普段の発信も、家のことも、何もかもを放置すること、二週間強。やっと復活し始めたヨーコです。


先月末からインドのダラムサラに一週間滞在し(旅程は10日間)、現地で既に大気汚染やら冷たいシャワーやら野良犬&牛やら何やらの影響による体調不良のまま行程を乗り切ったのですが、日本に帰って来てから丸一週間、その影響で更に酷い風邪&月経で文字通り寝込んでいたのでした^^;
 

今回に限らず、余りに寝続けると、眠りが足りているためか、私は所謂「Lucid Dreamルーシッド・ドリーム:明晰夢」をよく見ます。

 

明晰夢(めいせきむ、英語:Lucid dreaming)とは、睡眠中にみるのうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。明晰夢の経験者はしばしば、夢の状況を自分の思い通りに変化させられると語っている。(weblio辞書

 

色々な明晰夢を見ましたが、一番印象深かったのは、木造の小さな街(繁華街)での洪水でした。

時代的に古いのか、逆に超未来なのか、はたまたダラムサラの印象を引きずっていたのかはわかりませんが、木造で人の背丈程の高さの小さな出店が商店街のように並んでいる所に私の大事な居場所がありました。普通に過ごしていると、ある時、そこに津波のような感じで水が溢れかえりました。私の大事な居場所も、大事な物も、自分自身も、全てが押し流されてしまいました

 

これが明晰夢の自覚があったため、街を作っていた木々と共に濁流に流されながらも、「これは嫌だ!やり直したい!」と私は強く願いました。自分の大事な場所・物や自分自身を守りたかったからです。

 

すると、願い通り、最初のシーンに戻りました(笑)。同じシチュエーションに再チャレンジする時点に戻ることが出来たのです。

その上、今度は、洪水になるシグナルまで事前に出されました。ですが、私は一度目と違うアクションを取ることが出来ず、結果、また同じように全てが流されてしまいました。

 

そこで、私は目を覚ましました。得た気付きを言葉にしたからです。その気付きを覚えておきたかったからです。誰かに伝えなくてはと思ったのです。

 

その気付きとは、一言で言うならば、原点回帰です。

2020年まで間もない今、新しい時代を目前に、私達は今までの仕組み築き上げて来たもの手放す時期にあるのだと、この明晰夢で感じました。

全てが押し流されても、あなたがあなたでいる原点とは何か」と、問われているようです。

 

具体的には、目的手段の逆転について、目を向ける時期なのだと感じます。

 

例えば、最初はお互いにドキドキしていた彼氏彼女状態だったのが、結婚後、罵声を浴びせ合う/醜態を晒すルームメイトと化す夫婦があったとしましょう。←よくあるよね?(笑)

 

身体の作りから違う元他人の男女が一緒に過ごしていれば、互いに色々と文句を連ねることや互いへの当初の気持ちを忘れてしまうことは自然と起きることですが、何故こんな事態にそもそもなるのでしょうか。

 

道徳的に見ると、それは感謝を忘れるからとも言えますが、実際は、目的を忘れるからです。

 

人は、一所懸命になればなるほど、目の前のこと現状によって、本来の目的から気が逸れるものです。

目的のために行動をしていたはずが、いつしか行動をすることが目的になってしまうのです。そうして、目的がむげにされ、気付けば、目的手段逆転するのです。

 

もう一つ、わかりやすい例を挙げます。

今回、私は外国で風邪を引きました。気を張っている間は持ちましたが、帰りの旅程では気が緩んで来たのか、かつて経験したことない程の量と頻度の鼻水と呼吸難に襲われました。

飛行機にも乗りますので、平衡感覚や聴力などを含めた耳に関わる能力が低下し、私にとっては大変な事態となりました。呼吸が苦しくて気が気じゃない上に、中耳炎になったらどうしよう、なんて思い始めてしまい、更に恐怖でした。

 

