武蔵浦和の弁護士・レンジャー五領田法律事務所代表弁護士のブログ

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示談交渉を専門にする元自衛隊出身の代表弁護士が自衛隊や筋肉その他のマッスルなことを法的につづります。

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昔は弱く、今は強くなったという話をしようとしているのでありません。そのとき私は大学の6回生、大田区馬込で2年目の新聞奨学生をしていました。

陸上自衛隊への入隊を決めたのはいいものの、実際自衛隊でどんな訓練をするのかは全く分かっていません。配達は全て駆け足で行い、夕刊はカブではなく自転車での配達、講義は必ず出て昼寝は絶対にしないなど、自分なりに心身を鍛えその準備をしていたものの、高校を卒業したばかりの若鮎のような者たちとしのぎを削って一緒に訓練をするまでの自信は到底ありませんでした。桜が散り、夏が近づくとその不安は現実のものとなって行き、その現実のものとなった不安が、24歳になろうとしている社会に出る若者としては老境に差し掛かった私を徐々に支配して行きました。私はまるでゴッサムシティに降臨する前の蝙蝠に怯える幼少期のバットマンのように内なる恐怖と闘う日々を送っていたのでした。

何とかしなければと思い身体を鍛えるためのトレーニング場を探すと、寮のある馬込からは大田区立体育館が一番近いことが判明しました。もう夏が終わりかけ、夜に台風が来る予定だったが夕方にそれが過ぎ去り、この世の終わりのように紅い夕焼けを見た日の夜、私は新聞屋のカブで大田区立体育館に向かいました。

 その頃の大田区立体育館は昭和50年にアントニオ猪木が新日本プロレスを旗揚げしたそのままのもので、トレーニング場も中二階にバーベルとダンベルが雑然と並べられてあるだけで最新式のマシーンなどある訳もない、薄暗くて古臭い埃の匂いがする掘っ立て小屋のような体育館でした。挨拶代わりに冗談交じりで、「ふくらはぎを鍛えるマシーンはありますか?」と新聞屋のジャンバーを着たまま管理人らしき人に尋ねると管理人は「ん?」と言ったまま何も答えずただただ私の方を見ています。辺りを見渡すと、健康のために軽く汗を流すような人が一人もいません。唸り声を出してバーベルを挙げ下げする大男や、一見普通のサラリーマンだが「もうダメだ、もうダメだ!」と叫びながら一向にスクワット辞めようとしない人、お互いの腕を紐でくくってアームレスリングの練習をしているYAZAWA系ド真ん中の現役不良中年二人組、その管理人自身も筋肉が発達し過ぎて手足の区別がつかない豆タンクの様な体型をしており、ここが公共施設とはとてもじゃないが信じることが出来ない異様な空間がそこにはありました。後でわかったことですが、その管理人は国士舘大学の柔道部出身、重量挙げの世界選手権を3連覇している方で、何かを尋ねると必ず大きな目をひん剝いて「ん?」と言う癖の強い人だったのです。器具の扱いマナーには五月蠅く、真夏の海でいい思いしてやろうぜ的な輩には特に五月蠅く、結局真摯なトレーニーしか残らないというもはや区民体育館でなく道場に近い空間になっていたのでした。

朝晩の配達があるため軽く鍛えて上がろうと考えていた私に管理人は「枝を鍛えても枝だけ太くなることはないですよ。まず幹を鍛えなさい。」と諭し、私は新聞を配るときの格好のままベンチプレス台に乗せられることとなりました。今考えると豪華なことですが、その管理人は兎に角、補助につくのが好きでした。ベンチプレスの補助につかれると超至近距離で管理人の股間を見ることになります。今では何も思いませんが、その時は恥ずかしくて目をギュッと強く瞑っていたことをよく覚えています。

 配達に支障が出てはいけないと当初は週に2回くらいと考えていましたが管理人は二日来ないと「しばらく来なかったが風邪でも引いていたのか?」と言ってきます。途中からスクワットもさせられることになるんですが、週に5回はベンチプレスをしていたように思います。自衛隊の訓練と言えども3桁、つまり100キロ持ち上げればそれに太刀打ちできるだろうという根拠のない淡い希望が、入隊への漠然とした恐怖を打ち消しました。訓練の目的の一つとして、恐怖という動物的な反射を矯正して感じないようにすることというのがあります。ベンチプレスをやり込むことで私は入隊まえ既に訓練を始めていたのかもしれません。

