先日、友人のお誘いで、こちらの舞台を観劇しました。久しぶりのストレートプレイの舞台で、言葉と言葉の掛け合いに圧倒され、キャストの方々のパワーに終始頭の中をかき乱され、脳が活性化したように思います。

とはいえ、こちらの舞台、一度見ただけで、多くを語るには奥が深いので、感じたことを書くには申し訳ないのですが、思ったことを書かせていただきますので、ご了承ください。

 

まず、こちらの舞台のキャストの方々は、米原幸佑さん以外は、お初です。

米原さんの舞台・・いつぶりだろう・・。そんな感じですが、前半の遠目でもわかる顔の良さに、年月の流れを感じない安心感・・と思いきや、途中の長い長いセリフ・・・。俳優としての積み重ねが、容姿だけの薄っぺらい皮一枚の人ではないことが伝わり、改めに安心感。いや、感動。

米原さんを観に行けてよかったー・・。

 

で、こちらのあらすじ・・は、殺人を犯した若き男娼とその真実をさぐる刑事の取調室のやりとり・・で、不眠不休の36時間続いた取り調べのちの、犯人が告白する最後の一時間に語られた真実・・を描いた二時間弱の舞台。

 

舞台は1967年のモントリオール。モントリオールオリンピックのあったあたりの時代背景で、世の中の治安が変わりつつある、いわゆる、貧困層で生き抜くために正当化とまではいかないけれど、それはそれとしてあった体を売る店が強制退去されて、社会の恥部を排除することでキレイな街・・をめざした・・人権が全ての人にいきわたってない時代背景の中で描かれた戯曲・・かな・・。

 

愛されることを知らぬまま、生きるために体を売って生きる少年・・青年かな・・が、ほんとうの愛・・愛されることの喜びを知ると同時に、その未熟な心故に説明しがたい恐怖・・にさいなまれ、愛する人を愛し合う絶頂期に殺してしまう。

手に入れたと同時に失うことの怖さ・・、今日を生きるために生きることしか知らない経験の未熟さ・・、無償の愛を知らない無知さ・・無垢な少年のままの心・・そのすべてが彼の中では説明のつかぬ感情となり・・初めて体だけでなく自分を愛してくれた、育ちも階級も違う彼を殺してしまう・・。

その事件の真相をつきつめるために、翻弄される取り調べ官たち・・。

 

こちらの舞台には、男娼の少年・イーヴが殺人まての経緯を語るのみで、クロードはでてきませんが、取り調べ官たちとのやりとりで、人物像が描かれます。とにかく、ほぼ・・イーヴの語り・・。主演の溝口さんの細くて華奢な体から・・そのパワー・・。圧倒されます。小さくなって膝を抱えたり、いすを逆さにして背もたれにして座ってみたり・・。とにかく、じっとしてなくて、でも、一つ一つのしぐさがかわいい・・。柔らかな高いトーンの声かと思えば、突然・・太く荒々しい声になって・・でも、またすぐに優しいトーンになったり・・。

 

生きることだけに純粋な心のまま育った少年・・は、たぶん・・、翻弄したいわけではないけれど、教育されずに稚拙な感情のまま育った生い立ちゆえに・・、感情を言葉で表現するにはボキャブラリーの少なさで、夢心地に穏やかに語るときも、落ち着きなく、あちこちに移動し、突如、いらだち声を荒げたり、、狂気の叫びになったり。

客を喜ばすことで生きてきた彼には、現実に起こしてしまった事件・・を、自分の心を・・・正しく伝え語るには難しく・・。そもそも、人に伝えることがニガテ・・刹那的に生きてきた少年・・青年・・のイメージでした。

 

なにより、前半のイーヴの白いふわふわっでたっぷりとしたブラウスのゆるっとした感じと、取り調べ室の大きな窓に腰かけたときの外からぽわっとした白い日の光とのコントラストが、彼の美しさと幼さが強調されていて美しかったです。そして、イーヴの告白とともに、その窓の光が、濁った銅の鈍色に変わり、ラスト、告白を終え、記者たちの待つ扉を開けると、そこには人工的な光・・イーヴは、その光に吸い込まれていくように消える・・。あたりの演出が、イーヴの無垢ゆえの純粋の心の終わりを告げるような・・そんな印象でした。

 

 

この時代設定の背景・・思い出すのは、リバー・フェニックスくんとキアヌ・リーヴスくんの出てた、映画・マイプライベートアイダホ・・を思い出すわけです。

貧困ゆえに男娼として生きる少年と、富裕層でありながらも親に反発する男娼の少年・・の青春の一ページの話。この映画、こちらの作品のあとに見てみてはいかがでしょうか・・。