隠者モードを脱しつつも、何かの答えや刺激を待つのが習慣になっているヨーコです。

今回は、珍しく瞑想を行いましたので、それで得た答えを書いていこうと思います。これは自分のために自問自答をしたものですが、似たような境遇にある、誰かの役に立ったら嬉しいです♡

 

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▶︎気晴らしに中毒となってしまう理由

 

仕事ばかりに明け暮れたり、同じ場所にじっと留まったりするのは、言うまでもなく不健康であるので、気晴らしというのは本来欠かせないことですね。「仕事とプライベート」、「運動と休養」、「家族と友達」等々、「氷と炎」のような反対の要素の事柄を日常生活に取り入れるのは、エネルギーの循環のためのバランスを維持させてくれますので、有益なことです。

 

しかし、例えば、スマホゲームやエンタメ、SNS、チャット、遊び、飲酒や暴飲暴食、喫煙、暴言、危険行為、過度な休養、サボりにばかり走ってしまう、割合のバランスの乱れた、ある種自暴自棄的な状況は何を意味しているでしょうか。

一種の中毒です。

 

その手の中毒は何を意味しているでしょうか。

現実逃避です。

 

では、何故現実逃避をする必要があるのでしょうか。

自分の作り上げている現実に直面したくないからです。

 

現実に何故直面したくないのでしょうか。

現実が、目に入れたくもない程、希望通りでない・思い通りではない・中途半端・恥ずかしいからです。

現実がそういう状態に見えてしまっているからです。

 

これは、自分が弱いということでしょうか。

違います。

これは、現実に付き合っていられず、いじけている・グレている状態です。一種の怒りを抱いている状態です。

「こんな家、出て行ってやる!」とはみ出していく家族が時々いますが、そのように、「こんな人生、出て行ってやる!」という状態にあるのです。

 

麻痺状態を生み出してくれる物事に浸っていれば、その間は、自分の人生を生きてはいるものの、自分の人生を生きている事実を忘れさせてくれます。自分の人生において、自己が不在の状態です。

自分が存在しているのに、不在という状況を作っているため、寂しさも倍増します。現実逃避もしたいついでに、寂しいからと他者からの愛で寂しさを埋めようと勤しんでも、実は答えはそこにありません。自分で自分を無視するのを止めるのが答えだからです。

 

では、どうして現実に付き合っていられず、怒りまで抱いているのでしょうか。

自分の本領発揮が出来ていないことを悲しんでいるのです。

怒りの底には悲しみがあるのです。そして、この悲しみは、罪悪感、それによって引き起こされる落胆で構成されています。

ですから、直面したくないのは、自分自身への落胆です。

 

どうして、落胆すると思うのでしょうか。

自分への期待があるからです。期待をしていないものには落胆しません。恐れているのは、「自分の期待を自分で裏切っている」と認識することです。

一見、自分に落胆するのを恐れているというのは、弱さのようにも見えますが、実際は目標意識が高いことを示しています。本来自分が到達しているべきだと思っている着地点が見えているからこそ、そこに到達していない自分自身を責めてしまう自分がいるのを潜在意識的に知っているのです。

本当に頑張りたいこと、本当は愛している物事や人についての自分の実力の通知表やスコア(得点)が良くない場合、見たくないのが人間です。所謂完璧主義者や理想主義者に見られますが、自分自身に対しての期待値より実際には低いスコア(得点)を認めてしまうと、「そんなことも出来ない自分」の存在価値への疑いを持ってしまうからです。

 

このように、自分で困難な目標設定をして、無謀に突っ走って、無理そうだから逃げるという悪循環な取り組み方への解決策は何でしょうか。

 

まずは、焦らないことです。こういうことで悩む人は、期間設定が短過ぎることがよくあります。それも到達困難な条件の一つです。

 

例えば、編集されたYouTube動画や、ドラマ・映画などのエンタメで、テンポ良く、サクサクと物事が進むのを映像で日常的に見るのが現代の私達です。そんな私達が使うパソコンやスマホ等のツールもサクサクと処理を重ねます。

スマホやパソコン上での作業をする人は、何でもすぐに美しく機能的に作り上げられるというイメージを自分自身に刷り込んでしまっているため、物質世界のペースと感覚が合わなくなってしまいます。

また、現状に対して問題意識を持ち、打開したいと思えば思う程、待ちきれずに、急いだり焦ったりしてしまうのが人間です。

 

ここで、大事なことは、物事には裏方の存在があることや、あなたが日頃何気なく目にする人々の作品が完成するまでには多大な時間と労力をかけたプロセスがあることを念頭に置くことです。

ジャンプカットや早回しで、チャカチャカと物事が進んでいくYouTube動画の元映像は、私もYouTuberだからわかりますが、とってもスローです。極めて普通です。三脚を用意したり、カメラの角度を調整したりするので、普通より遅い場合が普通ではないでしょうか。その上、編集に時間を費やしています。幾ら格好良く見えたとしても、実際はあなたの方が要領良く、物事を早く進めていると考えるのが普通です。SNSに上がっている写真も同様です。

