2025=椿子物語の世界・芦屋句会 | 神戸RANDOM句会

神戸RANDOM句会

シニアの俳句仲間の吟行・句会、俳句紀行、句集などを記録する。

 「千原叡子さんの展示を芦屋の虚子記念文学館でしているので、今度の句会の候補のひとつに」との、つきひさんの提案を受け、9月に一風幹事長、蛸地蔵さん、見水さんが現地を下見。

 今年の4月から来年3月8日まで虚子記念文学館で開催中の

「珠玉の虚子晩年小説『椿子物語』の世界―ヒロイン叡子と虚子の微笑ましい往復書簡を中心に―

は、千原叡子さんのご遺族が虚子との書簡を同館に寄贈され、「椿子物語」に改めてスポットを当てた展示。見ごたえがあり、面白い句会になりそう、と実施案をまとめ、メンバーに案内状を送りました。

 第43回神戸RANDOM句会は、初めて芦屋を吟行します。

 

芦屋へ

 11月3日に近畿で木枯らし1号。兵庫県北部の氷ノ山で初冠雪。今年も短い秋でした。

  たゆたいて去る冬の蝶うす黄色  へるめん③…〇数字は句会での得点、

 元気に飛び回っていた蝶も、あまり見かけなくなりました。

 

 蝶といえば、10月末につきひさんからメールをいただいていました。

 「今日は、嬉しいニュースをお届けします。去る、10月18日に1頭、23日に3頭我が家の狭庭の藤袴にアサギマダラが来てくれました。10年以上前から藤袴を植えて待っていました。奇跡です。びっくりしました。今年は、藤袴が沢山咲きました。でも一畳程の広さです。どうして見つけるのでしょうね。不思議です。うまく撮れていませんが証拠写真を送ります。」 

 

 

 つきひさんは故郷・岡山県美作市での暮らしを満喫されているようです。

 

  冬天に去りゆく仲代達矢哉     へるめん

 11月8日に俳優の仲代達矢さんが亡くなりました。92歳でした。

 どんな苛酷な役も完璧にこなす名優でしたが、自らの戦災の体験から反戦を貫きました。

  赤秋を生きて仲代達矢逝く     見水②

 句会当日11月13日の朝日新聞「天声人語」に、仲代達矢さんが晩年好んだ造語で、青春ならぬ「赤秋」を紹介。「紅葉は朽ちるがその時まで真っ赤に生き切ろう」との決意だったそうです。

  晴れ続き今日一休み秋曇       見水

 毎日、抜けるような秋の青空でしたが、今日は曇り空。折畳み傘を持って出ました。

  憧れてもがく俳句の蟻地獄     つきひ③

 つきひさんは、前日に美作から姫新線で移動し、第二の故郷・西明石に泊まって芦屋へ。

 

芦屋をゆく――――――――――

駅に集合

 2025年11月13日(木) 午前10時、阪神電車・芦屋駅の東口が句会の集合場所です。

 阪神・芦屋駅は芦屋川をまたぐ小さな駅。この駅が開業したのは120年前の1905年。JR芦屋駅の開業は1913年、阪急・芦屋駅の開業は1920年なので、阪神電車の芦屋駅と打出駅が芦屋の鉄道駅第1号でした。

 

 駅の北側に税務署や警察署、南側に市役所が建っていますが、官庁街の雰囲気は無く、1969年から続く芦屋の洋菓子店アンリ・シャルパンティエの本店がすぐそばにあります。

 

 

 本日の参加者は、女性がつきひさん、どんぐりさん、へるめんさん、卯月さんの4名、男性は一風さん、蛸地蔵さん、見水さんの3名で計7名。さくらさん、稲村さん、英さん、ひろひろさん、弥太郎さんは残念ながら欠席です。

 卯月さんは初参加。とはいっても、かつて千原草之さん主宰の「千草会」のメンバーで、「千草会句集」(1997年)に、つきひさん、どんぐりさん、千原叡子さんとともに自選20句の作品集「四季のアルバム」を残しています。定年退職後は、学びとボランティアで充実した日々。俳句も再開したいと思っていたところに見水さんの誘いがあり、今回参加しました。

