に伝わりやすい通訳になると

言われていますから、


ろう通訳の役割として

ろう者に伝わりやすい通訳が出来ると言うのは

やっぱり納得です。




手話を言語として考えれば


他の言語通訳と同様に


ネイティブ並の

聴者の

手話通訳を育てる方へ

より力をいれることも必要だと思います。


ただ

自分が通訳するよりも

科学的に分析した上で指導、

養成をすることの方が難しいのかもしれません。


手話を言語と考えるなら

他の言語通訳の養成システムを

参考にする必要があります。


なかなか難しいことですが


日本語を話せるから

誰でも日本語を教えられる訳ではなく、 

言語学的知識も含め

手話ができることと

通訳をすることは別モノである前提を

十分に理解することが必要になりますね。



手話は言語


それは間違いない、


ろう通訳者の考え方としては

前述の理由

そして、

ろう者の手話への思いの強さでは

ないだろうかと考えています。


自分たちの手話を

自分たちの力で守りたい、

我々の手話!と言う思い 


たしかに

歴史的に手話を守り、育てたのは、

紛れもなく

ろう者自身なのですから、


他の言語とは

比較にならない思いは

容易に想像できます。


ろう通訳も

きちんと仕組み、試験制度を確立していくことは



ろう通訳並に

通訳できる聴通訳を養成していくことにも

つながるのではないかと考えています。