 夏から始めたベンチプレス、目標としていた100キロは年明けに達成することが出来ました。近所の肉屋で鳥のささみを大量に買い込み、それを茹でて寝る前にプロテインドリンクで流し込むという食事を続け、体重もあっという間に10キロ以上増えました。そして、その年の3月末にベンチプレス115キロ、体重70キロと言う肉体で横須賀の武山駐屯地の衛門を潜ったのです。ベンチプレスを100キロ持ち上げることで入隊への恐怖がなくなったかという質問の答えはイエスでもあり、ノーでもあります。現に入隊日、バスが駐屯地に近づくと「そんなに要る?」と誰もが思う夥しい数の鉄棒がまるでオブジェのように誰もいない衛庭に並べられているのが見えて、まだ習っていない回れ右をしそうになったことは紛れもない事実です。

 繰り返しますが、昔は弱くて今は強くなったという話をしているのではありません。あの時私は、自衛隊と言う未知で巨大な存在に恐れと戦きを感じその戦慄を日々乗り越えようともがいていたのです。その結果に得たものがわずか八か月でマックスを二倍にした重量のベンチプレスを持ちあげたことであり、入隊直後大浴場で若鮎のような隊員たちを騒然とさせた大胸筋だったのです。

 入隊後の前期訓練で私は若鮎のような若者たちと真っ向勝負をして体力1級徽章を授与され、精強の途を辿ることになります。1年前では全く考えられないことでした。

 当たり前の話ですが今でもまだ何かに恐れや戦きを抱くことはあります。しかし、あの頃のように急き立てられるように鉄の重りを挙げ下げし、これを辞めたら自分がバラバラになってしまうのではないかと言う存在自体の恐怖や戦きを感じることはありません。ホッとする反面でどこかやけに年老いた気持ちになるというのが正直なところです。

 皆さんの話も聞かせて下さい。夜中でも構いません。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、武蔵浦和で貴方をお待ちしております。

自衛隊を退職して近所のイトーヨーカ堂でレジを打ち始めた頃の話です。当時の私は択一式試験と言う司法試験の第一関門を三回連続で落ちており、退職金も底をつきかけ、しかも子持ちで人生の黄色信号が灯り始めた青年と言うには無理がある34歳の男でした。

ところで、閉店前のレジ締め業務は防犯上二人一組で決められたルートを辿って出納係の待つ部屋まで行きます。従業員用のドアを潜り薄暗い通路を歩いていると、一緒に歩いていた大学生の女の子から「すみません、答えたくなかったら答えなくてもいいです。一つだけ聞いていいですか?」と言われました。何でも聞いて下さいと言うとその女子大生がこう言ったのです。「いま何歳なんですか?」と。実年齢でいいんですよね?と一応確認を入れた上で本当の年齢を告げたのですが、その後彼女が私に何かを尋ねることはありませんでした。

その女子大生とは別の従業員で、A子さんと言う人がいました。彼女は私の教育係だったのですが、代謝不能で嫌だったのが、彼女がお客様の前でいちいち私を指導することでした。

自衛隊では何か指導する必要があったとき上官はその隊員の後輩がいる前で指導をすることはありません。おそらくトップダウンの指揮系統を維持するためでしょうが、湯気が出るほど怒っている上官でも一応その隊員の下の隊員が傍にいた場合には何処かよそへ連れ出すか、その下の隊員をよそへ行かせてから指導を入れます。これはかなり徹底された不文律であり、私もほんの一度だけ後輩の前で指導を入れられたことがありましたが、その後すぐ「下の前で指導してすまなかったな。」と何度も謝られた記憶があります。そのせいか、私はその教育係がお客様の前で私を指導することに普通の従業員が感じるよりも遥かに強烈な違和感を抱いていたのです。とはいえ、間違いなくイトーヨーカ堂は決して自衛隊ではなく、その自衛隊を辞めた上で自らの意思でイトーヨーカ堂に入ってレジ操作を性懲りもない程ミスしていたのは自分なので私が彼女に何かを抗議することはありませんでした。

