方丈北の庭園より眺めます。

 

 

 

 

 

■納骨堂

扁額「霊照」。

 

 

 

方丈西側より庭に下りて、北側庭園を巡ります。

 

 

 

 

 

■田村月樵碑

田村宗立(1846-1918)、別号月樵。

碑上部には遺愛の三尺の大硯。

建仁寺の襖絵を残しています。

 

 

■清涼軒

 

門。

 

 

 

清涼軒南面。

 

 

 

 

 


 

 

東隣の東陽坊への石飛。

 

清涼軒東面。

 

 

清涼軒北面。

 

清涼軒北庭。小さいながらも石橋の小川に癒されます。

 

 

 

清涼軒と大書院とを結ぶ北側渡廊。

 

渡廊の途中の建物。

 

 

 

■東陽坊

茶室。二畳台目。

 

1587年(天正15年)秀吉の北野大茶会副席。

東陽坊長盛(千利休門弟)好みと伝わります。

 

真如堂塔頭東陽坊の末寺・高林寺、建仁寺開山堂と移築を繰り返し・・・

1924年(大正13年)現在地に移築。

 

南西側に躙口があり、すぐ上に下地窓、左上には刀掛け、右に覗き石と塵穴、烏帽子石。

 

 

東陽坊の南西の蹲。

 

 

 

 

西への道を進むと、清涼軒へ・・・・

 


 

北西への道を進むと・・・・・・

 

東陽坊の北西の蹲。

 

 

東陽坊南面。連子窓。

 

南東側の点前座には風炉先窓と色紙窓。

 

東陽坊東面。

 

円窓のある北東側は控の間(二畳台目向板)。

 

 


 

東陽坊北面。中央には下地窓。右手は水屋。

 

 

■建仁寺垣

 

■安国寺恵瓊墓

安国寺恵瓊(1538-1600)の首塚。

関ケ原の合戦後、六条河原にて斬首された首を、方丈北に埋葬。

 

納骨堂北東側。

 

納骨堂北面。

 

納骨堂北西側。

 

 

方丈西側。

 

 

 

 

 

 

渦。

 

■織田信長供養塔

七重石塔。織田有楽斎(1547-1622)により建立された十三重石塔残欠。

 

1898年開山堂より当地に移築。

江戸期には開山塔南の溝底に隠されていたとされます。

 

■赤松

 

 

水の流れを表わす、かなり幅広めの砂紋が5本も。


 

 

■大雄苑[だいおうえん]

方丈前庭、方丈南より西に至るL字型の石庭。

 

1940年(昭和15年)方丈修理時、加藤熊吉作庭。枯山水庭園。

 

 

 

中国江西省奉新県の最初の独立禅宗寺院・百丈寺にちなみ、創建の地である大雄山(百丈山)の眺めを模したとされます。

 


 

 

白川砂の砂紋の広がる中、左手(東)には三巨石、右手(西)に二石、石塔が水面に浮かぶように見えます。