佐紀古墳群のなかでは比較的早い段階に築造された中規模古墳。

一般に、猫塚古墳と呼ばれます。

 

奈良市佐紀町に所在。

 

 

■佐紀猫塚古墳

古墳時代前期後半、4世紀後半築造。

西向きの前方後円墳。

墳丘長120m。

 

奈良時代に墳丘が著しく改変され、もはや原型を留めていません。

 


 

前方部南西角付近。

 

墳丘西側、前方部中央付近。

 

1953年(昭和29年)土取りに伴う緊急調査を実施。

 

前方部竪穴式石室は全長4.6m、幅1.28m。

割竹形木棺を安置。

 

 


墳丘北西側全景、前方部北西角付近。

 

 

1983年離れた古墳北側にて粘土槨を検出。

外提上の小陪塚と想定される埋葬施設。

 

猫塚古墳本体からみれば従属的位置にありながら、副葬品が豊富であったことから、血縁関係は異なるものの、首長権を補完する重要人物であったことが伺えます。

 

 

4世紀あたりの古墳時代の話です・・・・・

 

 

■猫塚北1号棺

古墳時代前期後半代、猫塚古墳と同時期に築造。

 

前方部北側付近。

 

 

 

8世紀あたり奈良時代の話に移ります・・・・・

 

 

松林苑は729-745年にかけて、続日本紀に散見される平城宮離宮の苑地。

猫塚古墳は松林苑の推定範囲の南西隅付近。

 

西側外堤を西面築地に改変して西限、南側外堤を南面築地に改変して南限。

周濠を州浜のある苑池、墳丘を築山として利用されました。

 

1972年松林苑跡庭園遺構を検出。

 

周濠外側、東西10mの斜面を埋めて緩やかな勾配とし、礫敷の洲浜としたことがわかっています。

 

 

 

墳丘北側全景。

 

9世紀、平安時代の話・・・

 

835年(承和2年)超昇寺(超勝寺)創建。

 

1459年(長禄3年)戦乱により衰退。

江戸時代には堂一宇。

明治初年廃仏毀釈により廃絶。

 

当地に小字寺畑の地名が残ることから、寺域であったのでしょう。

 

 

後円部北側。

 

後円部北端付近を東側より。

 

後円部中央付近を東側より。

 

後円部南端付近を東側より。

 

後方の山林が後円部南東側。

 

右奥後方の山林が後円部南側。