四時間以上もレジに立ち続けるのは歩くと膝がコキコキ鳴っていた当時の私にはかなりこたえるものでした。何より尊大な自尊心をトマトのような額に掲げた女子大生が返す言葉もなくなる34歳と言う年齢で、男として何の尊厳も感じることなく自動販売機みたいにレジに立っていなければならない自分の現状に激しく苛立ち、業務を終えてもまっすぐに家に帰ることは出来ませんでした。暗記をしながら近所の公園で一回も挙がらなくなるまで懸垂をしてから漸く家に帰るという作業を強いられたのです。

今はない近所の曽根というリカーショップが深夜1時に閉まってしまう為、その時間までには暗記と懸垂を切り上げる必要がありました。いつもの様にその頃からあったがすぐに消えてなくなると思っていた檀れいの金麦500ml1本買って家に帰る途中、ふと「おぎゃあ、おぎゃあ。」と赤ん坊の泣く声が聞こえました。「あぁ赤ちゃんが泣いてるな。」と思った途端涙が出そうになりましたが、34歳はもう涙を流してはならない年齢です。涙は若い人間の特権かもしれません。溢れそうになる感情を堪えながらさらに家に向かって歩いていると、その赤ちゃんの泣き声は次第に大きくなっていきました。アパートの入り口を潜っても赤ちゃんの泣き声は聞こえます。赤ちゃんのいる家族はアパートで私の世帯だけでしたので、慌てて階段を駆け上がり家の玄関を開けると大文字のZを秒速で放出する爆睡した奥さんの横で私の長男が泣いていました(笑)

よく思い出す私の原風景です。皆さんの原風景を教えて下さい。夜中でも構いません。

それでは、埼京線と武蔵野線のクロスポイント武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております。

 

 

 SEALDsとは、自由で民主的な日本を守るための緊急のアクション、担い手が10代から20代前半の若い世代が思考し行動する集団と定義付けられています。

 SEALDsはマルクスレーニン主義云々の議論はしないでしょうから全共闘の亡霊が出てきたという訳ではないでしょうが、私たち団塊Jr.のように市民の政治参加という意識がなかった時代に学生生活を終えた者からすれば、全共闘世代に対してそう思うのと同様の羨望を感じるときがあります。「えっ言ってなかったっけ。オレSEALDsなんだ。」みたいなことを彼らが言うか言わないか判りませんが、政治活動に青春を捧げる学生が再登場したことに驚きと称賛と共に多少の嫉妬が入り混じったセンシティブな感情を抱いている団塊Jr.は決して私だけではないと思います。因みに、東大の樺美智子さんが機動隊と衝突して死亡した日にデモ隊の学生が痴漢で逮捕されたそうです。ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎が彼を称して「その指先に実存を集中させたというその意味で、彼は真の実存主義者かもしれない。」と書きましたが、実存主義と聞くとどうしても痴漢で捕まったデモ隊の学生を思い浮かべてしまうのは恐らく私だけでしょう。

 ところで、SEALDsの学生たちは憲法9条がどのような条文なのか理解しているのでしょうか?決して偉そうなことを言おうとしているわけではありません。憲法9条に関する設問は司法試験では、刑法の執行猶予と肩を並べてその問題が出ると解かずに次に進む受験者が半分以上いる「捨て問」となることで有名です。簡単な問題を解いても難しい問題を解いても同じ1点であるため、解かずに適当にマークして次に進むことが受験政策上有益となる場合があり、それが「捨て問」と呼ばれるのですが、私は元自衛官として意地でも正答していました。元自衛官としてどうして憲法9条の問題に固執していたのか今では不明であり、毎回かなり骨が折れたという記憶しかありません。そのせいか、駅前で憲法9条と叫ぶ人達をみると条件反射的にギョっとしてしまいます。恐ろしいことに、私が所属している埼玉弁護士会は左の聖地さいたま宜しく殆どの弁護士が左であるため、かなりの頻度で憲法9条関係のFAXが送られてきます。強制加入団体なのに政治活動していいのでしょうか…。思想信条の自由を保障している憲法19条に反しないのでしょうか?と元最高裁長官に問い合わせたいのですが、お世話になった方も含め偉い弁護士の殆どが左であるため、私はただただギョっとするだけです。

