大神神社、三輪山には数多くの神社が鎮座します。

 

それは大小様々、歴史も様々、実に数多く存在しています。

 

 

 

狭井[さい]神社

 

■一の鳥居

 

 

 

大神神社 境外摂社

 

正式名:狭井坐大神荒魂神社

別名:花鎮社・華鎮社・しずめの宮

 

旧社格:式内社

 

■縄鳥居

 

 

朱祭神:大神荒魂神

配祠神:大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多々良姫命、事代主神

 

 

垂仁天皇(BC29-AD70年)の御代に創祠。

 

もとは大和神社(おおやまとじんじゃ・天理市)別宮。

 

701年(大宝元年)大宝律令には国家の祭祀として鎮花祭(4/18)を行う

旨規定されています。現在の薬祭。

 

明治期廃絶状態に陥るもののその後復旧。

 

病気平癒、身体健康の神様。

 

■拝殿

拝殿右に神体山登拝受付所があります。

登拝申込み(300円)を行い、登拝証となる襷が渡されます。

 

 

 

 

■本殿

拝殿背後、一段高い崖の上になります。

 

■薬井戸

拝殿脇の万病に効く薬水「ご神水」が湧き出る井戸。

 

狭井(さい)とは神聖な水源を意味します。

狭井より湧き出る薬水は霊泉として信仰対象となりました。

 

 

■授与所

登拝に関する事前説明がこちらで行われ、登拝証となる襷を返却する窓口でもあります。

 

 

 

 

■三輪山登拝口

登拝許可を得て、襷を掛けてから入山します。

まず各自大幣にてお祓いを行います。

 

近年、様々な禁止事項を平然と破る人が増えたことから、神職の方の事前説明の口調も厳しくなってきています。

 

単なる登山や、観光などと思わず、敬虔な気持ちを大切にしてください。

 

裸足になり、ゆっくりと登られる方も少なからずおられます。

くれぐれも、そういうところだという認識で。

 

 

 

参拝証を皆必ず首から掛けます。

 

■三輪山登拝案内図

※山内の撮影は認められません。

 

 

案内によれば、登下山往復約4km、時間2~3時間とのことです。

私は休憩をとらず、そこそこ速足だったので往復約1.5時間程でした。

 

靴や服装があまり適当でない人もちらほら見られます。

予備知識なしにちょっとした参拝と思って登り始めるたりすると、予想以上にツラい思いをすることでしょうし、登拝として前もって準備してきた人にとってはごく軽めのハイクなのかも知れません。

 

汗をかくので薄着のできる服装は必要、靴は運動靴でも十分です。

水分補給できる準備があれば完璧。

 

山頂の高宮神社は瑞垣に囲まれた小さな祠です。

その奥にある奥津磐座[おきついわくら]には大小の岩が、不規則にゴロゴロとたくさんあります。

よく見ると線刻が彫られている石も見られます。

 

 

 

■手水舎

 

 

■皇后陛下御歌

 

■三島由紀夫碑

 

■お手洗い

 

 

 

 

 

市岐島姫神社

狭井神社 境内社。

 

祭神: 市岐島姫命

水の守護神、弁財天。

 

■鳥居

 

 

鎮女池(しずめいけ)に架かる橋。

 

■社殿

 

 

 

 

 

 

 

久延彦[くえひこ]神社

 

■縄鳥居

 

大神神社 境外末社

祭神:久延毘古命

 

智恵の神様。受験合格、学業向上。

 

■一の鳥居

 

 

■二の鳥居

両鳥居とも近年修理されているようです。

 

■絵馬書所

 

■参拝者休憩所

 

■拝殿

 

 

 

■本殿

拝殿背後。

 

■神山遙拝所

 

遙拝所より望んだ三輪山。

 

■展望台

 

展望台より望んだ一の鳥居。

 

池と水上に架かる茶店。

 

東側参道。展望台入口。

 

 

大直禰子[おおたねこ]神社

 

 

大神神社 摂社

別名:若宮社、若宮さん

 

■鳥居

扁額「若宮社」。かつては若宮神像が祀られていました。

 

主祭神:大直禰子命 (大田田根子命)

配祀:少彦名命・活玉依姫命

末社祭神:大物主神・鴨津美良姫命

 

■社務所

 

崇神天皇( BC97-29年)の御代に茅渟県陶邑(堺市)より大神神社

初代神主(大神氏始祖)として派遣されたのが大直禰子とされます。

 

奈良~江戸時代「大神寺」、「三輪寺」、「大御輪寺」などと呼ばれる

神宮寺の時代でした。

 

1871年(明治4年)大直禰子神社に変更。

本尊:十一面観音像(国宝)を聖林寺へ移管。

地蔵菩薩像を法隆寺へ移管。

仁王門を安倍文殊院へ移築、三重塔は破却、本堂は本殿に変更。

 

 

■本殿

重要文化財。

1986-89年(昭和61-平成元年)解体修理、調査。

奈良後期(建物創建時)の用材使用が確認されています。

 

1553年(天文22年)「吉野詣記」、1583年(天正11年)「顕如上人雑記」

三輪明神の王子(若宮)生身入定の説話があります。

古くから神社の様相が強かったようです。

 

 

一重入母屋造、本瓦葺、方五間(各28m)

 

 

 

神宮寺時代の本堂を本殿に利用しているため、社殿としては特異。

拝殿は存在していません。

 

内陣がまさに本殿のような場。外陣が拝殿の代替のよう。

 

 

 

 

本殿東面。

 

 

本殿北背面。

 

 

 

構造材に大小多くの接木が見られます。

 

もう寄木細工に近い(笑)

でもこれほどまでに古木の価値を重要視してきた先人に感謝。

 

本堂西面。

 

 

 

■手水鉢

 

■御饌石 みけいし

久延彦神社に神饌をお供えしたり、遥拝する場所となります。

 

 

■御誕生所社

大神神社 末社

 

■磐座

祭神:鴨津美良姫命

 

 

■琴平神社

大神神社 末社

 

祭神:大物主神

 

 

■若宮献灯

1864年建立。四角方柱三基並びます。

 

■おだまき杉

鳥居脇の古株。