最後の赤ヘル軍団をクライマックスシリーズで迎えたかったが、残念ながら4位にな


り駒を進められなかった


広島市民球場は名の通り、1957年(昭和32年)被爆都市ヒロシマの復興の象徴と


して市民の協力を得てオープンした。いつも最下位でも気骨のある選手が輩出し


た。途中、マツダ自動車が加入したが、資金的には乏しく、金本・新井選手など


一流選手は阪神に引き抜かれていった


しかし、昭和50年ごろから,古葉監督が山本浩二・衣笠選手などを率いて強くなり


51年に遂に初優勝を遂げることになった。 そのときの様子が今でも目に浮かぶ。


市民が中心になりパレード・商店街は樽酒を振る舞い、てんてこ舞いの騒ぎであっ


た。 ヒロシマ市民球場には他の球場にはない特異の注意書きがある。グランドに


下りない、物を投げないなどは当たり前だが、「スタンドでは焚き火をしないこと」と


ある。観客の気の荒い象徴が微笑ましい!


私はあの頃、広島支店にいたので、我が家の喧嘩?のもとは、贔屓球団が別れて


いることだ。 私と長男は巨人フアン・女房と長女は広島カープフアンだからだ。


懐かしい楽しい思い出だ!


広島市民には<勝てカ-プ 野球を知らぬ わしじゃけど>現代川柳より


それほど市民に慕われている球団と球場である。