明けましておめでとうございます(遅)照れ

今年初のブログ投稿です。精神面での近況報告をしておこうと思います。

 

昨年の11月末からとっても生きやすくなった私です。

私のこれまでの人生とは、「ハッピー→ドン底→復活中」という過程にあったのですが、最初のハッピーな私を取り戻せました。沈んでいた時期の自分完全に別人だと感じます。

 

それも、自分が思い込みで感じるのではなくて、普段接する機会のないような周りの人達にまで、柔らかくなったとか、イメージが変わったとか言われるのです。(まぁ、私は素直に表現しますからね^^;)

 

今までの長いダークな時間を振り返りますと、結局、私は不安だったのだと思います。そんなベタでシンプルな話です。

自分が十分ではないと思い込んでいただけでした。理想の自分の姿を勝手に思い描いては現実の自分とのギャップを突き付けられ、落ち込み、自分を責め続けていたように思います。

 

それで、そもそも、その理想の自分の姿って何よ?って話です。

理想の自分の姿を想像すること自体は良いことです。ですが、問題は、その想像の出処です。

 

理想の自分の姿とは、どこから来るものでしょう。

基本的に2つあると思います。

①今の自分を伸ばす形=改善

②今の自分を否定する形=劣等感

 

①の改善は基本的に問題ありません。

②の自分を否定する形も、吹っ切れる点では良いことです。でも、実際は、いちいち今の自分をダメ出ししたり、否定したり、嫌いになったりする必要はありません。だって、今、あなたは出来る限りを尽くして、精一杯生きているでしょう?ならば、それで良いじゃないですか。それで良いんですよ。

 

「頑張っても、頑張っても、これだけしか結果が出せなかった」という現実を受け入れられないということは、自分の努力や能力、成果を認めないということです。

でも、その過程において何を学ぶかは、題材そのものとは限らないのです。困難に打ち当たった時のメンタル面を学ぶこともあれば、困難に直面している人達の気持ちを学ぶこともあるのです。それが今後に生きるのです。

 

私達の日々の経験とは、その当時の感情はどうであっても、後々に生きて来るものであって、私達の人生を豊かにしてくれるものです。

経験とは、文句を言う対象ではなく、その経験が何を教えてくれているのかという疑問好奇心を抱く対象であり、本来感謝をする対象です。「今は難しい状況にあるけれど、きっと学ぶべきことを学べば、喜びが生まれるはずだ!」と受け止めて然るべきものなのです。何かが問題として立ちはだかる理由は、私達が解決策を知らないだけですから。

 

今、あなたが困難に直面しているとします。そこで、今のあなたに何故それが悪い状況だとして断言出来るのでしょう?何故神様やご先祖様のお導きのフィナーレを知らずして、今気持ちが良くないからといって腹を立てる必要があるのでしょう?

 

例えば、私は2015年に潰瘍性大腸炎を患いました。正直、自分がどうなってしまうのか不安で、とても怖かったです。昔から病気知らずで元気一杯の私が難病患者になるというアイデンティティでも、暫くの間はただひたすら圧倒されて向き合えませんでした。自分や自由が奪われて、障害を抱える感覚でした。

 

でも、どことなく、私は自分を信じました。「これで難病を克服したら、私凄くない?もはや研究対象になるんじゃない?」と次第に前向きに思うようになりました。

そこで、潰瘍性大腸炎とは、他のどの病気とも一緒で「炎症」ですから、炎症とは何かを得意の英語を活かして最先端科学(ホリスティック系)を研究するアメリカの医者達の動画を見て学びました。それに関連する身体の仕組みや食べ物についても学びました。なので、ついでにちょこちょこ実践してみたりすると、どっと体重が落ちて身体が人生初というレベルで引き締まりました。炎症を抑えるつもりが、ついでに良い意味で痩せたわけです。同時に、病気だと定期的に診てもらえますから、常にプロに世話をしてもらえるます。他の不調もあれば相談も出来ます。病気でなければ、病院やクリニックのそういう活用法を知らなかったことでしょう。

