これほど美しい池は見たことがありません。

 

 

空と山とすべての景色がそこに投影されて

・・・・・その名のごとく、まさに鏡!

 

不思議なことにどの方角から見ても鏡。

こんなことがあるんでしょうか。

 

リバーサルフィルムを見るように深く青く透明感のある青空のグラデーション。

 

 

平安時代、当地がまだ徳大寺家の山荘であった頃、貴族たちは龍頭船を浮かべて楽しんだとされます。本当に贅沢な遊びです。

 

雪、花、夜の星月夜や紅葉乱舞した景色を堪能しながら、歌舞音曲とともに興じる酒など至福の極みでしょう!

 

 

石庭が注目されていなかった江戸時代には龍安寺と言えば、まず鏡容池。

 


 

■鏡容池[きょうようち]

 

クヌギでしょうか・・・・・・・

ひときわ目立つ黄色の大樹があります。

 

かなり池に傾いて張り出し、多くの支柱が見られます。

 

 

 

 

当初は灌漑用の溜池でした。

 

984年(永観元年)円融天皇により円融寺の園池として境内に取り込まれます。

その後円融寺衰退。

 

平安末期、徳大寺実能・実定により山荘建立、池周囲を作庭。

 

1450年(宝徳2年)細川勝元により龍安寺創建。

応仁の乱(1467-77)により全山焼失。

1499年(明応8年)細川政元・特芳禅傑により再興。

 

明治の廃仏毀釈により衰退。

 

1975年英エリザベス女王訪問により大きく注目されました。

 

 

 

 

■辨天島

中央の島。島には太鼓橋が架かり大辨財尊天が祀られています。

 

鳥居、拝殿、本殿。

 

 

2本の支柱に支えられている松の大樹。

 

 

 

辨天島と背後の朱山。

 

 

■真田幸村の墓

辨天島の西にはもうひとつの小島(無名)があります。

塔頭・大珠院の境内前であり一般には非公開。

 

豊臣家大名で尾張犬山城主であった石川備前守貞清(雲岳宗林)は、大珠院の大檀家であったそうで、この島に真田幸村夫妻、嫡男・幸昌の供養墓である五輪塔を建立したとのことです。

 

貞清の正室は幸村の七女・於金であったとも伝わります。

 

 

■伏虎島[ふしこじま]。

東の島。

 

 

伏虎島ではいつも鳥が佇んでいます。

 

 

 

■椿の垣根