そこで、一緒に旅をしていた主人は私に「鼻をかんだら?鼻をかんだら、呼吸も楽になるし、耳も聞こえるようになったりするよ」と助言をくれました。言われてみれば当たり前の鼻をかむ行為をしていなかった私はなるほどと思いつつ、こんな言葉を発しました—「でも、鼻をかんだら、化粧が取れる・・・」。

 

当時もそう言いながら違和感を覚えましたし、今もタイプしながらクスクス笑ってしまう程、本当に馬鹿みたいな話なのですが、苦しみの軽減化粧を天秤にかけて、化粧の方を取っている自分がいたのです!化粧を乱してはいけないというマイルールに従う負の意思の強さに我ながら驚きを隠せませんでした。

 

このような流れで、目的手段の逆転が起きていました;
自分のために、化粧を維持しなければならない(目的:自分、手段:化粧)

化粧の維持のためには、自分の苦しみもいとわない(目的:化粧、手段:自分)

→自分が苦しむ

=自分のためになっていない

という、目的手段の逆転が起きていたのです。

 

冷静な主人は、「そんなことを気にするか、苦しむかのどっちかよ」と私に言いました。一応そこそこの育ちの良さ(?)というプライド無意識にあった私は、意を決して、鼻をかみました。

 

おおおおおおおおお!!

その後も風邪の苦しみはさほど変わりませんでしたが、馬鹿みたいなマイルールをぶち破れたことに私は自由を感じました。ある種、新しい自分と言いますか(笑)。

 

帰りの道のりでひたすら鼻をかみ続けました。恐れていた化粧の方も、自分が恐れていた程乱れず、食わず嫌いのような感じで、無駄に心配していた自分に気付くことが出来ました・・・。鼻をかむだけで・・・(笑)。

私は、一体何を恐れていたのでしょうね。

 

(と、ちょっと馬鹿みたいな例え話で恐縮なのですが、話を戻します。)

 

私達は、どうして、自分で人生に招き入れた人・物事や、自分で選んだ道を、自分で非難したり、人のせいにしたりするのでしょうか。

 

私達が本当に守りたい物は何なのでしょうか。

私達は何のためにそれを守りたいのでしょうか。

 

私達は何のために生きているのでしょうか。

私達は何をしにこの世を経験しているのでしょうか。

 

こういった問いによる見直しでの原点回帰が求められていると感じます。


というのも、技術発展やグローバリズムの結果、海外進出への必要性が見直されたり、地産地消や東洋的発想の真の健康への理解が広まったりすることで、国際的な風潮自体が、人間としての生活の原点回帰の流れの最中にあると言えます。

また、テクノロジー(技術)やそれに伴うネットワーク環境、世の中の仕組みが大きく進歩すると同時に、見えない世界や地球もそれに応じた生き様を見せており、今、時代が変わろうとしているからです。

 

こういう状況の中、今までの価値観生き方執着していても、生き残れないと思われます。例えば、車やネットが普及する前に調子の良かった物事や暮らしが、普及した後では全く違う状況になったのと同じが今訪れようとしているわけですから。今がそういう時期にあるのは、スピリチャル以前に常識の範囲内です。そこで私達は今、その点を見据えて心構えを新たにしなければならないわけです。

 

自分のペースで、全てをコントロールし、守りたい物を守ること」は、現代、とりわけ先進国では可能と思われており、世の中とはそういうものと思われていることでしょう。

 

しかし、地球は生きています世界も、この世も、動かされています

 

つまり、人間社会がこの世の前提の全てなのではありません。地球宇宙、もしくは見えない世界も含めた私達の知りもしないような全てが前提なわけです。

地球が人の身体だとすると、私達人間は腸内細菌、とでも言えるでしょうか(笑)。

何が言いたいのかと言うと、どうあがいても、「波がやって来たら、最後は受け入れる他ない」ということです。

 

そこで、流れを受け止めつつも、生き抜くために、私達の原点を改めて知る必要があります。

暮らしや世界観のバージョンは変わっても、常に念頭に置きたい原点とは、「何のために、どんな冒険を通じて、何を経験し、何を学びたいのか」です。

 

