おくのほそ道ひとり旅 出羽篇
*2015年6月17~20日

一昨年の青森、昨年の岩手、秋田に続いて、今年は山形への一人旅。小学生のころ、東北地方は奥羽地方と習った。黒々とした森林をもつ奥羽山脈が覆いかぶさっているイメージだった。しかし新緑には遅く青葉には早いこの季節だが、東北はどこへ行っても緑が美しい。仙台空港からアクセス線で仙台駅へ。
■仙台
仙台はとりわけ杜の都にふさわしく美しい街。青葉城跡から市博物館、県美術館、定禅寺通へと。ついでに国分町も一番町も歩いた。
仙台市博物館「国宝吉祥天女が舞い降りた!奈良薬師寺未来への祈り展」。麻布に描かれた吉祥天像、東塔の四天王立像、聖観世音菩薩像など間近に接することができた。常設展では、慶長遣欧使節「支倉常長像」を見た。
宮城美術館。なんだか絵はがきの大きさでいいような「杉戸洋展 天上の下地」。当方のねらいは佐藤忠良記念館。「帽子・夏」は天井の窓からの光に像の後ろの壁に影が映って見事。昼は、「カフェ モーツァルト・フィガロ」の肉と野菜のパスタとハイネッケンをテラスでゆっくりと。
美術館はしつけが見事で、この店をふくめ応対が行き届いており、先の来館者の多さに不慣れなのか、不手際が目立った博物館とは大きな違い。
せんだいメディアテークは、図書館をふくむ複合施設。「ガウディ×井上雄彦─シンクロする創造の源泉─仙台展」は、ちょっと理解不能、好みに合わず。
参着のみちのく欅の涼しくて
行く人も欅もすくと昼目覚め
同行の芭蕉句集やあやめ草
――仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて、四、五日逗留す。〔…〕あやめ草足に結(むすば)ん草鞋の緒」★萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』
芭蕉と曽良が仙台に入ったのは、元禄2(1689)年5月4日(新暦6月20日)。国分町の大崎庄左衛門の旅籠に泊まり、4泊。国分町は仙台藩の城下町が成立する以前からの町で、300年を経て今は東北一の繁華街。
泊まったホテルコンフォート仙台西口の近くに「芭蕉の辻」があるので行ってみた。その由来は、芭蕉樹があったとか、「場所の辻」の訛ったものだとか、藩祖政宗が重く用いた芭蕉という虚無僧が居住していたためとか、諸説あるが芭蕉にはまったく関係がない。
芭蕉に縁があるといえば、「芭蕉は宿を出発し、仙台の交通の起点である『芭蕉の辻』に出て、東西に走る大町の街路を東に向かい、塩釜街道の出発点である原町宿に入ります」(萩原恭男・杉田美登『おくのほそ道の旅』)とあるように、ここを通ったというだけ。夜は「伊達の牛たん」でシチューに生ビール。