つまり、病気を克服しようと思って色々と学んで行ったら、良いことばっかりだったわけです。

 

加えて、本来風邪ですらほぼ無縁というくらい強かった私が、難病を患うという人の気持ちやその目線も理解出来るようになりました。もはや、身体はこの世の仕組みを知る媒体であり、私はそれを経験させてもらっているという立場だと気が付くことが出来たのです。

 

逆に言うと、私は潰瘍性大腸炎を患わなかったら、健康についての今の一切の知識を持っていなかったということです。インターネットや英語が仮に不得意であったならば、情報収集すら出来なかったかもしれません。或いは、もっと歳を取ってから、大きな病気に手遅れで何も対応出来ない可能性もあったかもしれません。

 

不安だから自分にとって悪いはずだという認識の仕方は間違いです。不安とは、わからない状況に身を置いた時に本能的に抱くものです。つまり、状況を知れば消えるのです。不安を解決する必要はないのです。不安を抱いている自分の状況を客観的に理解すれば受け止めることが出来て、消えるのです。即ち、自覚が特効薬です。

 

話を戻しますが、のことに執着心を抱いていると、人は今が全てだと思い込んでしまいがちです。マインドフルネスなどで今に集中することは大事ですが、とは未来にとっての土台作りの段階です。そこで、今が過去にとっての未来だからと結果を今出さなければと人間は必死になってしまうと、焦りと自責の念、もしくは八つ当たりしか生まれません。

その根底にあるのは、結果を出さないと自分には価値がないといった思い込みでしょう。つまり、劣等感です。

 

今の自分理想の自分に劣っているという劣等感は、人を不幸にします。誰も望まない、本来存在しない競争を自分の中で作り上げては、喜怒哀楽に浸るわけですので、周りも困ります。周りの皆が求めているのは、無駄に戦わない、取り繕わない、自他に嘘を付かない、あなたらしいあなたの姿ですから。

でも、思い込みで考え方が凝り固まっている人であればある程、自分の価値観常識と思い込みがちですので、自分が劣等感ベースで物事を捉えていることに気付くことすら難しいかもしれません。

 

物質世界には物理的な限界が存在します。その限られた中どう物事を動かすかというのが私達の人生ゲームの面白い所であるのに、その限られた前提を否定して何でも思い通りにしようとして、上手く行かないから落ち込むというのは、単刀直入に言うと、愚の骨頂です。

 

人が不安を感じる時とは、心が不安定な状態の時ですよね。

では、どうして不安定になるのでしょうか。自信がないからです。

 

例えば、私はいつでもどこでも何かと持論を展開しますし、いつもドヤ顔なのは、自他共に認めている点です(笑)。

ですが、私はこの上なく自分に厳しかったことをここ数年で学びました。背景にあったのは、子供の頃に両親に自分の能力認めてもらっている感覚なかったことだと思われます。どこか通じていない、わかってもらえていない感覚を常に抱いていました。

それが、次第に認められたいという承認欲求として形成され、大人になっても至る所で自分を主張するスタイルが出来上がったわけです。それは一見自信がある様子に見えたのかもしれませんが、実際は「私は正しいでしょう!?」「私も凄いでしょう!?」という承認欲求だったわけです・・・。

 

でも、そんな私でも、もっと楽に生きたいという目標の下、感情抜きの自己観察を続けながら自己啓発に取り組んで来た所、やっと色々な重荷が降りました。

それで、今は、完全に、本来の自分の感覚やノリを取り戻しました。自分が周りを明るくしていたことを思い出したのです。その役に値しないと自分を蔑んでは否定していた自分に気付くことが出来たからでしょう。おおっぴらに自分自身でいる時に、私の周りは一番笑顔になって笑ってくれます。楽しんでくれます。心を開いてくれます。

