昔、私が初めて、聞こえない人に出会った手話サークルでは

一年に一回、一泊研修会が‘○〇〇青年の家’という区の施設で

実施されていました。

(現在は一日研)

研修の夜はお決まりの宴会です。

その当時、何かとよく手話サークルの仲間と

お酒を飲んでいたものですが

一泊というと安心して泥酔が出来るという事で

皆、思う存分に酔っぱらいを満喫していました。

 

東京〇〇大学に通っていた聞こえないS君の手話は、

どちらかと言えば、

ろう者的な手話のように見え、発声はほとんどなく

彼はデフファミリー的な環境で育ったのだろうか

なんて思っていました。

(当時の私はまだ見極める力もありませんでした)

 

ところが、泥酔したS君がとてもはっきりとした

聞きやすい声で話し始めました。

手話もいわゆる日本語対応的な手話です。

突然の豹変ぶりにえっ?と

戸惑いながら様子をみていたら

その内に彼は寝てしまいました・・・。

 

耳が聞こえないという事は、

自分の声のフィードバックもない訳ですから

発声のコントロールをするのは至難の業です。

日頃、S君は敢えて選択をしてコンロールし自分の声を出さないで、

ネィテイブサイナーとして生きる道を選択していたようです。

 

当時の私にはそれまでは

そのことを気づかなかったのでした。

 

それがすっかり泥酔した為に

声を抑えることができずに、

日本語モードに自然に切り替わってしまったのでしょう。

 

大学に入る前には、全く手話を知らないで育ち、

口話だけでコミュニケーションし

かなり明瞭な発声が出来るにも関わらず

敢えて声を出さない、

彼がそう決意するには色々な事があったに違いありません。

 

そして、今、彼のように、

本当は発声は難なくコミュニケーションが出来るレベルにありながら

手話に誇りをもち、あえて声を封印して、

手話で生きる、という聞こえない人が

増えてきているような気がします。

 

かなり前の話ですから

いわゆる手話と日本語のバイリンガルの先駆けだったかもしれません。

もっとも、今言われている「バイリンガルろう教育」は

日本手話、書記日本語、と言われていますので

S君の手話が今言われている日本手話かどうか何とも言えませんし、

その概念は異なっているような気もします。

 

 

今年度の手話講習会でもさっそくに

日本手話と日本語対応手話って何ですか?と質問がでたばかりでした。

緊急事態宣言があけて

手話講習会が再開したら

またこの手の問題にも対峙しなければなりません。

今から英気を養っておきましょう(笑)。