伊藤達夫さんというアルパインクライマーを知っているだろうか?(僕もそんなに詳しく知っているわけではないが....)


厳冬期の黒部に数々のルートを切り拓いた先鋭的なクライマーで、京都府立大学の助教授だった方だ。

2009年4月26日に北アルプスの鳴沢岳で一緒に登った学生の方二人と共に遭難死した。


僕が最初に伊藤さんを知ったのは「山と渓谷 2001年1月号」のインタビュー記事である。


テルモスのポッと加入道山!

その内容に衝撃を受けた。

天候は荒れれば荒れるほど良い、その方が素晴らしい登攀になるというその考え方にも驚かされたが、とにかく実践している登攀の凄まじさに強烈な印象を受けた。


その伊藤さんが遭難死したという報道は更に衝撃的だった。

僕とテヌグイ、サンダルはこの遭難事故の1週間前に同じ後立山連峰(五竜岳を目指したが敗退)に登りに行っていたこともあり、本当に驚かされた。


その報道を見て、僕は想像した。

自分が引き連れた学生さんが疲労凍死してしまい、その責任をとって自らも死んでいったのではないか、と。

そうでもないと、あの厳冬期黒部の伊藤さんが、いくら想像を超える荒天だったとはいえGW直前の鳴沢岳で死ぬはずがない、と。


しかし....鳴沢岳遭難事故調査委員会/京都府立大学山岳会がまとめた『北アルプス鳴沢岳遭難事故調査報告書』に書かれた結論は、それとまったく異なるものだったようだ。

下の写真は岳人2010年8月号に掲載された事故報告書を紹介する記事であるが、北海道大学山岳部の方のブログやまつど岳人倶楽部の方のブログなどを読むことでこの事故のより詳細な内容を知り、ショックを受けている。


テルモスのポッと加入道山!

引き連れた学生の方がお亡くなりになっている以上、伊藤さんの責任が大きいことに議論の余地はなく擁護するつもりもないが、報告書を紹介する記事やブログにあった通り、遅れた学生の方を全く顧みず、といったことが本当にあったのだろうか....


前述のブログを読み、改めにこの遭難事故に、そして伊藤さんという人に強い興味を覚えたので、事故調査報告書を取り寄せて読みたいと思う。


改めてお亡くなりになられた三人の方のご冥福をお祈りします。