私は心を病んでます。
でも、貴方も病んでるのではないんですか。
気づかないのは、私よりももっと病んでるからではないですか。
「本当の病気の奴は、自分を病気だと気づかない」
とは、父の台詞です。
私は自分で「これは異常だ。私は正常ではない。病気だ」
と、気づき病院へ行こうと決心できただけ…まだ「マシ」だったのかもしれません。
母は
「自分のどこが病気だというの」
と、言う態度でした。
でも、貴方の何をとって…「正常」つまり、「一般の人と同じ」だといえるのか?
と、私は常に不思議に思っていました。
異常だと思うぐらいの、近所の人への疑心暗鬼。
神経質なのは言うまでもなく、なのにこの「ゴミ屋敷」一歩手前の状態。
母はいつしか、「物を捨てる」のが怖くなっていたのです。
もし、捨てたあとに必要になったらどうするの?
もし、捨てたあとに捨てちゃいけない物だったらどうするの?
もし、自分が独断で捨てた後に、子供や夫から「必要だったのに」と言われたらどするの?
本人は自覚してませんが、そういう感覚です。
私がゴミを捨てたとしても、ゴミ袋を…漁って確認する始末。
「ねぇ、これ捨ててあるけどいいの?」
何度も何度も、聞かれます。
「あっ。こんなもの捨ててある。おいてあったのに」
自分が少しでも必要だと感じたものは、捨てられない。
もう、これは「異常」であってなんであるのか。
もう一つ。
母は昔から「ガチャガチャ病」でした。
これは、私と父が名づけた名前。
母は家を出かける前に、玄関のドアノブを何度も引っ張ります。
ガチャガチャ
普通なら一度ぐらいで、「よし。鍵ちゃんとかかってるな」と、済む所でしょう。
ですが、また間をおいて。
ガチャガチャ
郵便受けを見て
ガチャガチャ
玄関の外にゴミがないかを確認して
ガチャガチャガチャ
…すでに、アイドリングをして待ってる父運転の車。
その後部座席で、母の行動を見て待ってる私。
ガチャガチャガチャ
「…またか。何回目だ」
父がつぶやきます。
酷い時には、数十回とそれをするのです。
こっとしては、「待って」いるのに「待たせている」感覚は、母にはありません。
自分の気の済むまで、ドアノブを引っ張ります。
「…いい加減、ドア壊れる!!」
と、こっちがイライラして切れるまで。続くのです。
挙句に。
「…ねぇ。私、ちゃんと玄関閉めたよね?」
車で出かけて、数分後そう聞くのです。
「…ドアが壊れるかってぐらいガチャガチャしてただろっっ!!」
母に自覚はありません。
指摘して、指摘して。やっと数回で済むようになったかと思うと。
また、数十回に戻り。
今度は…
「ガスの元栓、確認したよね?」
「電気消したよね?」
こういうのが、付け加えられるのです。
年々、酷くなる状態を見て…「正常」範囲をとっくの昔に超している。
「あんたも病気だから」
私が憮然と言い放つと。
「だって前、蘭華に頼んだときにかけ忘れたじゃない」
と、言い出すのです。
ちなみに、それはもう数年も前の話。
「ねぇ。あんたのどこが正常だっていうの?私は自分の精神がおかしいのに気づいてる。
でも、あんたは自分のどこが正常だって言い張れるの?」
私は自分と同じぐらいに、奇怪に行動に出てる母に尋ねました。
「ちょっと。私は病気じゃないわよ。……蘭華みたいに手首切ったりしてない」
リストカット=異常
確かに。
でも、それだけが「精神がおかしい」の基準だろうか?
「先生。母が…」
私は自分の診察のついでに、先生に尋ねてみました。
「うーん。強迫神経症だね」
先生も認めてくれました。
「これは、他人が指摘するだけじゃ病気として扱われないんですか?」
素朴な疑問。
「うーん…症状の覧には…
『本人がそれを不快と感じている』ってあるから…」
先生は医学書を読みながら説明してくれました。
「つまり本人がそれを苦痛や、不快と感じない限り…病気じゃないって事ですか」
不思議なものだ、病気とは。
本人が苦しんでいれば病気で、本人がなんとも思ってなかった…
周りが迷惑していても病気じゃないのか。
それでも、母の異質な行動は私にとっては「苦痛」でしかなく。
「…あんた自覚ないけど、色々病気だから!
私だけ薬のんで、思い出したくない事も思い出すカウンセリング受けて!
なんで、あんたは自分に対して何も努力しないの?!不公平だ!」
結局、私の涙ながらの心の叫びで・・・・母も同じ病院へと行く事になりました。