帰省
朝仕事が終わって自宅に戻りすぐに風呂に入り準備
外出用の服を着込んでそのまま電車に乗りこんだ
今日戻る事は誰も知らないままの出発
十時過ぎに出発し新幹線に飛び乗って乗り続けること4時間
東京は未だ初雪すらないというのに途中で雪景色と遭遇
新幹線のアナウンスだと雪で減速する為岡山へは15分程度遅れて到着の事
よくよく考えれば何の土産も買わず飛び出てしまったけど
実際そんな事を言っている場合ではないのでと自分を納得させて岡山で下車
所が岡山から松山までの汽車に乗り換えるのに結局30分以上待ち
空き時間でいまさらながらお土産を物色
といっても岡山土産というと団子ぐらいしか…
両親ももう年で糖尿病の事を考えると甘い物もダメかと思いつつ…
それ+当地の漬物とかだと塩分の取りすぎも体にはよくない
結果きな粉団子を買い、姉の家は子供が3人もいるので桃のケーキを
時間に余裕があったにもかかわらず電車の乗る場所を間違いギリギリで松山行きに乗車
瀬戸大橋を渡り一路松山へ
途中で聞いた車内放送
「この電車の乗降口にはセンサーがついていませんので
閉まるドアに接触しましてもそのまま閉まります」
なんつー放送だ…
松山のホームは同じホームの岡山側に岡山行き電車が止まり
宇和島方面には宇和島方面の電車が止まる方式
宇和島方面への電車までまた30分程の空き時間
暖かいコーヒーを飲みながら待つこと30分
来ない…
ここでもまた遅延、ヤキモキしながら10分程度待ち宇和島行きの電車に乗車
もしこのブログをJRの人が見るなら声を大にして言いたい
遅れたことを詫びるより遅れないようにするのが
あんたらの仕事だろうが
遅れたからってそのままずらして運行するなんて
誰でもできるんだよこのバカ
途中の山中で「公衆電話」からの着信、すぐに電波が切れてしまう
一番嫌な事が頭によぎる…間に合わなかったのか…と…
しばらくして電波が入るとやはり病院からの電話
「もういつ何が起こってもおかしくない」そういう母の声は少し諦めも入っていたように感じた
明日戻れの言葉には「今もう汽車で30分あれば着くから」と答えた
少しずつ遅くなっていく到着時間、
結局八幡浜についた時には予定時刻を30分以上遅れての到着だった
握りつぶしたチケットをJRの駅員に放り渡しタクシーでそのまま病院へ
運転手に運賃を聞いて小銭はいいからと先にお釣りを受け取り到着とともに走って病室へ
間に合った
ただそこにいたのは私が知っている祖父ではなかった
体中に付けられた管と虚ろな目、すでに意識はなく気道を確保する為に首を上げ
覗き込まないと正面から顔を見ることすらできなかった
そこには私の母と叔母、そして従兄弟である叔母の娘と3人がいた
3人ともこの現状に慣れてしまっているようだった
もう一週間近くこの状態らしい
人の死はいつくるかわからない
手を握り話しかける私の手、少し手を握り返された気がした
わかっているのかどうかもわからないまま握る私
1時間ぐらい今の状況を聞いてひとまず実家に帰る事になった
自宅に戻る坂道、右を見ると今まであった住宅と私が育った保育園はなくなっていた
戻っていない何年かの年月、この町も変わってしまっていた
まだ今日は大丈夫だと言われ、事が起こってからではもう手遅れだとも思い
昔お世話になった人達の所に挨拶に向かう
夜、お酒を扱うお店を何軒か。一人は驚いたような顔で、一人はいつもと変わらず迎えてくれた
いつ携帯電話が鳴ってもいいように携帯を目の前にお酒は一滴も飲まず話をした
今までの事、前にいた人の事…
気づけば夜中の3時、歩き自宅に戻りながらヘッドフォンをはずすと
驚くほど静かな風の音以外聞こえない故郷があった
八幡浜も雪景色だった