そこに答えられてこそ、次の時代への準備が出来るからです。

目的軸・芯をしっかり持っていないと、必ず押し流される運命を辿りますので、心構えを意識したいところですね。

 

話が変わるようで変わらないのですが、私が最近見続けるビジョンに、潜在意識の海があります。

一般的には、潜在意識と言えば、氷山の一角に例えられます。ですが、最初にご紹介した明晰夢の影響もあってか、私は潜在意識自体がだと思えて仕方ないのです。

 

一度、今の時代に色々と積み木のように蓄積して出来上がったものが崩れて、また潜在意識という海の中に漂っており、その海を人間が皆で共有している感じです。共有しているという意味では、所謂集合意識なのかもしれませんが、きっと、この中からまたクローズアップされた物が蓄積をしていき、新たな世界観が生まれ、それに基づいて新たな世界が生まれていくのではと思います。

それは、古事記の国生みのようなイメージとも言えるのかもしれません。

 

私は、風邪で寝込んでいる間、ひたすらこの潜在意識の海を漂っていました。
どういうことかと言うと、風邪であるため、エネルギー(馬力)が足りず、いつもの思考回路を上手に辿れなかったのです。

何かを考えようとしても、私というフィルター(整理された回路)を辿る元気がないので、色んな情報記憶思考がありのままで存在し、混沌とした海の状態でした。従って、評価・判断・結論付け等のジャッジが出来ず、ただひたすら、こんなこともある、あんなこともあると、頭の中でアクセス出来る物事をただツアーの如く見て行く他なかったのです。

 

風邪の身体が苦しかったのでネガティブなことばかりが見えました。

ですが、そういう状態にある自分を客観的に理解していたので、「自分の中にある物事を知る分には、自分に害や損は無い」と思うことが出来て、普段自分の中にあるのに明るみに出ない思いや恐れなどを知る良い機会となりました。

 

寝込むような状態は余り楽しいものではないかもしれませんが、普段アクセス出来ない自分に繋がることが出来ると、自分への理解が深まります。無理をしていた自分にも気付けます。

 

知るということは、即ち、拒否や無視をせず、受け止めるということです。受け止めるということは、愛するということです。

自分のダークな側面を知り、非難せずに単純に受け止めることが出来たら、自分のことをもっと愛することが出来るでしょう。自分のことをより愛することが出来たら、それは他者へポジティブなエネルギーを発することや良縁を呼ぶことに繋がるでしょう。

 

さて、見直しと一言で言っても、色んな方法があると思います。

私がオススメしたいのは、今まで食わず嫌いの如く思っていたことに心をオープンにしてみたり、自分の中でこうであってはならないと思っていた側面を受け入れてみたりすることです。ジャーナルを付けて、記録を取る習慣を作ると様々な気付きに役立つでしょう。

 

そして、シリアスに捉え過ぎず、何事も経験と思って、冒険に出ること・冒険的なことにトライすることをオススメします。だって、もう十分取り組むべきことは取り組んで来たでしょう。同じことを続けて来たでしょう。

原点回帰をすれば、あなたがこの世に肉体を持って生まれて来たのは経験をするためであることを思い出すと思います。私達は、大きな意味で捉えたら、幸も不幸も、喜怒哀楽をも、楽しむためにこの世にやって来ているのです。手応えややりがい・生きがいがないと、学びも喜びも生まれません。肉体や寿命といった限りがあってこそ、それらが生まれるわけです。

 

冒険に出ると、様々な連鎖という新たな起点が生まれるのは当然ですが、何より経験という素晴らしい実績叡智を手に入れることが出来ます。それらを他者と共有すれば、更なる展開が生まれます。

自分の等身大の実力も知れます。すると、新たな選択肢も見えて来ます。

新たに学びたいことも出て来るでしょう。

 

迷いも出て来るかもしれませんが、私達の身体は細胞や微生物の集合体で、見えない世界とも繋がっています。1人ではありません。なので、不安になったら、ダウジングもオススメです。

 

字数制限が来ましたので、今回はこの辺で!