幕末までは永らく神功皇后陵と考えられていました。
1875年(明治8年)垂仁天皇皇后、日葉酢媛命陵[ひばすひめのみことのみささぎ]に治定替えし修治が行われています。
墳丘南西側。
拝所入口が見えてきます・・・・・
■拝所
拝所は墳丘南側、前方部正面に設置されています。
南側には八幡神社境内が迫っているので、拝所への入口は西側となります。
■制札
垂仁天皇皇后日葉酢媛命 狹木之寺間陵
■一般拝所
■特別拝所
■陵号標
垂仁天皇皇后 狹木寺間陵
陵名・陵号:狭木之寺間陵[さきのてらまのみささぎ]
墳形:前方後円
日葉酢媛命(生年不詳-垂仁天皇32年)は垂仁天皇皇后。
垂仁天皇(崇神天皇29-垂仁天皇99年)は第11代天皇。
■石燈籠
狹木寺間陵灯
船着場でしょうか・・・・・
拝所は墳丘に接続しておらず、周濠にて隔てられています。
拝所より東側外提へは進入できません。
拝所南側には八幡神社社叢が迫ります。
■傾斜量図
前方東西両側に大きな渡土手が設置されているのが特徴的。
■等高線図
2023年佐紀古墳群航空レーザー測量調査より。
1916年(大正4年)盗掘事件。
埋葬施設、副葬品の記録を保存し、古墳を復旧。
後円部頂上中央には東西15.8m、南北16.5m、高さ0.7mの方形壇。
方形壇中央の最高所には、蓋[きぬがさ]形埴輪(高さ1.5m、幅2m)があり、屋根形石、盾形、家形、そして円筒埴輪列を巡らせていました。
■蓋形埴輪(複製)
橿原考古学研究所附属博物館蔵。
Wikipediaより。
佐紀瓢箪山古墳より見た墳丘東側。
墳丘南東部から東側に近寄れないところがストレス・・・・
後円部東側。
佐紀盾列古墳群の西群、佐紀三陵の一基。
古墳名・遺跡名:佐紀陵山古墳
所在:奈良市山陵町
墳形:前方後円墳
被葬者:不明
全長203-207m、三段築造。
後円部直径131m、高さ20-21.3m。
前方部幅87m、高さ12.3m。
葺石、円筒埴輪があり、3つに仕切られた水位の違う周濠が巡っています。
4世紀後半-5世紀前半、古墳前期末葉築造。
佐紀盾列古墳群の中では、最も古い築造です。
考古学上は地域の有力な大王墳墓。
同時代の相似形の古墳が畿内各地に見られることから
広域な領域支配の存在が考えられます。
ようやく後円部北東側に近接する住宅道路。
墳丘北側。
墳丘北西側。
墳丘北側付近を西より。
墳丘北西側にある立入禁止の入口。
西土手より北にかけて墳丘西側に伸びる周濠。
■渡土手
陸橋、渡土提。
削出からの盛土により形成。
東側最大長33.64m、下端幅16.09m。
西側最大長27.79m、上面幅8.77m、下端幅18.28m。
2018年立命館文學 古墳の渡り土手 近畿地域を中心として
コの字形の墳丘南側が第一濠、西側が第二濠、東側が第三濠。
西渡土手北側。
■西渡土手
柵の奥・・・
佐紀陵山古墳の渡土手は、佐紀陵山型と分類されます。
佐紀陵山型は、左右対称の2~4の渡り土手からの2、3 段の水面の異なる濠を持つ形状。
■第一濠
東西渡土手より南側を繋ぐ周濠。
南側周濠を西より。
南西側。
■宮内庁書陵部畝傍陵墓監区佐紀部