 話を元に戻してすぐに終わりますが、政治が老人のものと思い込みノンポリの代表を決め込んでいた私の学生時代では考えられない新しいムーヴメントがSEALDsによって巻き起こされています。沈黙を打ち破ってやろうぜぃ!と、言葉にできない思いを叫び続ける若者を応援したい気持ちは左も右も関係がありません。

SEALDsの皆さん、頑張ってください。SEALDsに真の実存主義者がいるかどうか私は判りませんが、機動隊に逮捕されたらすぐレンジャーに御連絡を!JR埼京線とJR武蔵野線のクロスポイント武蔵浦和駅から駆け付けさせて頂きます。

 養育費とは、未成熟児が社会的自立をするまでに必要とされる費用のことです。この養育費は親が子供を育てる費用とみなされているため、受け取った養育費の所有権はあくまでも子供のものです(民法752条)。そのため子供の親権を父親が勝ち獲った場合であっても父親は母親に養育費を要求することが出来ます。

 最新の全国母子世帯等調査によれば離婚後現に養育費を受け取っていると答えた監護者は5人に1人しかいません。父子家庭に関しては20人に1人しか母親から養育費を受け取っておらずこの数字は欧米に比べて極端に低い数字であります。

 その理由として私が考えることは、同様に先進国の中で極端に低い面会交流の疎遠さにあります。実際に家庭裁判所で父親の代理人として活動するとすぐにわかることですが、裁判所は月12時間以上父親を子供に会わせようとはしません。これを世の中がそうなっているという意味での「相場」と考えればそれに従わなければならないのでしょうが、生まれつき物分かりが悪い私は調停員に噛みついてでもその相場に追従することはありません。そもそも、月1回2時間という相場は全く法的な根拠がないものです。裁判所がそれ以上責任を取れない、つまり苦情を言われるのが嫌であるか、調停員が勝手に信じている男は育児が無理だという虚妄、或いはお得意の事なかれ主義のいずれであることは間違いないので、あくまで弁護士としての品格を喪わない程度にギャンギャン吠えると次第に相場の枠が壊れて行きます。この話題は共同養育実現に向けて日夜の草の根運動を繰り広げている私のメインテーマなので折に触れて話していきたいと思いますが、本日の本題は養育費です。メインテーマと聞いて、薬師丸ひろ子の~メインテーマ~を口ずさみ始めた方も気を取り直して聞いて下さるようお願い致します。

 離婚の全体の1割と言われる調停離婚で離婚をした場合、必ず養育費に関する条項を結ぶことになりますが、条項を結んでもその後3年以上その養育費の支払がなされている割合はせいぜい5人に1人いるかいないかということです。その理由は定かではないですが、いちいち名作映画カサブランカのように愛し合って別れるカップルは極々少なく、二十歳の薬師丸ひろ子のように傷つく感じが素敵という理由で別れる夫婦は恐らく全くと言っていいほどいないと思うので、当然嫌いな人とはお金の連絡をするのも嫌という即物的生理的な理由が介在することは間違いないでしょう。

 ところで皆さん養育費の時効って何年かご存知でしょうか。養育費支払い請求権は「年又はこれより短い時期によって定めた金銭を目的とする債権」として五年の消滅時効が定められています(民法169条)。これが短いか長いかは個々人の受け取り方ですが、例えば7年前に子一人につき月額3万子二人が監護者に支払われる条項が結ばれたのにもかかわらずこれが払われていないという状況の場合、監護者は非監護親に少なくとも5年分の360万円を請求することが出来ることになります。しかもこの債権、通常の債権が四分の一のところ、何と二分の一も給料債権に差押えが掛けられます(民事執行法152条3項、151条1項3号)。さらにさらに、仮に破産しても債権が免責されず、地獄の果てまで追いかけてくるという執拗さも兼ね備えています(破産法253条1項3号ハ)。

