クリーム以前というかヤードバーズよりも前にイギリスで白人がブルースを始めていたというところを掘り下げた記事は意外と少ない。


最初はアレクシス・コーナーが1950年頃にブルースハーモニカ奏者のシリル・デイヴィスと出会うところからだろうか、

他の流れがあったかもしれないが自分が知る限りではこれが後のブルース・ロック、ロック・ギターの完成につながる端緒となっている。

シリルはバンジョーなんかを弾いていたらしいがリトル・ウォルターに影響されてブルースハーモニカを演奏するようになったらしい。

アレクシス・コーナーと組んだ当初はスキッフルをやっていたが1957年には2人でロンドンのソーホーにパブを開く。

ロンドン・ブルース・アンド・バレルハウス・クラブという店でマディ・ウォーターズなんかを呼んでブルースのライブをやっていた。

ロンドンのソーホーなんてオシャレ街でパブというかライブハウスを経営して呼び屋もやってたとか、

アレクシス・コーナーの名前だけは聞くけど結構アクティブに動く有名人だったようだ。


1961年になって2人はマーキー・クラブに出演するようになった。

それからメンバーが集まって1962年にアレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレーテッドとしてデビューするわけだ。

ブルースとR&Bをやるバンドだった。

ここには後にローリング・ストーンズを結成するチャーリー・ワッツが所属していて、

ミック・ジャガー他はファンとしてライブを観に来てた。

そして所属していたグレアム・ボンド、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーが1963年にジョン・マクラフリンを加えて

グレアム・ボンド・カルテットとして活動しはじめる。

ジョン・マクラフリンはプログレファンにはマハビシュヌ・オーケストラでお馴染みだが電化マイルスの始まりである

ビッチズ・ブリューでギターを担当したジャズ畑の人だ。

少ないが音源が残っている。



うん、ジャズ・ブルースだね。

ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーが1963年時点でジャズ畑のギタリストとジャズ・ブルースをやっていたというのが重要。

後のクリームのブルースでジャム・セッションをするというコンセプトの元になったと思われる。

ジョン・マクラフリンが抜けて、ブルース・インコーポレーテッドにいた古馴染みのサックスのディック・ヘクトールスミスが加入して

グレアム・ボンド・オーガニゼーションとして1965年にデビューしてわりと人気が出たんだけどグレアム・ボンドが薬中になって解散しちゃうんだ。


地元マンチェスターで慎ましく活動していたジョン・メイオールは大御所アレクシス・コーナーにロンドンに来ないかと誘われて

上京してブルース・ブレイカーズを結成する。

他方、アレクシス・コーナーの相方のシリル・デイヴィスに推されて活動していたヤードバーズを抜けたエリック・クラプトンが

ジョン・メイオールの誘いを受けてブルース・ブレイカーズに加入。

ヤードバーズはライブで人気があったんでデビューアルバムはライブ盤だったけどあまりクラプトンのギターは目立ってない。

キース・レルフのブルース・ハーモニカが大々的にフィーチャーされていたのはシリル・デイヴィスの影響かもね。

そしてブルース・ブレイカーズのアルバムでエリック・クラプトンはギターをバリバリに弾いている。

今聴くとそうでもないけど当時としてはスーパープレイで、ゲイリー・ムーアはこれを聴いてギターを弾こうと思ったとか。


そこからクリーム結成でブルースとロックが分かりやすく結びつくわけだ。