前回の投稿にあるように、「よい子」を切り口として考え出した所、その後続きの悟りが導かれました。星の動きとも怖い程(!)連動しているので、記念に書いておこうと思います。

今回も私が経験しているからこそわかるお話です。この投稿が誰か一人にでも役に立ったら嬉しいです。

 

自分より他者を優先してしまうよい子について、前回お話しました。

どうしてよい子にして、他者を優先していたら、不幸になるケースが出て来るのでしょうか。

 

諸悪の根源は何かと言えば、繰り返し述べているように、本来の自分らしく生きていない点です。

 

本来の自分というのは言い換えれば、「素(す)」の自分です。

 

つまり、

本来の自分らしく生きていない素の自分で生きていない、素直に生きられない

素の自分曝け出せないのが問題なのです。

 

自分の中にストッパーロックがかかっているのです。

所謂、自制心が過剰に強いと言えるのです。

 

では、素の自分を曝け出せない・自制心が強過ぎる理由は何なのでしょうか。

 

臆病だからです!!

素を曝け出すのが怖いんです!!

 

言われたら当然と思うかもしれません。でも、自分を守るために、自然とを出さないようにしていることや、そうすることで自分で自分を過保護にしているということには、当事者だとなかなか気付けないものです。

 

私が気付けたのは、前回投稿をした日辺りだったと思いますが、いざ悟りの有言実行だ!ということで、人(主人)に相談せず、自分自身の判断で動こうと思い、行動したからです。

正直、全く自慢出来る話ではないのですが、騙されたと思って読み進めて下さいチュー

 

とある夜、私は、

本当はすべきじゃないのに、主人の寝付いた後、一人でコンビニへ向かいました。(深夜じゃないよ、22時半くらいだよ。)

本当はすべきじゃないのに(←健康志向だし)、チップスを手にしました。

本当はすべきじゃないのに、っていうかそもそも飲めないはずなんだけど、お酒を手にしました。(私の顔が強そうだからって、勝手に酒豪って決め付けないで!笑)

本当はすべきじゃないのに、ドラマで見た、アイスクリーム食べながら映画を観るシーンに憧れて、アイスクリームを手にしました。

無事にお会計。

ウキャアアアアアとそれだけで一人でテンションが上がりながらも帰宅。

 

そして、主人の寝ている同じ暗闇の中で、飲めないはずなのに酎ハイを片手にNetflixを観ながら一人でチップスをポリポリ。続いて、普段食べる場合は主人と二人で分け合うスーパーカップすら全てを一人でたいらげました。

 

余談、こういう風に本来すべきではないのにやっちゃった、でもやっぱりお陰で喜びを感じちゃうわ!というシチュエーションを、英語では「guilty pleasure(ギルティー・プレジャー)」と言います(笑)。

「後ろめたい喜びをもたらす物事、認めたくないが実は好きな対象、恥ずかしい趣味」(英辞郎

 

話を戻しますが、それで、飲んだのは酎ハイ(ほろ酔い)なので酒飲みには馬鹿にされそうな程度のアルコール度数(3%)な訳ですが、スッカリ良い気分になりました。

(まぁ、ちょっと息苦しいし、鼻詰まるし、顔も身体も赤くなるわけですけど。←両親もろくに飲めない)

 

一人で、気持ち悪い程のふざけた笑顔を作ったり、揺れてみたりしては楽しい気持ちになりました。普通に第三者が目撃したら危ない人と化していたと思いますが、自分のストッパー/ロック/自制心が外れて、何も気にせずその場を楽しむことが出来ました。

今回の行動は明らかに身体的には不健康なものですが、内容はさておき、人に判断を任せず、そして、人の目を気にせず(←なかったけど)、エンジョイしたい通りにエンジョイしたら、地味な一人飲み会なのに、最近感じることのなかった自由と喜び、満喫感に浸ることが出来ました。

 