 私は離婚を経験したお客様には必ず養育費だけはキチンと支払いましょうと言わせて頂いておりますが、大抵皆さん「だって子供に会えないのにどうしてお金だけ払わなきゃならないの」と仰られます。子供に会わせないことを裏で手助けする家庭裁判所が悪いとは口が裂けても言いませんが、そう仰られるのも無理はありません。ただ、冒頭で申した通り、養育費は親から子に支払うものです。たとえ会えないとしても、人の親として最低限出来ることはすべきです。親権は取れなかったけど自分は親としてお金だけは払っていた。その歴然とした事実が貴方を救ってくれる瞬間が必ずある。その逆は地獄だ、と信じてやまないのです。

 他方で、養育費を請求していない監護親に対しては必ず請求するように言わせて頂いております。「実の親なのに養育費も送ってくれなかった。私は親から見捨てられたんだ。」という喪失感はその後の人生で簡単に昇華されうるものではありません。

 皆さん、眠っている養育費はありませんか?請求することで救われることがあるなんて素敵だとは思わないでしょうか。そう思った方は私に連絡をして下さい。JR武蔵野線と埼京線のクロスポイント、武蔵浦和駅で貴方の到来をお持ちしております。

 

欧米では男同士の握手は力一杯するそうですが、日本人にその習慣はなく、往々にして掌を合わせて少し力を込めるといった感じで終わらせることが多いと思います。

先日、契約時に腰が引けて成功報酬の設定を無しにしてしまったほど難解な事件を、自分でもびっくりするほど短期間で奇跡的にクローズしたときの話です。改札口の前で依頼者から握手を求められ不用意に手を出したところを欧米スタイルのシェイクハンズをやられて慌てて力を入れたのですが、とき既に遅し。自分が満足する力を込められずにあとの祭りとなってしまいました。

言い忘れましたが、私は握手を男と男の信義の取り交わしと位置付けているため、勿論やるときは力一杯する、いわゆるシェイクハンズ派であります。しかし、その時は感謝をされ浮かれてしまったのか肝心の力を込めるのを忘れてしまい、その歴戦の自衛官の前腕が隆起するのをただただ眺めていることを強いられてしまいました。帰りの電車では火傷を負った野口英世のようになった右手がいつまでもジンジンするのを感じつつ、「いやぁ、凄い筋肉だったなぁ。凄い力だったチクショーやられた。」と茫然自失として呟いていました。女性の読者は限りなく少ないと思いますが、敢えて言うと男というものはつくづく不思議な生き物であります。

繰り返し女性の読者は全く興味がないと思いますがこのまま続けると、私は逆にこれをやるのが好きです。もうすぐお別れという間際になってワザとセンチメンタルな話題を振って「じゃあまたね。お互い大変だけど色々頑張ろうね」と握手を交わす場面で渾身のシェイクハンズをしてニヤリと笑うと大抵みな悔しそうな顔をして改札口を潜っていきます。握手をした相手が「あぁ忘れてた。オレは男だったんだ。」と思いながら電車に乗って家まで帰るのだと思うと、とても愉快な気分になるんです。女性が異様に強くなったことで男が次第に去勢されていきつつある現代の世に一石を投じたんだと思うと、世の中のためにいいことをしたという意味でさらに加えて愉快になります。義憤ならぬ義愉快と言ってもいいかもしれません。

ところで、私は示談の相手が男性でも女性でも必ず握手をします。翻って言うと、握手をすれば何とかなる、クローズできるという自分への自己暗示を掛けるのです。しかし、大概はそれでどうにかなってしまうものです。理屈ではない何かが、人が人の肌に触れるという行為それ自体に宿るのだと思います。これだけ権利意識が高くなった今でも握手という文化が残っていて本当によかったな、と感じます。そうだとすれば、それを使わない手はないでしょう。

もはや暴行罪の構成要件に該当しているんじゃないかと言わんばかりのシェイクハンズを武器に、次の案件もクローズしていきます。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ埼玉県武蔵浦和で皆様をお待ちしております。

平成27716日、自公両党は安倍政権が提出した集団的自衛権の行使容認と関係するいわゆる安倍法案の可決を衆議院平和安全法制維持特別委員会で行いました。

その3日後、恩師である慶応の名誉教授が年1回三田の居酒屋で主宰する「倫理の会」に出席したところ、どちらかというと「左」の方から私が元自衛官であるという理由だけで「あれをどう思うんだ!あんなのクーデター以外の何ものでもないだろ!」という抗議を受けました。世間一般の大きな誤解を代表して解きますが、自衛官は基本的にノンポリです。入隊時の宣誓にも「政治的活動に関与せず」の文言があり、何度も復唱させられたところであります。

