名古屋大空襲まで存在していた本丸御殿。
その当時の再現模型が天守閣内に展示されています。
現在再建している寛永期(1624-44)の本丸御殿と比較してみます。
■玄関
やはり屋根の印象だけで全体の趣きがぐっと違ってきますね。
大きくはないものの二条城二の丸御殿を彷彿とさせます・・・・・
巨大な御殿や書院も各地にありますが、装飾的に美しいものはそう
数多く存在しません。
焼失前の建物は装飾が削がれて、官庁としての枯れた側面だけが
残った感じが否めません。必要の全くない贅沢な杮葺や装飾かも
しれませんが、それこそが歴史的遺構の蜜の味というヤツ!
当初の特徴的な華美さがある方が嬉しいものです(^^)
例えば車寄せの銅板葺、唐破風の良さがここまで抹殺されている
銅板葺屋根を始めて見ました。
独特と言うより、無性に強引過ぎて悲しくなります。
しかし実用性、維持費の面などから杮葺は相当困難だったんでしょう。
■表書院
桟瓦に銅板を組み合わせた屋根。
入母屋の妻部分は質素に白漆喰のみ。
左から表書院、溜之間、下御膳所、その背後に対面所。
中之口部屋の模型はありません。
下御膳所~対面所。
対面所断面。東側。
対面所断面。西側。
現在工事完了して公開されているのはここまでです。
■上洛殿
南東より。
■上洛殿断面図
南西より。
■湯殿書院
南面。
西面。
北面。
■黒木書院
北西より。
■上御膳所
北西より。
■上台所
最も雰囲気の異なるのがここです。
決して華美ではないですが、シンプルに美しく興味深い建物です。
板壁から漆喰壁へ、切妻から寄棟へ、全面桟瓦葺から本瓦・杮葺
併用へ、全く違うものに変化しています。
北面。まるで木造校舎か長屋のような外観です。
改築された痕跡が残っていたんでしょうね。
孔雀之間~柳之間~上台所
こう見ると桟瓦葺の味気ないこと。当初の姿に再建されてラッキー。
対面所~孔雀之間。
復元前の御殿礎石跡。中庭跡(芝生部分)も鮮明です。
1931年(昭和6年)当時の名古屋城。
当時の本丸御殿。