同時に、私が愛する主人や実家の家族の前でも私がいかにハメを外したくても外せないかや、どんなに寝起きや深夜で私がいかに寝ぼけたくても寝ぼけられない程普段常に過剰な自制心があることを目の当たりにしました。馬鹿をやりたくてもやれない自分がいることに気が付いたのです。いつもしっかりしていないといけないとどこかで思っている自分がいたのです。

道理で、自由な生活なのに自由を感じないわけです。

 

そこで、ふと疑問が生まれました。

私は普段、飲み会で一切お酒を頼みません。親しい友人とも飲みません。勧められたら「飲めません」と言って絶対に断ります。宅飲みをする主人にたまに付き合うことがありますが、一ヶ月に一度か二度あるかないかという程度です。

度数や量のことはあるとしても、何故私は真っ向から「お酒が飲めない」と、どこででも言い続けて来たのでしょう?

 

社交的に少しだけならお酒を飲むことも選択肢に入りそうな私ですが、いつからそうなったのかを考えました。

 

振り返れば、大学時代のことを思い出してしまいました・・・滝汗

大学時代、実はクラスメートや留学生友達などとよく飲み会をしていました。とは言っても、やっぱりお酒はそう飲めないので酎ハイの半分〜一本が限界だったと思いますが。

留学生が多い外大だったので、パーティーもよくありましたし、カラオケや、まさかのクラブ通いも一時期ありました。思い起こせば、お酒を飲んで、クラブで知らない人達と踊りまくるなんてことも、ほんのわずかな時期ですが、ありました。

私が一人道を外れて遊んでいたというより、私と似た者同士の男に飢えた系の強がり女子仲間が集っていた感じでした。

 

それで、私とお酒の思い出を振り返ってみると、私の頭の中に出て来る自分の像はこうです:

痛々しかった、若かった、やらかしていた!

羞恥心、後悔、忘れたい!みんなも忘れてぇぇぇ!

封印!

 

反省の意味も込めて、ほぼ完全断酒というマイルールをいつの間にか作っていたようです。

このように学びを得て反省をし、態度を改めるというのは、世間的には良いことなのかもしれませんが、絶対的な考え方・捉え方はバランスを乱しますので、危険です。特に私のような根が真面目人間の場合は、気分転換や馬鹿になれる時間というのは生き続けるために必須なわけですので、それを「ダメ絶対」としてしまうと、それもバランスを乱します。

 

それはともかくとして、私の場合、反省どころではなく、ほぼ絶対的に断酒することで、過去の自分に鞭を打っていたのかもしれません。

 

もっと深く考えて行きます。

私は酔っぱらいが嫌いです。陽気に酔っているくらいでは気になりませんが、デレデレになっている酔っぱらいは大嫌いです。

男性の酔っぱらいを見ると、自分に被害のないように身構えますし、特に女性の酔っぱらいを見ると、はしたない・みっともないと思い、ドン引きします。

 

でも、私のドン引きしている対象は、酔っぱらいそのものでしょうか?

実際は違います。

 

原理としては、自分が嫌っているかつての自分自身を思い起こさせる人嫌いなのです。

 

嫌いな過去の自分を思い出させる人や、今や恥じている・後悔している・思い出したくない自分自身に似た人を見ると、普段過去の自分をバッシングしているように、その人のこともバッシングしないといけないと感じてしまう心理的な仕組みなのです。

 

過去の自分と向き合って折り合いを付けたり、自分自身を許したりするのは、こういう意味でも大変重要な意味を持ちます。自分に対して強い負の感情を抱いていなければ、他者を見ても強い負の感情を抱かないからです。

 

今回の話に限らず、大抵私達が極端にネガティブな感情を抱く時というのは、必ずと言っていい程、自分の身を守るために激しく抵抗している時です。

トラウマ(心的外傷)や、恥・後悔・怒りの記憶感情思い起こさせる存在を倒そうとするからです。自分に悪影響を引き起こしそうな存在をないことにしようと思い、倒そうとするのです。サバイバルのため(生き抜くため)ですから。

 