ただ、自衛隊自体が違憲と考えている人達からすれば、自衛官は歩く右のようなものです。そんな彼らに国防はどうするのか尋ねると、それは市民が団結して行うとのことです。果たして市民が団結できるのでしょうか?驚くことに出来る!と答えるのですが、そんな彼らに私は元自衛官として言うことがあります。「自衛隊にはセクトはないし、内ゲバをすることもない。」

ところで、旧司法試験の択一式試験でよく出された問題で「日本国憲法制定の法的根拠は何か?」というものがあります。通説は市民の皮膚感覚とは裏腹に8月革命説という1945年8月14日のポツダム宣言時に革命が起こったという説であります。他方で、一番論理的整合性がある説を一つ選びなさいとなると受験生的には無効力説を選択しなければならないことになっています。その理由がどういわれているかというと、大日本帝国憲法の改正手続きを踏んでおらず日本国憲法の制定には論理的整合性を認めることが出来ないため無効とのことなのです。この無効説、議論をすれば判るのですがかなり強いです。なぜなら、議論とは合理的な人が論理的に行うという前提があるため、論理整合性が高い説が勝ちやすいからです。

今回の安倍法案の通過はクーデターであり実質的な9条改憲であると報道されていますが、憲法というものが革命やクーデターによって制定されてきた長い歴史を踏まえると廻りまわってそれもそうかなという感慨です。比喩的に表現すれば、静かなる革命が起ころうとしているのかもしれません。

 

 

 

イクメンという言葉が誕生したのは今から丁度5年前のこと、当時の労働大臣が少子化打開の一助として国会で発言し、男性の子育て参加を目的とした「イクメンプロジェクト」を始動させたのがきっかけと言われています。私の長男はもうすぐ8歳ですが、長男が産まれたときはまだイクメンと言う言葉はなかったことになります。イクメンと言う言葉がこの世になかったその頃、私は自衛隊を退職して脚を引きずりながら近所のスーパーでレジを打つしがない30過ぎの男でした。

いま5歳になる次男が産まれた頃にその言葉が世に出回り始めたことになりますが、イクメンというのは働きながら子育てをするパパと言うイメージが根底にあるため、私のように日常的に昼間育児をする人をイクメンと呼べるかは微妙なところでした。だから司法試験の最中に実家で子供を預かってくれた母親からハッキリと「お前は無職だからイクメンではない。」と言われてどこか楽になったことをよく覚えています。その反面、検診で保健所に行くと子供を背負う私にかなり不自然なタイミングで「パパ、とてもカッコいいわよ。」と言ってくる保健士がいました。あれは今思えばイクメンプロジェクトの一環だったんでしょうか?

次男は夕方になるとぐずり始めるため日が暮れかかると散歩に出かけていました。子育てに参加したことがない世の男性たちに一つレクチャーしておくと「ぐずる」とは、おしめを替えてミルクを飲ませて何度か高い高いとかをしてもふぇふぇいって一向に落ち着こうとしない、そんな赤ちゃんの状態を言います。次男がぐずり始めたのを見計らって司法試験の勉強を中断し、おんぶ紐で背負って片道45分くらいのショッピングモールにゆっくり歩いて出かけるのがその頃の私の日課でした。

近所のショッピングモールには色んなものが売っていましたが、お金がない為何も買うことが出来ません。辛うじて買うことが許されるユニクロのヒートテックが限定商品になっているかどうかを確かめて、カルディで無料のコーヒーを飲んで帰るというのが通常のメニューです。ユニクロのヒートテックは大概週末に限定商品になるため、必然的にカルディでコーヒーを飲めるか飲めないかが重要なポイントとなってきます。飲めないと帰り道でかなりのダウンビートを強いられるので少なくない神経を注いでいたのです。絶対に気付かれていたでしょうが、毎日来ていることを悟られないために持ち手は少ないながらも洋服のコーディネートに気を遣ったり、「お願いします。」の声のトーンや仕草までに工夫を凝らしたりしていました。