 改札口で、一風幹事長と見水さんが予定表と芦屋市案内マップを配付して本日のスケジュールを説明。つきひさんが今回の参考資料として「俳句界」2016年2月号の「椿子物語」のヒロイン・千原叡子さんへの取材記事のコピーを全員に配付し、さあ、出発。

  今昔業平も見た冬芦屋       蛸地蔵①

  小春日や姿よろしき六甲山  蛸地蔵①

  改札の迷路を抜けて冬の空  一風

 

芦屋のまち

 芦屋市は人口9.2万人で、面積は18.5k㎡。阪神間の大都市にはさまれた小さな都市で、大豪邸の建ち並ぶ「六麓荘」などで知られる高級住宅街です。

 北に六甲山地、南に大阪湾。自然豊かで温暖で風光明媚。街の中に工場やパチンコ店、ボーリング場がないのが、芦屋っ子の自慢ですが、

  木の葉散る彼の日パチンコ・ボーリング  へるめん①

 播州っ子の前衛書家は、こんな句を詠んでみました。

 芦屋の歴史をたどると、太古から開け、都人の憧れの地。江戸時代は「打出」に西国街道の宿場町。浜で獲れた魚は山越えで有馬に運ばれました。

 明治になると1889年に精道村が発足。明治末期から大阪や神戸の実業家が豪邸や別荘を建て、文化人や高給サラリーマンが移り住み、阪神間モダニズムが花開き、1940年に芦屋市が誕生。

 戦後の1951年に住民投票を経て法律で「国際文化都市」に指定。芦屋以外は観光都市でした。

 地引網や海水浴で賑わった芦屋浜は、1970年代から埋め立てられて住宅団地に。

 1995年、阪神・淡路大震災。壊滅的な被害でしたが、約10年で復興。

 2004年に「芦屋庭園都市宣言」。全市域を景観地区に指定しました。2015年には全国で最も厳しい「芦屋市屋外広告物条例」を制定しています。

 芦屋市は選ばれる市長も時代を先取り。1991年には日本初の女性市長、2023年には史上最年少26歳の市長が当選しています。

 アメリカのタイム誌は今年の「次世代の100人」に若い高島崚輔市長を選び、「長老政治が色濃く残る日本において型破り」と紹介。教育や公共サービスでの若い世代への取り組みを評価しています。高島市長は「民主主義をみんなでどう守るかが大事な時代」と返答。

 芦屋市役所の北側は花壇ですが、その片隅に一風幹事長は喫煙所を見つけました。

  喫煙所花壇も見えず神無月  一風

 市役所の横を抜け、横断歩道で国道43号線・阪神高速3号神戸線を越えます。

 

芦屋公園

 国道を渡ると、黒松林の芦屋公園。クロマツは芦屋の市木です。松林の広い公園は砂地で、「白砂青松」の浜辺の松原のよう。

   震災に耐へし芦屋の松涼し 汀子

 稲畑汀子さんの句を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」や書家・へるめんさんが見たかった「日中友好平和之塔」が置かれ、足元には松葉。ゆっくり歩くと心が癒されます。

 

  冬日和松葉を踏みて虚子館へ  蛸地蔵③

  冬近し浜風ぬける松林       見水④

 

芦屋川

 「鵺(ぬえ)塚橋」を渡ります。自然を残した芦屋川の河川敷は草で覆われ、あちこちに水鳥たちも。海に近い浜芦屋町や松浜町、平田町なども歴史のある高級住宅地です。

  芦屋川冬めく六甲松並木     一風①

  色変へぬ松並木なり芦屋川  どんぐり

  椿子さん芦屋の川の冬霞     へるめん

 海の方を眺めると、埋立地には住宅団地があり、湾岸道路が海上をまたぎ橋脚も立っていますが、緑に覆われ、道路や橋桁もシンプルなデザインなので、海水浴や地引網ができた昔の面影はありませんが、あまり気にならない景観です。

  六甲の風海に及びし枯尾花    どんぐり②

  芦屋浜昔の姿見えぬ冬       一風

  名にし負う芦屋の浜の冬景色   蛸地蔵

  ようやくに冬のたたづむ芦屋浜    蛸地蔵①

 

