あけましておめでとうございます。
新年早々ではありますが
常々
私が思っている
手話通訳者にとっての大切な視点
‘自律’と手話通訳者と言うことで
考えてみます。
リブログさせていただいたブログですが
拝見させていただきながら
ふと
ある手話通訳者の姿が脳裏に
浮かびました。
手話通訳者(肝っ玉母さん)とは
彼女が講習生だった時代に
私がアシスタントをしていたというご縁と
自宅が近いということもあり、
その後、彼女が手話通訳者になってから
友人関係になりました。
お互いの自宅を行き来したり、
2人だけで勉強会のようなこともしていたり
一時期はとても親しくしていました。
当時は、プライベートな話しもしていて
ご家族との距離感についても
話しをしていました。
その時に彼女から、
家族が病気等の際には
必ずつきそうという話しがあり、
私が自分自身の子ども時代でもさえ、
よほどの事がなければ一人で行っていたし、
今も幼児でもない限り、
基本的には当事者である本人が
一人で行けばいいと思うと言ったときに
‘いやいや、新子さん、それはないですよ!’と
私の振る舞いが
人として、家族として
ありえない、冷た過ぎると、
彼女が持論をあつく語っていたことは
最初はあまり重要視していませんでした。
しかし、
次第に考え方の違いが
明確になり
ある時から
彼女とは
少しずつ距離をおくようになりました。
彼女はやさしく
人あたりもよく肝っ玉母さん
人柄は良いのは分かっていますが
彼女の手話通訳者としての動き方が
どうしても
私には我慢ならないことがあり
それらが蓄積し
彼女への信頼関係がなくなっていったからです。
我慢ならないこととは
キーワードは
‘自律’です。
手話通訳者の行為は
やさしくお世話することではなく、
手話通訳の仕事によって
対象者である
聞こえない人が自分で選択出来る、
誰かに頼る生き方ではなく
手話通訳者を良い意味で利用して
誰かに頼らなくても生きていく
自律につながるやり方等を
長期的な取り組みとして
実施していくことが
大切だと思っています。
だからこそ
時には少し離れたところから
必要な支援について考えることも必要で
すぐに
やさしく手をさしのべるということ
自分の思う良きやり方を
(正しいとは限らない)
それがベストだと
さり気なく情報提供し洗脳的に
事を運ぼうとする手練手管も
肝っ玉母さんの
‘あなたのためには、これが一番’も
手話通訳者としては
とても残念です。