キショウブ(黄菖蒲)があちこちで見られる季節に。
とはいえ黄菖蒲は明治期に移入され、その繁殖力の強さから野生化している要注意外来生物のようです・・・
奈良市山陵町[みささぎちょう]にある高野陵[たかののみささぎ]。
大和国西大寺往古敷地図をもとに佐紀高塚古墳に治定。
一説には称徳天皇の真陵は、西大寺資財流記帳によれば西大寺寺域西限あたりとされます。
拝所は墳丘西側に位置します。
■拝所
■制札
稱德天皇 高野陵[たかののみささぎ]
稱德は称徳の旧字体。
今まで意識していませんでしたが、文字は陽刻されているんですね・・・
孝謙・稱德(称徳)天皇(718-770:在位749-758、764-770)は奈良天平時代の天皇であり、史上6人目の女性天皇。
治世は藤原仲麻呂(706-764)との勢力争いに終始し、寵愛した道鏡(700-772)と仏教興隆に寄与しました。
■一般拝所
■特別拝所
陵名:高野陵[たかののみささぎ]
陵形:前方後円
■陵号碑
稱德天皇高野陵[しょうとくてんのう たかののみささぎ]
稱德は称徳の旧字体。
スダジイの花が咲き誇り、初夏の香りでいっぱい!
地表に根が這う光景。
■見張所
拝所北西側より。
拝所南西側より。
地表に根が這う光景が印象的。
墳丘南西側と周濠南西角。
そのもう少し南より。
墳丘南側、その東へは立入禁止。
もちろん禁止区域には入りません。
・・・・・外周からの観察しかしませんので。
南側周濠の東西を仕切る土手なのか、土橋なのか。
水は無く周濠の形状のみ。
墳丘南側。
墳丘外提南東端かと。
墳丘東側。この辺りは公園整備されているような整然とした佇まい。
墳丘北東側。
遺跡名:佐紀高塚古墳
佐紀盾列古墳群(佐紀古墳群)西群を形成。
佐紀丘陵南麓の丘尾を切断して築造。
佐紀盾列古墳群では中型規模、墳丘主軸が他と異なり東西方向。
この地の主要古墳に随伴する古墳であったものと考えられます・・・
4世紀古墳時代前期後半築造。
前方後円墳。
墳丘長127m。
前方部後円部とも3段築成。
前方部幅70m、後円部直径84m。
周濠は幅の狭い鍵穴型。
平城京の右京北辺二坊に位置します。
墳丘後円部北東側あたり。
墳丘後円部北側。
墳丘北側。
佐紀石塚山古墳の第13代成務天皇陵拝所より南を見ています。
墳丘北西側。
■奈良県道52号精華線
■孝謙天皇陵前交差点
墳丘北西側。
墳丘西側。