虚子記念文学館

 橋を越えると平田町。屋敷町の道を折れながら歩き、午前10時40分、虚子記念文学館に到着。

 文学館の前の道路は神戸市との市境で、西側は東灘区の深江。亡命ロシア人音楽家たちがコミュニティを作った「深江文化村」はすぐ近く。震災でかなりマンションに建て替わっています。

 虚子記念文学館の開館は、2000年4月。虚子は亡くなるまで鎌倉で暮らし、旧居は今も保存され、鎌倉には「虚子立子記念館」、戦時中に疎開した小諸にも虚子の記念館があります。

 芦屋のこの文学館は、「ホトトギス」の主宰を継いだ長男の年尾一家が芦屋で暮らし、稲畑家に嫁した孫娘の汀子が年尾から主宰を継いだことから、稲畑邸の西の敷地に建てられています。

 

  汀子邸虚子記念館冬紅葉  つきひ

 虚子は66年前に亡くなり、著作権が切れているのでネットの「青空文庫」で著作を読むことができます。虚子の句集によると、関西を訪れたときは年尾の家に泊まり、句を詠んでいます。

 

    枝豆と栗をうでたる許りなり

   菊生けてこゝの柱にかく凭れ

   秋風に散らばりし人皆集(よ)りし

   草枯に真赤な汀子なりしかな

   斯くの如く俳句を閲みし老の春 

 

 文学館は、地上2階・地下1階。1階の受付で入館手続きをして見学します。

  神無月座布団の白虚子の御手  一風②

 2階には、虚子の年譜、肖像写真、文机、硯、文化勲章、膨大な著書や「ホトトギス」、書、書簡、写真などがぎっしりと展示され、じっくり見ていくと何時間もかかりそう。

 

椿子物語の世界

 今回の「『椿子物語』の世界」の展示は2階のコーナーと地階。2階には市松人形の椿子を中心に叡子さんと虚子の写真や往復書簡を展示。地階の多目的ホールの横には叡子さんと夫の千原草之さんの写真などが展示されていました。

 

 

  椿子の帯揚紅し冬紅葉         つきひ③は句会での特選句

  椿子の縁(えにし)に集ひ冬ぬくし     つきひ⑨◎◎◎◎

  冬館集ふ椿子叡子虚子         見水②

  師と虚子の往復書簡冬ぬくし     どんぐり①

  椿子さんに出会ひ芦屋に秋惜しむ   へるめん

 

 「椿子物語」は高浜虚子の実名の小説で、「青空文庫」で読むことができますが、以下のようなあらすじです。

 

   鎌倉の虚子宅の赤い椿が盛りの頃、赤い着物の女の子の人形が贈られ、虚子は「椿子」と名付けて3年ほど可愛がっていた。1950年の秋に兵庫県和田山から2人の訪問者。

  来訪したのは息子・年尾一家の疎開先の香葎と門弟の故・安積素顔の娘の叡子。1945年の秋に虚子はこの地方を訪れ、安積家にも泊まり、視力障害だった素顔に肩を貸して黙々と歩く少女の叡子を覚えていた。

 叡子は学業を終え20歳の美しい女性に成長し、昼食の少しの酒で真っ赤になる。虚子は句会で外出するが、夫人の案内で「俳小屋」や「椿子」を見届け、叡子から礼状が届く。

 虚子は「椿子」を叡子に譲りたくなり、叡子の了解を得て贈り、大歓迎される。

 小説は叡子から依頼された短冊と人形の硝子箱を届ける豊岡の門人・杞陽の米原駅からの葉書で終わっている。   

 

 1950年、虚子は76歳でした。年末に脳溢血に襲われ、「ホトトギス」の選句もしばらく息子の年尾に交代。が、闘志の人・虚子は、

  去年今年貫く棒の如きもの

をNHKラジオの新春詠として詠み、世に広まります。

 「椿子物語」が書かれたのは翌年の1951年。77歳とは思えないみずみずしい文章です。

 その後、虚子から「椿子」を贈られた叡子さんは新聞社の取材を受け、虚子の愛弟子として吟行にも同行し、杖の必要な虚子に、かつて父にしたように肩や手を貸します。

 「椿子」人形は句会のたびに活躍。物に執着のない虚子は、叡子さんの重荷にならないよう、川に流すか燃やすように告げますが、叡子さんは「椿子」を守り抜きます。

 数年後、叡子さんは俳人仲間の医師・千原草之さんと結婚。虚子は結婚祝いの句を贈ります。

  たぐひなき菊の契りとことほがん

   神々の臠(みそなは)しをる花野哉  虚子

 須磨浦公園に子規と虚子の句碑が建ったときは、垂水区の新居を訪れ、句を贈っています。

  娘の宿はたとひ狭くも風薫る   虚子 

 1959年に虚子は85年の人生を閉じます。叡子さんは女学生の頃から14年、「椿子物語」から9年、虚子から多くのことを学び、その後、俳人として活躍します。

 ネットには叡子さんの代表句が挙げられていました。

 