あなたが極端にネガティブな感情を抱く時には、そうさせるトリガー(引き金)となる何かがあるということです。

そんな時には立ち止まって、自分が何に抵抗しているかを読み解きたいものです。

 

そして、過去の自分と向き合えた際、鍵となるのは許しです。

例えば、今回の私の話のように、お酒を飲んでいた昔の自分を恥じていたならば、「若かったなぁ、未熟だったなぁ、でもみんなそんなもんだし、そう思えるということは成長した証拠だわ!」と笑って自分自身を許すのです。

 

学ぶべきことを学び取った後、学ばせてくれた経験に感謝し、自分を許してしまえば、もうストッパーやロックのような過剰な自制心は必要なくなります。

何も、もう一度同じ過ちを繰り返せと言っているのではありません。トラウマにならない程度にとどめようということです。

 

もっと言えば、自制心を持つということは、一見良いことに思えますが、よい子系の人達にとってそれは、他者の期待に応えようとすることに等しいことを指摘しておきたいです。

社会からの期待値があるために、それに見合おうと自分を制御(コントロール)自制するわけですから。それは、見方を変えれば、本来の自分の道への諦めです。

他者の期待に応えなければと思って、自分を痛めつけても、前回お話ししたドアマット型になるだけです。或いは、合いもしない型に自分を押し込めようとひたすら力尽くになって、息苦しくなるだけです。

 

自分自身で改善や啓発のために自制に取り組む場合もあるでしょう。

そんなよい子は、私のお酒との関係のように、自分を自分でひたすらセンサリングすることになります。常に自分が敵と化するのです。常に監視です。検閲です。懲罰です。

そうすると、ただでさえ疲れる上、私達の生命源である本来の自分(素の自分)からはかけ離れていきますので、生命力が減っていきます。

 

ですので、機会のあるごとに、自分の中の仕組みが本当に自分のためになっているかをチェックしたいものですね。

 

最後に、今回の私のお酒の話だけではカバーし切れていないと思うので、更生した系のよい子の特徴や生きるヒントを私なりにまとめます。

※字数制限で限界に近いので、こういうまとめ方を取ります(苦笑)。

 

更生系よい子の心理の特徴:

-自制心が強い

-人にどう思われるかが心配

-人より優れていたい

-過ちを犯しそうで気が抜けない

-人を傷付けそうで怖い

-自分が怖い

 

その理由:

-過去に起きたことに恥や後悔を感じている

-過去のような苦しみを味わいたくない

-過去と同じような境遇になった時に罪悪感を感じる

→だからそれを避けようと必死

 

行動・態度:

-常に自分をセンサリングしている

-安全は感じても、自由は感じない

-安心するために、常に結論を知っておきたくて白黒を付けようとする

-怖いことが起きる前に自分でやらかす

-人に悪口を言われる前に自分で自分を批判する

※自らやらかしたり事前に自分を批判をするのは、自分が自分の人生をコントロールをしていると認識したいから

 

生きるヒント:

-臆病になっている・自己不信になっている自分に気付く

-頭で考え、力尽くで欲しいものを得ても、手に入れた時には大事なものを失っていたりするので、こだわり過ぎない・頑固にならない→素直になる

-心で感じると、本来の自分(素の自分)と繋がれる

-悲しみや不安は一時的だと自分にリマインドする

-自分が馬鹿になれる時間を持つ・どんな自分も否定せずに受け止める

-他者と自分を比べない

-他者を批判しそうになったら、他者に嫌いな自分自身の側面や劣等感を見出だしていないかを探る

-これまでのことに納得がいっていないのは進化しようとしている証拠なので、変えようもない過去をどうこうしようとするよりは、未来をどう生きて行こうかと前向きな視点で捉える

-無い物ねだりではなく、「こんなもんで良いなら、これをやりたい」というくらい自分にとって楽なことをベースに道を拓く

気張らない程度の自分素の自分実績を得れば、自信・進化・開花に繋がる

 

安心して良いよ!

仲間はいっぱいいるよ!

自分を信じて良いよ!

自由になって良いよ!

 

それでは、今回はこの辺で。