応仁の乱で全山灰燼に帰し、大師堂以外の建物は焼失しました・・・・・
そして、神護寺最古の建物となったのが、この大師堂。
■後生車
罪過を懺悔し浄化されることを閻魔大王に願います。
天気輪、天気柱とも呼ばれ、マニ車がルーツとされます。
■石燈籠
大師堂東側正面。
■大師堂
重要文化財。
様式は桃山建築。
桁行左側面四間、右側面五間、梁間三間、一重、入母屋造、杮葺。
809-823年(大同4-弘仁14年)「納涼房」に空海(774-835)が居住。
1168年(仁安3年)文覚上人が空海住房跡地に「納涼殿」を復興。
応仁の乱(1467-77年)にて大師堂以外の全山焼失。
1615年頃、細川忠興(1563-1646)寄進にて大師堂再建。
2018年の台風21号により、北側の杮葺が捲れています。
雨漏り対策としてビニールシートにて応急手当中。
大師堂北東側。
紅葉の時期には、こんないい感じ・・・・
大師堂南面。
大師堂南西側。
大師堂西側背面。