テヌグイ、サンダル、テルモスの三人組みとしては、初めて赤岳に登ることになった。
それまでにもそれぞれ別々には登っていたが、一緒に登るのであれば厳冬期と言われる季節に登りたいと考えていた。
先を急ぐ三人は、テヌグイが先頭を行くが、ラッセルがどんどんきつくなってくる。膝上、腰になってようやく、こりゃルートが違うのではないかとなった。だいたい、行者小屋前にあれ程人がいたのにトレースが一切ないし。
テヌグイがまたやってしまった。というのも、早朝ちょっと立ち寄った駐車場で、テヌグイは車の外で荷物整理をしたままザックを乗せずに発車してしまい、終点で気付いて取りに行き、1時間以上ロスしていたからだ。
今回は1時間弱であったが、また行者小屋近くに戻ることになり、きついラッセルもあって疲れが倍増した。
地蔵尾根ルートは、多くの人が向かっており、まったく迷う必要のない明瞭な道であった。
僕ら三人の装備は貧弱で、いずれもピッケルはなく、僕に至っては夏靴に8本爪のアイゼンというスタイルで、すれ違う人を驚かせていた。(しっかりとした知識がなく、これまで雪山テント泊も経験していたが、いつもこのスタイルであった)
天気は晴れていたが、気温はマイナス10度くらいの寒さだった。
地蔵尾根を快調に進み、地蔵の頭に出た。
強烈な風が吹いていた。急激に体温が奪われ、顔が凍りそうに感じフードを被った。
赤岳の頂上がすぐそこに見える。
しかし、途中で2時間もロスしているので、今日は赤岳展望荘までとすることにした。
赤岳展望荘の中はびっくりするくたい暖かく、達成感とともに飲むビールがめちゃめちゃうまい。
食事の後の談話室で、いろいろな方と話をした。ストーブが時たま燃焼不良で調子が悪くなるのが気になる。
明日は阿弥陀に行く言うと、皆さん一様に「その装備では無謀すぎる。」と言い、「頂上を踏んだらそのまま来た道を帰るべきだ」と諭された。ピッケルなしで厳冬期に雪山に来ちゃだめだし、そもそも阿弥陀に行くならロープが必要だし、と。
自分たちの認識の甘さを思い知らされ、阿弥陀はあきらめることにした。(今思うと当然のことと反省)
翌朝は日の出を見ながら展望荘に宿泊した中で一番早く出発した。
富士山が雲海の上に顔を出している。
頂上までは30分もかからず着いた。
頂上を踏むのはやはり嬉しいものだ。三人はそれぞれがっちりと握手を交わした。
今日はこれで下るだけなので、時間の余裕があるため、しばらく頂上にいた。
昨晩、談話室で出会った方たちにさんざん脅されたため、少しへっぴり腰で下りにかかる。
地蔵の頭から地蔵尾根に入ったところで雪の道幅が狭くなっているところがあり、足を滑らせたら谷底まで止まらずに死ぬかもしれないと思わせるところがあった。
ようやく怖い箇所を通過し、ホッと一息ついていたところに、「すみませーん、ちょっとまってくださーい」と追ってくる男性がいた。
「女房が少し手前で滑落した」というのである。
一緒に来てもらえないかとお願いされ、また怖いところに戻った。
奥さんは50メートルくらい下の谷底に滑落していた。しかし、声をかけると右手を挙げて応えたので、大きな怪我はないようである。
ロープのない自分たちではどうしようもないので、赤岳展望荘に連絡して救助してもらうしかないと言った。
50歳くらいのご主人から、自分の携帯は通じないので、携帯が通じるのであれば貸してほしいと言われ、見ると三人の中でドコモの携帯だけは電波が通じていた。
しばらくして展望荘の方が救助に来られた。
もう大丈夫と言うので、僕らはその現場から離れ、また下山を開始した。
ちょっとショックな光景ではあったが、そこからの下りは危険を感じるところもなく、快調そのもので、滑るくらいのスピードで駐車場まで一気に下った。
下の山小屋で聞いたところ、滑落した奥さんは大きな怪我もなく、自力で下山したとのことで安心した。
僕らが三人で行った初めての厳冬期登山はこうして終わった。
下山してすぐにみんなピッケルを購入した。
僕は雪山用の登山靴と12本爪のアイゼンも購入した。
厳冬期の赤岳の頂を踏むことができ、また展望荘で一緒になった多くのベテラン登山者から厳しくもためになるお話を沢山いただき、僕らは少し成長できたと感じた。
2週間後の朝、ニュースで赤岳展望荘が映し出されていた。
ストーブが不完全燃焼を起こしたことが原因の一酸化中毒事故で、何人かの方がヘリで病院に搬送されたとの映像だった。