特に深い意味もないんでしょうがコーヒーを受け取る際に「買い物もしていって下さいね。」と言われる日はとても辛くて、誰かがレジに並んでいる隙にサッと店を後にするのはほかの日と同じなんですが、「買い物をするつもりはあったんだけど、今日はたまたま買わなかっただけなんだ。」と自分に言い聞かせて気をしっかり保つ作業が一つ必要になりました。

こうやって言葉にすると改めて自分はイクメンではなかったと感じます。イクメンの生みの親である労働大臣もカルディで毎日コーヒーを飲むことに神経を注ぐパパは想定していなかったでしょう(笑)

次回以降イクメンと家庭裁判所の実情に迫っていきたいと思います。

先日接見待ちで警察署のベンチに座っていると、初老の警官が話しかけてきました。よく聞くと部下が出会い系サイトで関係をもった女性の旦那から百万円の慰謝料を要求されたとのこと。それも昇任したばかりのタイミングに三年前の一回だけの不貞で百万円を請求されたそうであります。警察ではこういう不祥事が明るみに出ると階級を一つ落として解決を図る不文律があるそうで、相手はそれを知っていて昇任する時期を手ぐすね引いて待っていたのではないかとその警官は言っていました。私は弁護士然と「それってよくある美人局じゃないですか?一回で百万円は高すぎますね。そもそも結婚してるって知らなかったって言えばよかったのに…、全く人がいいですね。」と言ったところ、その初老の警官は待ってましたと言わんばかりに「弁護士さん、そいつもそう言ったんだよ。でもね、そのサイトが人妻専用のサイトだったんだなぁ。無理だよなぁ、ワッハハ。」と上機嫌で引き揚げていきました。

数多の法律サイトではこの場合どうすればよかったのでしょうか?という流れになるのでしょうが、私からは取り急ぎ社会的地位がある人は自分の行動に責任を持ちましょうとだけ告げさせて頂きます(笑)

 

一昔前まで、警察官は「俺たちは自衛官だ。」と言って歓楽街で羽目を外していました。果たして今はどうなんでしょう。自衛官は10年前とは比べ物にならない程の社会的地位にあります。かつてとはまた違った意味で「俺たちは自衛官だ。」と言っているかもしれません。

冗談はさて置き、警察官は制服を脱ぐと絶対に自らの素性を明かさないそうです。説明するまでもなく、警察官は色々と恨まれることが多い職業です。また、国家権力を身に纏って日中を過ごし、常に市民より強い立場にいなければならないため非番の時くらい普通の人間でいたいというのが実情だそうです。

ただ、自分が普通の人間でいるつもりになっても、傍から見ればおそらく普通の人間ではなく、勿論社会的地位はついて回ります。社会的地位のある人間が素性の知れない女性と待ち合わせをするときは、それなりの覚悟をもってその場に向かうことです。そういえば今は立派になった私のレンジャー同期も自衛官の身分証をコインロッカーに入れてその場に向かっていました。

 

最低限、何かあった時のために当事務所の電話番号をメモすることは忘れずに。常在戦場で御連絡をお待ちしております。

それでは、皆様の週末が良きものであることを祈ります!

 

 

 一体何のためにそれをするんだという訓練は、少年野球のうさぎ跳びから新日本プロレス道場のエンドレスなヒンズースクワットなどが頭に浮かびますが、自衛隊はその総合商社のようなところであります。レンジャー訓練などはそれ全体が不撓不屈の理念の下、社会通念に照らした合理性を完全に無視したものばかり??で成り立っていますが、そのレンジャー訓練を経た私の目から見ても度胆を抜く訓練がこの平成の世に誕生いたしました。それが栃木県にあるCRR(中央即応連隊)の丸太運びであります。

 この丸太運びがどんな訓練なのかさり気なくCRRにいたかつての同期に聞いてみたりするんですが、「いやぁ丸太を運ぶんだよ。大変だよ、全く。」としか教えてくれません。戦後派が戦中派に嫉妬した様に、昔はあったが、今は負傷者が続出した等の理由でその訓練が廃止され「いやぁ、あれは本当に大変じゃった。」とか言われるのはいいんですが、今回はその逆で、昔の世代の人間が今の現役の人の訓練に嫉妬その他の複雑な心境を抱くという構図になってしまっています。いったいどうして丸太を運ぶなんて言う旧態依然とした訓練がこの平成の世に出現したのでしょうか?

