大阪府堺市北区百舌鳥西之町にある被葬者不明の古墳。

 

 

まぁ・・・

 

そもそも百舌鳥古墳群は、ほぼほぼ被葬者不明と言っても過言ではないでしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

百舌鳥古墳群の中では第3位の大きさ、国内でも第7位の大きさを誇ります。

 

当然、5世紀後半当時の大王[おおきみ]の墳墓と考えられ、第18代反正天皇の空墓、陵墓参考地として治定されています。

 

 

東より後円部。

 

 

 

■百舌鳥共同墓地

 

 

 

 

■木橋跡

この付近に橋脚柱穴が検出されています。

幅12m、長さ45mの木橋が架けられていたと考えられています。

 

 

 

 

 

 

 

本来は2重濠でしたが、2重目はすべて埋没しており、墓地、住宅地、農地、公園などとなっています。

 

現在は盾形周濠のみ。おかげで周囲から墳丘の形状がとてもよくわかります。特に北側の造出[つくりだし]ははっきり目視できます。

 

北東より墳丘全景。

 

 

 

 

■造出[つくりだし]

くびれ部分にある、くっきりと大きく張り出した北側造出。

 

全体より低く、しかも平坦な形状がわかりやすい。

 

 

 

 

 

 

 

墳丘北西角。

 

 

 

 

 

 

陵墓参考地となるため、拝所は存在しません。

しかし公園整備がなされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

墳丘南西角。

 

 

 

■御陵山公園

 

 

 

 

 

 

■造出

南側造出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行き止まり。