落ちぶれるという事
先日の夏祭りで私はたらふく自分の金で出店のディナーを頂いた訳ですが…(;-ω-)
たこ焼きを見て今でも思い出す言葉があります
私の父親は四国でも有数の企業に働いていました。
現在は叔父の後をついで農業をしていますが…
私がまだ小さかった頃、父親はその会社のトラックの運転手をしていました。
それからどう転んだのかわかりませんが
父親がその企業の支部長まで上り詰めていた頃でしょうか?
その当時、自分の部下である人達を集めて家で麻雀をよくしていました。
私は灰皿を交換したり飲み物を持って行ったリ、
何かにつけて父親の部屋に行っていた事を覚えています。
元々面倒見がよかったのかどうか…
部下の人達は父の事を慕って手土産を持って来たり
私にお小遣いをくれたりしていました。
ある日の麻雀が終わった帰りの事です。
「●●さんにはお世話になっているから」
そう言って挨拶をしていた部下に対して父親が発した言葉……
「気にすんな。まぁワシが落ちぶれて市立病院の前でタコヤキでも
焼いてたら…その時に買いに来てくれればいいから」
もちろん方言で話しているので標準語にうまく直せているとは思えませんが…
その言葉が二十数年たった今でも心の中に焼きついています。
裕福ではなく、中流家庭だと思っていた私の家が裕福だったのではないか?
幼い私では、
過疎化が進む町で夜遅くまで人通りもない中でタコヤキを焼き続ける…
そういう事をしてでも私や姉を養って行く…
その父の決意がわかってあげられなかった…
タコヤキを焼いて人に売る。
一般的に屋台と呼ばれるこの仕事は、
当時の私にとって貧しい人がする事だと思っていました。
もちろん今は決してそうは思っていませんが。
ただあの暗い夜道で独りで客を待ち続けるという孤独感に耐えながらでも
私や母、姉を養って行かなくてはならない…
今は会社でいい地位にいたとしてもこれから先がどうなるかわからない…
多分父親にしてみれば軽い冗談のつもりだったのかもしれません。
それでも今、私がこれまで大きくなってこれたのは間違いなく両親のお陰…、
小さい頃にワガママを言っていた私を今も悔やみ続けています
父親は今の私の歳には5つ上の姉と私とが生まれていましたが、
同じ歳になっても私は独り…
今度実家に帰った時には泣いて謝りたい…そんな気持ちでいっぱいです。
父親と一緒に腹を割って話しをしたとしても、
絶対に当時の愚痴なんて私にはこぼさないでしょう。
私の父親はそんな父親です
今度実家に戻った時…私は両親に心から有難うと言えると思います……