 武山駐屯地で新隊員訓練を受けているとき、各国の軍隊の訓練を特別に編集した映像を見させられたことがありました。どれも凄まじいものばかりでしたが、韓国の海兵隊のそれは群を抜いており、その中の一つが海兵隊員たちが一列に並び、巨大な丸太を左肩から右肩へ、右肩から左肩へ、まるで一瞬一瞬が永遠に思えるほど上げ下げする訓練だったのです。

機動力を生命線と考える当時の陸上自衛隊の訓練は走ることに重きが置かれ、来る日も来る日も走り続けて筋肉は研ぎ澄まされていく反面、どこかしら萎んでいくようにも見えました。そんな杞憂に近い不安の最中にみた韓国の海兵隊員たちの三角筋から僧帽筋に掛けての異様な盛り上がりに、私は羨望に塗れた嫉妬心を抱いたものです。班長にみんなでアレをやりましょうと直談判しましたが一笑に付され、2等陸士が軽口を叩くんじゃないと指導を受けたのは言うまでもありません。

私と丸太との因縁を話させて頂き、CRRの現役隊員に対する嫉妬心が少し和らいだような気がします。また何か丸太運びについて分かったら報告します。因みに、冒頭のうさぎ跳びについては私が小学校に上がる前には完全に消滅していました。しかし、新日本プロレスではまだエンドレスのヒンズースクワットは行われているようで、これを百年に1人の逸材棚橋弘至は「筋肉への愛だ」と銘打っていました。愛ってとてもいい言葉です(笑)

 

  私がお客様を迎え入れるために心掛けていることがあります。一つは、必ずその方がいらっしゃる直前にエントランスの三和土を拭くことです。弊所は東京の大手事務所のように煌びやかで常に胡蝶蘭が飾ってあるようなエントランスを持ってはいません。せめてお客様が弊所に足を踏み入れる最初の一歩を埃などで汚さぬようにというお心入れのつもりでやらせて頂いております。

 もう一つは、毎朝トイレを掃除することであります。

 ところがこのトイレ掃除、毎日やるとなるとなかなか心が折れてしまうものであります。もちろん家でもトイレ掃除をするのですが、何度言っても私の息子たちが座って用を足してくれず幽霊が死ぬほど怖いくせに用を足すときだけは仁王立ちで立派にやるものですから勘弁してくれよと思う時がしばしばあります。

 他のご家庭でも私のように勘弁してくれと思って座って用を足すように教育なさっている方が増えたのか、最近の男の子は学校でも大きい方で小さな用を足す子が増えてきているとのことです。習慣とは恐ろしいもので、そういう風に教育された子は座ってではないと用を足すことが出来なくなっており俗に言う立ちションが出来ない少年が次々に出現していると授業参観の時に担任の先生が話していました。

 話はズレるかもしれませんが、西欧人は大きい方と小さい方を分けて足せるのに対し、日本人は決して両方同時ではないと用を足せないのだそうであります。私がそのことを再認識したエピソードがあります。

レンジャー訓練の最終想定のときです。主任教官が「これから大菩薩峠に向かう」と宣言し、三トン半に乗って移動していたところ何故かキットカットが配られ、暫くすると助教がウトウトと眠り始めました。そうなると疲労の極限にある隊員たちも当然眠り始め少しも立たないうちに全員がいびきをかいて眠り始めたのです。「あぁやっと終わったな」と思った瞬間でした。私も安心し切って眠ろうとしたときのことであります。緊張が解けたせいか突如として激甚極まる腹痛に襲われました。限界に挑戦するのがレンジャー訓練の目的ですがさすがにこの腹痛を耐えるほどの力は残されていません。「すみません、おなか痛いです」と助教に嘆願すると、「お前の飯盒の中にするんだったらやってもいいぞ」とのお達しが。詳細はあまりにもおぞましい為省略しますが、大きい方は死ぬほどやりたかったのですが、小さい方はそれほどしたくなかったにもかかわらず、小さい方をしなければ大きい方が出来ない私の日本人としての習性を酷く疎ましく思ったのをよく覚えています。

それでは、今日もトイレを掃除して皆様の来所をお待ちしております。