頭の回転が速い設定の主人公が活躍する映画・ドラマや、物事の展開の早いエンタメでは、視聴者が気持ち良くなる計算をし尽くした台本が用意され、何度も練習を重ねたプロの俳優・芸能人達がプロの演出を受けて撮影に挑み、編集されて出来上がっています。出来上がった作品現実でないからこそ、私達はそこに憧れ魅力を感じるのです。手が届かない、人間の域を脱している物を見た時、特に日本人というのは伝統的・民族的・宗教的に、それを「神がかっている」と捉えるものなのです。

従って、まずは他者と自分を比較しないことが心を楽にしてくれるでしょう。そもそも、生きている理由(使命)が違っているわけで、比べようがないのですから。そして、少なくとも、ツールやエンタメといった作られた物(人工物)と天然物である自分を同じ天秤で比較しないよう、心掛けておくことが、あなたを守ってくれるでしょう。

※便利なツールやエンタメが悪と言っているのではありません!前投稿のキャラ設定などについては特にエンタメは役立つ程です♡ 物事の実態や性質を踏まえておこうという話です。

 

以上を踏まえて、現実逃避をするための中毒に陥ってしまう人にお伝えすべきことは、他者の努力の存在を知ることと言えます。

あなたの周りには、強がったり、格好付けたりして、或いは単純にセンスがあるから習得が早くて、簡単に何でも物事が進むと言って自慢する人もいるかもしれません。でも、良い結果を出す人というのは、実は皆努力を重ねているものです。物事を有利に運べる人の中には、私のような「好きこそものの上手なれ」を体現しているような人もいる程です。努力を努力だと感じずに自然に努力しているパターンです(笑)。

ですので、他者の努力をお祝いすることが、現実逃避のための中毒を止める第一歩かもしれません。そうすることで、この物質世界における物事の仕組み力の働き方因果関係を「努力あってのことなんだ」と受け止められるからです。

例え作品でなくとも、他者の完成形自分の初期形を比べても何の比較にもなりません。せめて比べるなら、同じ段階の物事を比べましょう。


そもそも、努力をするところから嫌がる人もいるかもしれません。その場合は、努力が報われないのを恐れているのでしょう。或いは、努力が報われないことばかりが続いて、疲れているのかもしれません。まずは、頑張っている自分を褒めてあげましょう。そして、努力の仕方を見直しましょう。

 

努力には方法手段というものがあります。報われなければ、やり方を変える。そして、焦らず、根気強く、色々試してみることが鍵です。その際、「みんな世の中そんなものである」ことを思い出し、受け入れましょう。

出来る・出来ないの話から、どの方法・手段だったら上手く行くかの話に切り替われば、やるべきことも見えて来ます。主体が自分から方法・手段に変わりますので、自分を責めることもなくなります。上手く行く方法を探すことになれば、恐れは関係なくなり、現実逃避をしたくなることもなくなることでしょう。

それ以前に、現実そのものの受け止め方にも選択肢は複数あるものです。既に無理難題を自分に課す例を上に書きましたが、単に捉え方に客観性が足りていないだけの場合もあります。自分の現実の捉え方にバイアスがないか、確認してみましょう。

 

一番大事なことは、あなたが「神ではなく、生身の人間である」と念頭に置くことです。

上で述べましたが、「神がかっている」ことへの憧れや魅力を感じるのであれば、尚更、実際の神々やご先祖を意識すべきなのです。あなたと相互に助け合う存在ですから。

あなたは、であり、神々やご先祖から頂いた身体に宿っている存在です。同じ使命に取り組む魂のグループ(ソウルグループ)という仲間も存在します。

物質世界にやって来たあなたは、神々やご先祖と共存・共創しています。神々やご先祖にはそのお役目があり、あなたにはあなたの役目があります。それぞれの持ち場使命があるのです。なので、全てを自分だけでどうにかしようとしないで下さい。物事を強制的に動かそうとしないで下さい。寧ろ神々やご先祖の存在を無視するのは、無礼であり、ルール違反です。それで、痛い目に合うわけです。お力添えを頂けないわけです。

難しいことは考えず、神棚を整え、毎日祝詞をあげ、見えない世界に思いを馳せながら、日々の生活やその支えに感謝し、ただ「委ねる」「生かして頂く」という能力を磨くと、独りよがりでいじけて、現実逃避のための中毒自暴自棄に走るようなことはなくなると思います。

見えないからと言って、そこにないのではありません。存在しています。思いを馳せれば、ご縁を繋ぎ、助けて下さいます。


自分以外の存在に頼る、協調することも、一つの能力なのです。それが出来れば、もっと自分自身を大切に出来る、そして開花させられる自由と可能性を感じるはずです。

そして、それこそが、全てを好循環に変換してくれる鍵であったりします。

諸悪の根源は、悪循環です。それを独りでどうにかしようとするのではなく、どうやったら好循環が生まれるかを考えましょう。見えない世界との繋がりや、あなたの日頃の生活習慣を含めて♡

 

と、またまた長くなってしまいましたが、まぁ、つまりは、繋がりを絶って一人で何でも背負い込むという、余りにも重荷の多い個人主義を見直す時期なのでしょうね♡

 

今回は、この辺で☆