■山寺から山形
仙山線で「閑さや岩にしみ入蝉の声」の山寺へ。雨模様だったが、国境を越えると、一転して晴れ。立石寺の1015段をゆっくり登る。写真を撮るふりをして(実際に撮ったが)蝉塚などで小休止を重ねる。上に赤いポストがあり、孫に絵はがきを書いて自慢するつもりで切手も用意していたが、この厳粛にして嶮しい写真の絵はがきがなく断念する。芭蕉記念館。池大雅による芭蕉図に「月はなを荷ふてやせし翁かな」寒河江の俳人山村月巣の敬書。
立石寺立谷川には立葵
空蝉の岩に縋りし媚態かな
蝉の声老いの階もう一段
玉こんのうんちく出羽の夏座敷
山形駅コンコースは旬のさくらんぼ売りでいっぱい。昼は「澤正宗」で芭蕉の出羽の句「めづらしや山をいで羽の初茄子」にちなんで、焼きナスおろしそばに生ビール。
トンネル出づ緑まばゆい出羽の国
置賜庄内実を振り分けよさくらんぼ
さくらんぼさっちゃん頬をすぼめぷぅ
山形新幹線で米沢か、山形自動車道で鶴岡か。「角振り分けよ須磨明石」ではないが、大いに迷った。昨年は秋田で、角館か象潟かで悩んだ。米沢は、①イザベラ・バードの激賞の地、②景勝、兼続、鷹山など歴史小説の主人公の地、③信長から謙信に贈られた「洛中洛外図屏風」の上杉博物館。だが、芭蕉の旅ゆえ、鶴岡へ。ちなみに、1878(明治11)年、異邦からの旅人イザベラ・バードはこう書いた。
――米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。★イザベラ・バード『日本奥地紀行』
とりあえず山形県立美術館へ。隣りの最上義光歴史館も霞城公園もパス。常設展は印象派など有名画家の作品が並んでいるが、この種のコレクションは、ちょっとなぁ…。山形駅から鶴岡まで高速バスで約2時間。雲がかかって頂上の見えない月山、湯殿山。やがて庄内平野に。
■鶴岡
鶴岡駅でレンタルサイクル。内川沿いに走るのだが、貰った地図と実際の橋の名前が一致しない。行ったり来たりしながら、ようやく朱塗りの三雪橋に到る。
――顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。〔…〕前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。★藤沢周平『蝉しぐれ』
藤沢周平で好きなのは、『蝉しぐれ』『海鳴り』。米沢藩主上杉鷹山を描いた『漆の実のみのる国』はかつての瑞々しさが消えた文体と思ったら、絶筆となった。藤沢周平記念館は、書斎の再現以外は見るべきものもない。藤沢の句に「冬潮の突けととどろく夜の宿」がある。
ようやくに海坂藩や蝉しぐれ
夏夕日少年剣士はスニーカー
羅や清左衛門の振り向かず
武家の町鶴岡15万人、商家の町酒田12万人、庄内地方の二つの町は今もライバル関係にあるらしい。だが全国チェーンの大型店舗が郊外にでき、市街地は寂れるばかり。
ところで、庄内藩は14万石だが、藤沢の海坂藩は7万石。酒田は新しく鶴岡は古い。だから藤沢は海坂藩を鶴岡に限定したのだと、同じ鶴岡生まれの作家佐藤賢一は言う。
致道博物館で、明治の郡役所、警察署、かや葺民家など、建築の美しさに魅かれる。
夜は庄や。庄内名物丸い豆腐南禅寺。冷酒は福井の純米大吟醸梵・艶からスタート。ルートイン鶴岡駅前に宿泊。大きな風呂があるのが何よりいい。ホテル前に全農山形鶴岡倉庫。やがて酒田の山居倉庫のライバルか。

■羽黒山・最上川
一人旅のうち一日はツアーに参加し、自ら判断をしないこととした。今回は、庄内交通の「庄内おばこ号」羽黒山・最上川舟下りコース。といっても客は当方ともう御一方、このためハイヤー。 饒舌すぎず寡黙すぎずまことに適切なママさんドライバーによる案内。鶴岡駅前から、羽黒山五重塔、三神合祭殿、古口港から最上川舟下り、酒田駅前という約5時間のコース。羽黒山から残雪の月山、湯殿山を眺める。
――出羽三山は自然崇拝、山岳信仰の山である。ここでは草も木も小石も川の水も、目に触れるいっさいのものが神である。羽黒山で身を清め、月山で死に、湯殿山の御神体の温泉で身を清めて生きかえるのである。出羽三山を訪れた者は、擬似の死を体験し、新しい命をいただいて帰る。46歳の芭蕉は、それまでの自己を捨て、この地で新しい人格を得て、生きかえろうとしていた。★嵐山光三郎『奥の細道温泉紀行』
三山の現世は羽黒大暑かな
夏霧の果ての月山走り過ぐ
水奈月の湯殿のことは無きことに
――いまなお芭蕉の『細道』記述のままの最上川があり、『細道』があるために天然無垢の最上川が昔のまま残っているとも思え、言霊が自然に永遠の生命を吹きこんでいる。★嵐山光三郎『芭蕉紀行』
最上川芭蕉ラインは古口港から草薙港まで約1時間。しかし当日は山背風のため、古口港から上り下りの巡回コース。流れは「速し」である。水に勢いがあり、水底はさらに流れが速いとのこと。それにしても山背風は昨年三陸で経験したが、ここでも……。昼は舟の中で竹かご弁当(みそおにぎり・菜めし・竹の子・ふき・玉こんにゃくなど)。古口の乗船口に子規の「朝霧や船頭うたふ最上川」の句碑。
水無月の水の漲る最上川
山背風川下り舟上りけり
舟唄は英語バージョンやや暑し

