前日にチトカニウシ山のピークを踏めていたら、完全に諦めるていたはずだ。
そう考えてしかるべきの状況だった。
ロープウェイの改札口には今から向かう姿見駅の状況がホワイトボードに書かれている。
3月7日 くもり、-17度、風速11メートル、風向N、視界不良。
この状況から更に700メートル弱登る。それでも雪じゃないだけまだまし、と前向きに考えた。
駅を出るとやはり寒い。というか痛い。体感温度は-20度を超えるだろう。
ここまで寒いのは昨年二月の塩見以来か。いや塩見もここまで寒くは感じなかったので、暴風雪の男体山以来だろう。
また凍傷になるのが怖いので、歩き始めから目出し帽を被る。
視界が効かないので少し方向を間違え、石室まで30分もかかってしまった。
石室の前には四人の山男がいた。全員プラブーツを履いている。
それで寒くないの?気圧が下がっているからますます天候は悪くなるよ。
その中の一人が、僕の登山靴を指して心配そうに言う。
厳冬期の3000メートルにも対応できるスペックの靴ですよ、と言おうとしたが
「大丈夫です」とだけ短く答えた。
四人組は早々に出発し、5分もしない内に白い風景の中に溶け込み見えなくなった。
石室の前で頂上に向かうかどうか逡巡していると、今度はスキーを履いた50歳前後の夫婦と思われるペアが来た。
女性の方が、迷うなら行かない方がいいですよ。ここから更に風も雪も強くなるから、とアドバイスをくれた。
男性の方はデポ旗を持っており、服装や装備は完璧に見える。
その男性の方が、行けるとこまで行ってみたら?と背中を押してくれた。
行けるとこまで行こう。
三人で方針を確認しあい、僕らはようやく出発した。四人組のトレースはあっという間に消えていた。ラッセルは膝下ではあるが、やはり疲れる。たまに先頭を交代しながら進む。
後ろから来るペアが所々にデポ旗を打ってくれているのが見え心強い。視界が数十メートルしかないので、後ろのペアも見えなくなった。自分たちも合間合間にデポ旗を立てながら進む。
50分進んだ時に、急に雪と風が強くなってきた。大きな岩陰で休みながら、この先進むか検討した。飛行機は17時なので時間も限られている。
敗退という結論を出した。追い付いてきたペアに、「僕らはもう下ります。頂上まで気を付けてください」と言って見送った。
明日朝から東京で仕事がある。絶対にハプニングは避けなければなくてはならないのだ。そもそもこの天候と、限られた時間では無理があったのだ。敗北感を封じ込めようと、自分を納得させようと、いろいろと考えていた。
しかし、ここで不思議なことが起きた。
一瞬にして雪が止み、ほんの少しだが今日初めて青空が見えたのだ。
小さな青空は僕らの気持ちを変えた。僕らはまた頂上に向かってペースを早めた。すぐにペアを抜き去り、11時19分に八合目に着いた。ここまでかもしれないと思い写真を撮る。
しばらく進むと、大きな石の陰で休んでいる四人組に追いついた。
頂上までの時間を聞くと、一時間半、いやあんたたちの足なら一時間だなと教えてくれた。この時、11時30分。
一時間半なら1時に登頂だ。下りは早いだろうからぎりぎり行けそうだ。
この時、一瞬だけ頂上が見えた。
薄い雲の隙間に微かにピークが二つ見えるが、奥の方が頂上だと教えられた。あそこまで一時間半で行けるのか?大きな疑問が湧いたが、頂上まで目にして引き下がることは出来ない。
飛行機を一便遅らせ、最終便で東京に帰る覚悟で頂上を目指すことにした。
ここからは、わかりにくいルートだ。ちょっと前にスタートした四人組の姿はすでに見えず、トレースも消えている。雪と風は恐ろしいものだ。一瞬にして人の痕跡を消す。
ただ真っ直ぐ登るだけのこれまでと違い、右斜め上へ進路を取る。
登り切ったところに【下山コース→】という看板が出ている。横に見えている白い塊は有名な金庫岩か。
いや、まだ11時56分、あと一時間と言われてから30分も経っていないので金庫岩には早い。
ここから左に折れる形で広い稜線を登って行く。
10分くらい登ったところで四人組が戻ってくるのが見える。何かトラブルか!?
先頭のサンダルが何か言葉を交わしたと思った瞬間、「頂上だー」と叫んだ。
えっまさか、まだまだ先ではと思ったが、体は走り出していた。
頂標が見える!
久しぶりに心の底から叫んだ。やったー!頂上だー!
12時13分。三人で肩を抱き合った。久しぶりの歓喜の頂上だ。
何度も諦めかけた分、チトカニウシ山を敗退した分、嬉しかった。
極寒の世界の頂上に長居は無用、すぐに下りに取りかかる。
ペアとすれ違い、四人組を追い抜き、転がるように下り、12時57分には石室まで下りた。
途中、視界の効かない中、ペアの打ったデポ旗が役に立った。さすがにポイントポイントに残している。
気持ちに余裕ができた下りは、どこを見ても白く神々しい風景を堪能できた。
大雪山は神神が遊ぶ庭という意味らしいが、理解できる。
今日は神様が少し微笑んでくれたので、頂上を踏むことができた。まさに運がよかっただけだ。
13時20分のロープウェイに乗り、前夜泊まった湧駒荘の湯舟にゆっくり浸かり登頂の感激を噛み締めた。
あれほど時間のプレッシャーを感じていたのに、空港では一時間以上呑む時間があった。
あの厳しい状況下で旭岳の頂上を踏んだ僕らが選んだ銘柄は、今の気持ちと同じ「北の誉」だった。
今回の山行でゲットしたバッジ。


