京都市東山区三十三間堂廻り町、三十三間堂の東向かいにある寺院。

 

俵屋宗達の白象は目にしたかったので大満足でした。

動きや表情が感じられ、ユーモラスな趣きがとても印象深い!

 

アニメの技法にも通じているようで興味深いですね。

 

 

■勅使門

北門。表門。

江戸前期建立。

 

■山門

正門。南門。通用門。

重要文化財。江戸前期建立。

 

1594年(文禄3年)淀が父浅井長政の菩提寺として養源院創建。

1619年(元和5年)落雷により伽藍焼失。

1621年(元和7年)崇源院(江)により境内再興。

 

当初は浅井家菩提寺として創建しましたが、崇源院(江)による再興もあり、しだいに徳川将軍家代々位牌所も兼ねながら存続していきます・・・

 

 

 

■客殿前手水舎

 

 

 

 

■客殿

本堂。御位牌殿。

重要文化財(附:鬼瓦には元和七年二月吉日の銘)

西面に奥玄関(車寄)、北面に奏者所、北東隅に内仏壇及び廊下がそれぞれ附属。

 

1600年伏見城の戦い。

1619年(元和5年)伏見城破却。

1621年(元和7年)伏見城の殿舎を移築。

一重、入母屋造、本瓦葺、西面奥玄関、北面奏者所附属、本瓦葺。

北東隅内仏壇及び廊下附属、桟瓦葺

桁行11間半22.8m、梁間9間半18.9m。

六間取りの禅宗寺院方丈形式。

牡丹の間は秀吉の学問所。

本尊は阿弥陀如来。

 

 

客殿内部は有料拝観となります。

 

廊下天井は鳥居元忠を弔う、血天井と呼ばれる伏見城遺構。

1600年8月26日-9月8日(慶長5年7月18日-8月1日)伏見城の戦いにて自刃し、血に染まった床板を、のちに天井に移築して保存。

1600年10月21日(慶長5年9月15日)関ケ原の戦いが終わるまで戦後処理が進まず血糊が染み込み洗っても削っても取れなかったとのこと。

 

杉戸は俵屋宗達による白象図、唐獅子図、波と麒麟図。

襖は俵屋宗達による松図、狩野山楽による牡丹図。

ともに元和再建時に製作。

 

 

■玄関

客殿西面に入母屋造妻入、軒唐破風付の奥玄関を附属。

 

玄関、客殿南西側。

 

玄関南側。

 

 

 

客殿東南端から矩折りの廊下が護摩堂に接続。

 

■護摩堂

重要文化財(附:廊下)。非公開。

江戸前期建立。

質の高い伽藍再興期の様相を良好に伝えるものとして重要。

 

客殿東側には、養源院書院庭園が広がります。

かつては書院の南に位置していた庭園遺構ですが、今は書院は現存しません。

平成初期に復元されています。

 

 

■養源院書院庭園

京都市指定名勝。伝小堀遠州作。非公開。

江戸中期には存在が確認できますが作庭時期不明。

昭和末期にかけて荒廃が進行。

1991-93年(平成3-5年)庭園保存整備事業。

 

■養源院指図

宮内庁書陵部蔵。1608年(元禄11年)。

左が北。

客殿の東北端から北には内仏壇、その東が風呂屋。

内仏壇の北には書院、小書院、茶所があり、その西には上台所、台所。

 

つまり表門、表参道、中門の正面には台所その奥に書院。

南に御位牌殿、その南東に護摩堂を配置。

 

■養源院惣絵図中井主水正控

京都府立総合資料館蔵。1707-10(正保4-7年)あたりと推察。

中央下部が御位牌殿(客殿)、右下に護摩堂。

上部に描かれている書院は現存しません。

 

上図の東に養源院書院庭園を合成。

 

■養源院書院庭園

平成元年調査実測平面図。


 

 

■延命地蔵尊

 

 

 

■鐘楼堂

重要文化財。

質の高い伽藍再興期の様相を良好に伝えるものとして重要。

1650年頃建立。

桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺。

 

 

 

 

■客殿

 

 

 

客殿の北に伸びる部分、寺務所や庫裡のような

 

■中門

重要文化財(附:番所、築地塀2棟)。非公開。

江戸前期建立。

質の高い伽藍再興期の様相を良好に伝えるものとして重要。

 

 

中門前の石段。