  ねんねこの中で歌ふを母のみ知る

  大門は開け放ちある菊日和

  小面の秋思のひたと我に向く

  椿子に会ひたしと言ひ雛の客

  水中の脚覚めてをる浮寝鴨

  虚子坐像涼し闘志は秘めしまま

  願ふより謝すこと多き初詣

  生悲しとも愛しとも走馬燈

 

 「千草会」のメンバーだった卯月さんは、今回の展示で、草之先生の奥様の叡子さんが、高浜虚子の小説のヒロインだったことを初めて知り、驚きだったようです。

 

虚子という人

 小説「椿子物語」や愛弟子・叡子さんへの細やかな心配りを見ていると、俳壇に君臨した闘志の人・高浜虚子のイメージが少し変わります。

 松山に生まれ、子規や漱石のそばで親友・河東碧梧桐と青春を謳歌し、子規の計らいで生活の糧として編集・発行を任された文芸誌「ホトトギス」に、子規の没後、漱石の「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」、伊藤左千夫の「野菊の墓」などを掲載。自らも小説家を目指しましたが、碧梧桐の新傾向俳句と対立して俳句復帰。大正・昭和を通じて「ホトトギス」で多くの俊英を育て、女流作家を世に出しました。

 現在、俳句に親しむ女性が男性を圧倒するのは虚子の功績かも知れません。

 

 故・播町さんは、橋閒石や久保田万太郎が好みでしたが、書評ブログ「気になるフレーズ」に、2012年、虚子の「俳句はかく解しかく味う」を取り上げ、コメントを書いていました。

 

  最近の俳句入門書のほとんどは、技術、技巧に走り、どうすれば上手な俳句が作れるかが

  主眼になっている。しかし本書はタイトルが示すように「かく解しかく味う」ためのもの。

  原著は『俳句は斯く解し斯く味ふ』1918年。ほぼ100年近く前の本だが、いっこうに古び

  ていないのに驚かされる。

 

 播町さんのブログは折々に見ていましたが、亡くなって3年、この秋に閉じられたようです。

 

ホトトギス

 展示を見終えて、中庭で休憩。稲畑邸との境の塀にびっしり白い俳句の陶板が並べられています。伝統俳句の面々の俳磚(はいせん)です。その傍らに小さなホトトギスの鳥のような色と形をしたホトトギスの花が咲いていました。

 

  俳磚(はいせん)に色を極めてほととぎす   どんぐり⑥◎◎

  俳磚(はいせん)を照らす紫油点草(ほととぎす)  つきひ①

 

三代句碑

 外には虚子・年尾・汀子の句碑が建っています。

 

大空に伸び傾ける冬木哉   虚子

                秋風や竹林一幹より動く   年尾

                月の波消え月のなみ生れつつ 汀子

 

  虚子館の三代句碑に散る黄葉  どんぐり③

 以上、虚子記念文学館を見学しましたが、私設の文学館なので駐車場はなく、どこかアットホームな雰囲気でした。午前11時20分、タクシー3台でJR芦屋駅北口に移動します。

 

JR芦屋駅北口

 午前11時30分、JR芦屋駅北口に到着。ホテル竹園芦屋や大丸芦屋店、コープデイズ芦屋、飲食店などが建ち並ぶ芦屋の繁華街です。

 賞品購入担当のどんぐりさんとへるめんさんは見水さんと大丸芦屋店1階の洋菓子店アンリ・シャルパンティエへ。7点の賞品を選んで購入。他のメンバーの待つ昼食会場に急ぎます。

 