逆に言うと、みんな嘘を付かれるのが嫌いですからね。あなたがあなた自身でいない時、周りは意識にあるかは人それぞれでしょうが、本能的に察知はしていますから。

 

特に新年に入ってからは、能力知識積み重ねによる自信の形成についても改めて学んでいます。

出来ないことにめげずに取り組んで出来るようになったり、わからないことを勉強してわかるようになったり、と学びを積み重ねて行けば、昔は出来なかったこと簡単に出来るようになります。似たような状況が出て来た時に、前には上手く対応出来なかったにも関わらず、素晴らしい解決の仕方が出来るようになります。そのようにして、どんどん楽に生きれるようになっていくわけです。

 

例えば、私は昨日、新しい政治の曲を何年かぶりにYouTubeに投稿しました。

作曲は好きですが、昔その工程が大変だった記憶があったので、作曲家としての自分を無視して、自分を政治だけの人制限していました。でも、やってみたら、いつも何気なく巷の音楽を聴く時に、それぞれの楽器のパートを頭で追って曲の作り方を学び続けていたようで、驚く程すんなり出来ました。

作詞の方も、日本語の歌を普段全く聴かないので要領がわからず不慣れなのですが、普段TwitterやFacebookで自分の気持ちを表現しつつも独特なリズム感で文章を書いているからか、考えがあっという間に歌詞がまとまりました。

脳内だけで4〜5時間で作詞と作曲が出来上がりました。大変なのがレコーディングですが、脳内にある曲をそのままレコーディングしたら、6時間で終わりました。頭の中にあるものを表現するだけで済みました。

更に、歌うことに関しては実は、元から発声の仕方がわからず困っている上に、鬱の時に普通の喋り声すら安定しない程の力量不足だったというのも手伝って、不得意だと言う劣等感がずっとあります。敢えて醜態を晒すのかという自分批判があったのですが、内容が重要だと思って、普段歌いもしないのに、とにかく録音してみました。歌い始めは、自分の声がわからなくて投げ出しそうになりましたが、色んなバージョンで試すうちに、「あれ?もしかして歌ってこうやって歌うものなのかな?」という感じで取り組めました(笑)。録音自体も主人に家を空けてもらって、そのタイムリミットに焦りながらも5時間で終わらせました。改善の余地は多大にあるのですが、要を成すレベルはあるようなので、打ち切りにして、あるもので挑むことにしました。

全てをレコーディングした後は、1時間程、最終調整をしました。

結果、たった16時間で一曲丸々構想からレコーディングまでが出来上がったわけです。

音楽の世界では即興演奏でない限り、あり得ないスピード感です。

 

この経験から学んだことは、

-過去の経験から実は学んでいて、毎度改善したり、慣れることでスピード感を得たりしていること

-知らぬ間に普段から学びを重ねていること

-イメージさえ出来れば、表現するだけで済むこと

-一つ一つ段階的に取り組めば何も怖くないこと

-メッセージが伝わればそれで良いこと

などです。

 

自分を枠にはめるのではなく、自分に枠やシステムを付けるといった感覚です。

自分が起点で、物事をマイウェイに持って行くくらいの自信を取り戻した気がします。

それをもって「何をしたいか」こそが最重要ですから。

 

昨年末からの私の心掛けを最後に書いておきます:

★これまでの思考回路に従事せず、新しい回路を構築する

★脱・完璧主義

★限られた前提を客観的に見て、その場で自分の出来ることをやる

★怖がらない:一つ一つを段階的に解決する能力が自分にあることや、積み重ねにより物事の進め方がより賢く楽になることを念頭に置く

★乗り越えられる・解決出来る・成長出来る自分を信じる

★自分自身(=自信)と繋がることで、自由を感じる

 

同じような感覚のある人達とのご縁を頂き&深まり、感謝感激の新年スタートです!

起点は自分!
今年もよろしくお願いしますラブラブ