感受性と傍観者
おはようございます。randomaizeです。
さて感受性。さぁ感受性。
今日私の尊敬するアーティスト、
REBECCAのボーカリストであるNOKKOさんのHPを見て思いました。
「 風の中に冬が3カップ入っていますね、夜の9時になるともう虫も鳴かない。
今の私の暮らしはこの時間が真夜中のようです。
闇がやわらかい夜は物語りの小人が出てきそうなほど静かです」
nokko.jpより抜粋
この人はどれほどの感受性とセンスを持っているのかと。
「表現する」というカテゴリの中に身を置くと身の回りの事を
自分というフィルターを通して私であればベースの音として。
そしてある人は筆に、ある人は声として表現します。
感受性が強ければそれだけ違う解釈の仕方もできるし、
違う解釈の仕方をすれば違う表現の仕方も可能になります。
私は70%の屁理屈でできていて
残りの30%の内20%が不真面目、
そして残り10%は傍観でできています
全ての事柄を屁理屈で受け止め、それを自分なりに(間違っていても)勝手に解釈し、
それをつたない指先で音楽として表現するには感受性が足りないと痛感し始めている今日この頃
屁理屈だけで物事が測れるわけがないを理屈でわかっているのに
感受性が広がらないというのは毎日の生活に変化がないから
色々な理由をつけて感受性を広げる努力をしないのは屁理屈。
さらに無精者で臆病という事も関係しています。
もう少し自分の生活の枠を広げてみよう…そう思いました。
あ、オチないです