考えてみるとこの世界は「当たり前」という言葉に支えられている。勉強をして当たり前、働いて当たり前、妻は家事をして当たり前、夫は家事をして当たり前、結婚して子供を産んで当たり前。普通に考えたらこれらのことはほとんど法律や憲法での決まりごとだから「当たり前」という扱いになる。そして僕は、「当たり前」ができない人間として生きている。
もし、うちの家族間の「当たり前」がなくなったらどうなるのだろう。例えば父親が突然やりたいことがあるから仕事を辞めたと言い出したら?当然僕は20歳を過ぎているから父に扶養する義務はもうない。しかし、そんなことになったら僕は生きていけなくなる。母親が一人になりたいと出て行ったらどうなる?精神的な柱を失う、食事はどうなる?
自分の「当たり前」なんてとて小さいものだった。今まで父親が働いていることに対して感謝をしたことがあるか、ちゃんと伝えたか、母親が家事をしてくれていて感謝をしたことがあるか、ご飯をおいしいと言って食べたことがあるか。父親は働いて当然、母親は食事をつくって当然、と思っていたじゃないか。今、自分が24歳になってもそれを強要するのは間違っていないだろうか?
家から出ないと、どうしてもとても小さい世界で生きてしまう。自分を中心にして物事を考えてしまう危険なところもある。
「すこしばかり手伝ったからってすべて知った気になるんじゃねえぞ、おめえの両親はそれを何十年と続けてるんだ」いつものように自分を卑下する雰囲気ではなく、暖かな気持ちでこの言葉を聞くことができた。でも、本音はやっぱり感謝されたいよね、いくら小さいことだって。そうするにはまず自分が感謝の心を持つことが大事なんでしょうね。
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