決定的瞬間 | ☆

決定的瞬間

事が起こったのは夕方だった

 

結局自宅で眠れないまま時間ばかりが過ぎ食事も喉を通らず
テレビもつまらない民放しかなく外に出る事もできなかった


父親からの電話で病院に戻ると容態は特に変わったわけでもなく
ただ一度痙攣を起こしただけという


脳梗塞を患うと喉の開閉する場所が空きっぱなしになるので
そこから肺炎も併発しているという。熱は41度
痰がからんだ呼吸は苦しそうだが姉が言うには意識がないので
皆が見ている程は本人は苦しくないのだという


祖母が祖父に話しかけると反応するように大きい息をする

意味がわかっているかどうかは別の話として
もしかしたら耳は聞こえているのかもしれない

何かの記事で人は死ぬまで耳は聞こえていると書いてあった


私も話かけようかとも思ったが逝こうとしているのを呼び止めるようで
なかなか言葉が出てこなかった

ただ一言だけ
「山は大丈夫やけん、昨日もデコポンとっとるけん」
とだけ振り絞って話した


入院してまだ意識があった当時看病していた従兄弟の話だと
祖父はみかんを取る時に腕時計をしており
腕を上げた時にずれた腕時計を腕を振って直すという癖をずっとしていたという


もちろんその時その腕には腕時計ではなく点滴があったのだが


脳の血栓の為に認知症も併発していた祖父は
ずっと肥料を混ぜる仕草をしたり腕を振ったりしていたのだという


それから2時間もたたない内にその時は訪れた


まず最初に血中酸素が感知できなくなった
それから呼吸数が一桁になり、そして0になった
血圧が上が60、下が30になりそれもどんどん落ちていった
血圧が不定期になると共に脈がでたらめな数字になり0になった
 
祖父は亡くなった


集まれる人間はすべて集まったと思う。子や孫総勢20人以上、
病室に入りきらない身内を代表して長男である父がベッドに脇にいた

脈が0になってからの小さい鼻をすする数はずっと減らなかった

私は「今学ばなければ」とずっと涙をこらえ組んだ右腕で左腕を抓(つね)り続け

ドクターの「ご臨終です」という言葉を聞いて皆が退室し始めてから
祖父の傍に立った


もう必要ない管は全て取られた後の祖父の顔は
どうともとなれない無表情だったと思う


ただ一言だけ「おつかれさま」と言ったその言葉はもはや声にはならず
下を向いた時に瞼に支えきれなくなった涙が数滴こぼれた
 
時間が時間だったのでお通夜は翌日という事でお通夜の場所まで祖父を運ぶという


その間私は姉夫婦、姉の子供3人と食事をし、それから姉の新居で話をした

これからの私の事や山の事、そして財産がどうとか身内の事

それから父達の待つお通夜が行われる会場を訪れ、祖父に水をあげた

ずっと笑っていた祖父しか印象がなかったので
素の顔の眉毛がこんな角度だったかと少し変な感じがした

少し父達と話しをした。喪服も必要なのでその段取りも
 
長時間の緊張で疲弊しきっていたので少しずつ睡魔が襲ってきた

両親はその場所にずっといなくてはならないようなので私が実家に戻る事になった


自宅にもどって1時間もしない内に風呂にも入らないまま眠ってしまっていた