仮初と屁理屈男
とあるブログに対する私の意見、そのブログにコメント書けって感じですが
あまりにも長文になりそうな気配がするので文章をこちらに。
結論から言うと 男も女も人に欲がある限り仮初
人と人のつながりの中には損得勘定も含めて居心地がいいか悪いかというのが付いてまわる。
それは異性、同姓、はたまた年上、年下に関わらず。
居心地のいい空間を作る為にはその一緒にいる相手に対して少しだけ優越感も必要
どの部分で優越感を得るかは千差万別。
たとえば花魁であれば客は「お金を払っているから」という気持ち。
バンドであれば「このバンドには私じゃないとダメだから」とか
年が違えば「私の方が年上(下)だから」という気持ち。
総じて相手にしてみれば居心地が悪くなるなら自分じゃなくてもいいというのが真実。
自分以外の人間と一緒にいて
自分が変わる事なく居心地がいいという事は絶対に続かない
なぜか?
それは相手が自分じゃないから
お互いが居心地がいい状態でいるにはお互いの事を考える必要があるから。
そうしないと気を使っている方が持たないから。
そして欲は人の性、楽な方に転がりたがる
気持ちに行動が足れば相手が100の気持ちでいてくれる事に110の力で応えようとする。
でも110の気持ちで優位にたっても100しか気持ちが戻ってこなければ不満を感じる
もはや居心地のいい空間ではなくなる
その後一緒にいる為に必要なのは諦めであったり我慢であったり。
でもそれを含むと居心地のいい空間とはいえない
その気持ちが昔から女性に強いられる事が多かったのは事実。
男尊女卑、くだらない慣習、女だからだとか。
話は戻って花魁。
花魁は気持ちを一手に引き受け相手に一時の快楽を与える代わりに金を受け取る。
男は快楽と楽な気持ちの代わりに金を失う。受け取ったお金は何に使っても良し。
男はその金を花魁に使う事で快楽を得る、その金で手に入るほかの物を失う。
そこには仕事としての関係のみでどんな行為であれ私情は禁物。
仕事はそういう物だから、そして嘘も仕事の道具だから。
惚れた腫れたは基本的に50:50じゃ始まらない。
どちらかが相手よりも大きい力を使って始まる物だからバランスが取れなければ別れる。
気持ちを求めるのなら常に相手の気持ちを考えないとすぐに終わりはやってくる。
相手に求める気持ちが強ければ恋が始まる。
が、
そうさせるのに邪魔なのが今までの事とこれからの事。
果たしてこれから一緒に添い遂げられるのか?
不安は甘えとなって相手に降りかかる
自分の気持ちと世の真理
そして
「たくさんの矛盾がちょうどいい」
完璧な世界なんて誰も欲してはいないと思う。少なくとも私は欲していない。
もし完璧な世界であれば私の居場所はどこにもないだろうから。
私の気持ちを100%わかるのは私だけ。
貴方の気持ちを100%わかるのも貴方だけ。
真理がわかっていても実行できないのが人
こんな冷めた愚文を思いつくから私は人に煙たがられるんだろう。
ま・あくまでも今の私の意見
我ながらくだらん男だと閉口