香港料理・順成――――――

 今回の昼食会場は「香港料理・順成」。

 下見で、句会場の芦屋市民センターに近いJR芦屋駅前通りで飲食店を物色。芦屋は条例で派手な看板が規制されており、店の前に置かれたメニューだけが頼り。蛸地蔵さんの勘でこの店に入り、ランチを注文。丁寧にサービスをする店員や白で統一された清潔感あふれる店内、出てきた料理に大満足。円卓が2つと壁際に少人数用の席がいくつか並ぶ小さな店ですが、空間がゆったり取られ静かに食事ができる雰囲気なのでこの店を予約しました。

 賞品購入のメンバーが到着し、全員そろいました。タクシー代を精算し、本日の会費を集めていると、正午になりました。ビールを注文して乾杯。昼宴の開始です。

 

   香港中華円卓囲む十一月  見水

 今日の昼宴に選んだのは、昼の飲茶コースですが、お粥を香港風焼きそばにグレードアップ。1人分ずつ美しい器で、前菜、スープ、点心…と手際よく配膳されます。

 話題の本や映画、共通の知り合いの近況や昔の思い出話がつぎつぎと。

 デザートまで約1時間。料理もお茶も美味しくいただき、昼食会終了。ごちそうさまでした。

 午後1時過ぎ、句会の会場の芦屋市民センターに向かいます。

 

芦屋句会―――――――――――

 午後1時20分、業平町の芦屋市民センターに到着。

 3階のロビーには、世界的な前衛画家・白髪一雄さん(1924-2008)の「芦屋」が飾られています。「尼崎の小学校の恩師だった白髪先生の絵を、ぜひ見てください」と、一風幹事長。

 

 

 受付で施設使用許可書を提示し、予約していた2階の貸会議室201室を開けます。会議室201室は、20名収容のゆったりした会議室で、西側の窓から芦屋川が臨めます。

 午後1時25分、7人分の席を配置し、各自席に着いて5句を完成させ短冊に書きます。提出時刻は午後1時45分。

 

 集まった短冊をばらして手分けして清書し、選句表に貼り付け。

 その間に一風幹事長と見水さんが希望を聞いた飲物を自販機で購入して配付。

 午後2時15分に一風幹事長が選句表を人数分コピーして全員に配付します。

 「これ、見て」と、つきひさんが取り出したのは、千原叡子さんから頂いた宝物の葉書。達筆でびっしり。心のこもった優しい文面でした。

 

 

 つきひさんからは差し入れのお菓子、岡山のあんきびと姫路の玉椿も配っていただきました。

各自、自作以外の気に入った6句を選びます。特選1句2点、その他5句は1点で、各人の持ち点は計7点。参加者7名の総点数49点の争奪戦です。選句の締め切りは午後2時30分。

 全員の選句が午後2時30分に終わり、つきひさんの進行で、特選句から順に選んだ理由も挙げながら発表。35句全部に点数が付けられ、選句理由も聞き、作者が明かされました。

 初参加の卯月さんは、愛する家族や連続テレビ小説「ばけばけ」の舞台・山陰旅の句を投句。

  初めての秋の吟行楽しけり    卯月

  小春日や母と二人で病院へ    卯月

  公園のどんぐりひろい孫笑う    卯月

  秋の旅ラクダにゆられ砂丘行く  卯月

  宍道湖に沈む夕陽や秋の旅    卯月

 「芦屋吟行の句」で選んだ“蟻地獄”の今日のメンバーからは点は入りませんでしたが、天国の草之さん、叡子さん、「極楽の文学」の虚子さんからは選がいただけたのでは。

 午後3時20分、句会は終了。

 

高得点句

 本日は9点獲得句、6点句、4点句が各1句、3点句が5句ありました。再掲します。

  椿子の縁(えにし)に集ひ冬ぬくし      つきひ⑨◎◎◎◎

    ダントツの高得点句。今日の句会のタイトルにいただきました。

  俳磚(はいせん)に色を極めてほととぎす   どんぐり⑥◎◎

    ホトトギスの花々が美しく飛び交っていました。

  冬近し浜風ぬける松林             見水④

    芦屋公園に生い茂る癒しの黒松林。

   椿子の帯揚紅し冬紅葉             つきひ③◎ 

    鮮やかな紅葉のような帯揚でした。

  憧れてもがく俳句の蟻地獄         つきひ③

    師・叡子さんに学んだ俳句の極意。

  たゆたいて去る冬の蝶うす黄色         へるめん③

    猛暑が過ぎ、短い秋、やがて冬へ。

  冬日和松葉を踏みて虚子館へ        蛸地蔵③

    芦屋公園から屋敷町へ黒松が続く。

  虚子館の三代句碑に散る黄葉       どんぐり③

    虚子・年尾・汀子の句碑も秋景色。

 