■酒田
――いわば庄内は、「上方、江戸、東北という三つの潮目になるというめずらしい場所」であり、司馬は『街道をゆく』を書きはじめたときから、庄内へゆくことを考えていたらしい。しかし、「自分の不勉強におびえて、いまだに果たせずにいる」と無念そうに書いた。藤沢周平のいる庄内には、なかなか気楽には踏み入れないといった事情があったのではないかと、根拠もなく想像してみるが、さだかではない。★赤坂憲雄『司馬遼太郎 東北をゆく』
山形といえば、藤沢のほかに丸谷才一、井上ひさしの出身地だが、司馬は井上とは親しかったが、同じ時代小説、歴史小説の藤沢とは交流がなかったらしい。
酒田ではまず土門拳記念館へ。土門拳は酒田市出身。かつてザラ紙でつくった『筑豊のこどもたち』という写真集を買ったことがある。ここでは、「古寺巡礼」(浄瑠璃寺吉祥天など)、「手」(写真は藤田嗣治の手など)、「風貌―昭和の文士」の豪華3本立である。
ついで酒田市美術館。丘の上に広い芝生の庭をもつ別荘のような美術館。「くまのプーさん展」。幼児をつれた若いママたちで賑わっていた。森田茂「黒川能」シリーズを見て、早々に退散。
るんるん福祉バスで山居倉庫へ。「暑き日を海にいれたり最上川」、芭蕉が川舟で酒田の港に下った、その川のそばにある。近くのホテルでレンタサイクルを借り、本間家旧本邸(見るべきは外観だけ)、本間氏別邸庭園・清遠閣(迎賓館)、本間美術館(蒼山コレクション展、桃山時代の志野深鉢に釘付けになった)、そして酒田駅で自転車返却。
ホテルイン酒田駅前に泊まる。夜は海鮮厨房「うろこ亭」。地元酒田の純米大吟醸本流辛口「楯野川」、庄内浜産の岩牡蠣1ケ820円也など。朝は地産地消。デザートにさくらんぼ。山形県は「山形日和。」というキャンペーンの真っ最中。
暑き日の入るを待つ出羽大橋に
最上川なんども渡る夏日和
駅前は闇一軒の麻のれん
■象潟
――江の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢(ちせい)魂をなやますに似たり。
最終日。芭蕉「おくのほそ道」の象潟は、とりわけ声を出して読みたくなる名文である。
――象潟や雨に西施が合歓の花
象潟はもはや陸地になっているとはいえ、この一句によって不滅になった。西行は象潟を絵画にし、芭蕉は音楽にしたともいえる。★司馬遼太郎『街道をゆく29秋田県散歩』
象潟駅観光案内所でレンタサイクルを借り、まず蚶満寺。芭蕉の木があるのはご愛嬌としても、芭蕉像の前に西施の像があるのは如何なものか。道の駅象潟ねむの丘の日本海を望む広場にも西施像がある。道の駅の展望台から田植の終わったばかりの田の中に点在する九十九島はやや視界不良。案内板に従い田んぼの中の道を自転車で回った。
ところが肝心の合歓の花が見つからない。芭蕉が象潟を訪れたのは旧暦6月16日(新暦8月1日)。能因島の近くの道に10本ほど合歓の木をやっと見つけた。そのうち一本だけ花が三つ咲いていた。
青田波舟にて翁渡りしが
花合歓を探す旅人となりにけり
花合歓の残像憾むがごとくなり
雲の峰九十九従え鳥海山
青田風頂隠す鳥海山
にかほ市象潟郷土資料館「おくのほそ道と象潟」展を見て、特急「いなほ1号」で鳥海山や静かな日本海を眺めながら約1時間で秋田着。1年ぶりだが、土曜日でもあり駅周辺は賑わっている。

■秋田
秋田県立美術館。昨年は藤田嗣治「秋田の行事」を見るため訪れた。1年ぶりの再訪。ここでは「田園にて―秋田の風景・子ども・女たち―」展。秋田の変貌する農村風景を地元の千葉禎介の写真、橋萬年の日本画、勝平得之の版画、そして秋田を再三訪れた木村伊兵衛の写真。田植も刈上げも大人数で行っていたようだ。懐かしい昭和があった。伊兵衛の「おばこ・大曲」(1953)は、観光ポスター「あきたびじょん」にもなった。
秋田美し伊兵衛「おばこ」に青田波
水庭の水紋涼しカプチーノ
このあと秋田市立中央図書館明徳館で郷土資料を閲覧。昼は「寛文五年堂」で稲庭うどん。トピコで光月堂カトールスティック。秋田空港では予約のJAL便が欠航、あわてて代替のANA便に。芭蕉の「おくのほそ道」出羽の歌枕の地、そのミュージアムを駆け足で訪ねた旅だった。(2015年6月17~20日)