表 彰

 午後3時30分、獲得点数により表彰式です。

 今回の各賞は、優勝・準優勝・第3位は芦屋のシンボルの自然から。4位からは芦屋の名所等を語呂合わせで。8位・浜風賞、9位・黒松賞、10位・魚屋道(ととやみち)賞まで用意していました。賞品はどんぐりさんとへるめんさんが大丸芦屋店で選んだ芦屋の洋菓子店・アンリ・シャルパンティエの焼菓子です。

 優勝は、つきひさん(16点)、準優勝はどんぐりさん(12点)、第3位は見水さん8点)。第4位は蛸地蔵さん(6点)、第5位はへるめんさん(4点)、第6位は一風さん(3点)、第7位は卯月さん(0点)。出句5句すべて得点のパーフェクトは今回は無し。

 女性軍4名対男性軍3名は32点対17点でした。

 

 

 午後3時40分、部屋を片付けて退室。

 2時間に1本の姫新線で美作に帰られるつきひさんに、一風幹事長がJR芦屋駅経由で三ノ宮駅まで同行。他のメンバーは芦屋川沿いに阪急・芦屋駅へ。クリスマス飾りのお家を見たり、虚子・年尾・汀子さんの句碑にも寄りながら歩きました。

 深まる秋の一日、セレブの街を歩き、香港料理の昼宴と賑やかな句会。思い出がまた一つ増えました。

 下見の一風幹事長、蛸地蔵さん、見水さん、賞品選びのどんぐりさん、へるめんさん、そして、今日の句会の“主役”、椿子さんと叡子さんに心より感謝。

 

 藤川監督の阪神タイガースはセ・リーグで史上最速優勝の後、日本シリーズではソフトバンクに惨敗。ドジャースは大谷・山本・佐々木が大活躍。国政は高市総理に交替。神戸市は久元市長の4期目がスタート。神戸の未来に向け、都心の商業地と郊外の住宅団地、広大な里山の再生を着実に進めていくとのこと。

 ウクライナとガザの惨禍は止まず、国内では物価高、クマ被害、南海トラフへの懸念…。心配の種は尽きません。

 

 本格的な木枯らしの季節がやってきました。

  坂道で木枯ふたつにぶっつかる

 つきひさんは、古希に出版した第1句集「俳句の時間」以後の句から630句を選び、5月に米寿の記念として第2句集「流れる月日」を出版されました。

 

 

 句集に収めた句の多くは千原叡子さんの選。千原叡子さんは5年前の2020年7月に90歳で亡くなられ、今度の句集では、「俳句の蟻地獄に引きずり込まれて…」などの序はいただけませんでした。

 「木枯」の句は句集「流れる月日」のあとがきに登場。中学3年の時、山陽中学生新聞の懸賞俳句にこの句で応募し、一席に入選。元旦の新聞紙上に写真とコメントが掲載されました。つきひさんは「この時、私の体に俳句の小さな種が蒔かれたのかもしれない。」と書いています。

 

   秋晴や或は先祖の墓を撫し

   草紅葉しぬと素顔を顧みて

   十一月十一日 但馬和田山、安積素顔邸。 (高浜虚子「六百句」)

 

 敗戦の年の秋、高浜虚子をわが家に迎え、目の不自由な父・素顔に寄り添い緊張しながら黙々と土地の案内に同行した叡子さんも15歳の女学生でした。この時の句会で、

  昨日今日一と木目に立つ紅葉かな

が、虚子選に入り、俳句の種が蒔かれました。

 

  夢のある賀状には吾の夢を書く つきひ「流れる月日」

 

 もう年賀状の季節。来春の句会は何処へ。ご希望は一風幹事長へ。皆様よいお年を。

 

 

 2025.11 写真・文/mimizu