【復習】「ジュラシック・パーク」でティラノサウルスが姿を見せるのは開始何分か?(上映2時間7分) | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

【復習】「ジュラシック・パーク」でティラノサウルスが姿を見せるのは開始何分か?(上映2時間7分)

須々木です。


「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」の上映が始まったので、見る前にシリーズの復習を始めました。

個人的な好みは・・・


ジュラシック・パーク > ロスト・ワールド > ジュラシック・ワールド >>> 炎の王国 >>>>> ジュラシック・パークⅢ


――という感じです。


結局、第1作「ジュラシック・パーク」が原点にして頂点。

見るたび完成度の高さに恐れおののきます。


というわけで、もちろん内容は覚えているので、今回の復習は少し分析しつつ見てみました。







※ 以下、「ジュラシック・パーク」ネタバレ遠慮なしです。







突然ですが問題です!



【問題】

① ハモンド社長の孫、アレックスとティムが登場しキャラが揃うのは開始何分か?

② ティラノサウルスがはじめて姿を現すのは開始何分か?

③ ヴェロキラプトル(成体)がはじめて姿を現すのは開始何分か?



ちなみに、上映時間は2時間7分です。
(エンドロールなしでカウントすると2時間)












どこかに答えはメモりましたか?


それでは解答を見ていきましょう。

以下、映画「ジュラシック・パーク」のいくつかのシーンが上映開始から何分後に相当するのか書き出したものです。













●パーク作業員が恐竜の犠牲に(恐竜は目元だけ)⇒ 0:03

●グラント博士とサトラー博士の登場(化石発掘現場)⇒ 0:06

●ヴェロキラプトルの名前登場(グラント博士が習性説明)⇒ 0:06

●ハモンド社長登場(博士らをパークに招く)⇒ 0:10

●肥満エンジニア、ネドリー登場(パーク事故の引き金となる裏取引)⇒ 0:13

●マルコム博士の登場(カオス理論言及)⇒ 0:15

●ヘリで島に着陸(シートベルト)⇒ 0:18

●パーク移動用のジープ側面に「ジュラシック・パーク」のロゴ(タイトル回収)⇒ 0:18

●ブラキオサウルス登場(恐竜全身初登場)⇒ 0:20

●ヴェロキラプトルの檻(獰猛さを強調)⇒ 0:31

●ハモンド社長の孫、アレックスとティムの登場(主要キャラが揃う)⇒ 0:38

●ティラノサウルス区画でティラノサウルスは姿を見せず ⇒ 0:44

●トリケラトプスを前にサトラー博士と別行動に(空模様が怪しい)⇒ 0:53

●ネドリー、恐竜の胚を盗む(パークの安全に大きな問題)⇒ 0:57

●ネドリーの悪事が判明する ⇒ 1:00

●ティラノサウルス登場(電気柵突破)⇒ 1:03

●弁護士ジェナロが食われる(パーク視察開始後初の犠牲者)⇒ 1:07

●ネドリー、ディロフォサウルスの犠牲に ⇒ 1:14

●再起動のためシステムを切る ⇒ 1:32

●ヴェロキラプトルの檻が破られている ⇒ 1:38

●電力システム再起動(外周フェンスの電気柵通電)⇒ 1:43

●ヴェロキラプトル登場(機械室内)、アーノルド死亡判明 ⇒ 1:43

●恐竜監視員マルドゥーン、ヴェロキラプトルの犠牲に ⇒ 1:45

●アレックスとティム、ヴェロキラプトルに気付き調理場に逃げ込む ⇒ 1:48

●ビジターセンターのエントランスにティラノサウルス(脱出成功)⇒ 1:57

●ヘリに乗って島を離陸 ⇒ 1:58

●エンドロール開始 ⇒ 2:00







【問題の解答】

① ハモンド社長の孫、アレックスとティムが登場しキャラが揃うのは開始何分か?
⇒ 開始38分

② ティラノサウルスがはじめて姿を現すのは開始何分か?
⇒ 1時間3分

③ ヴェロキラプトル(成体)がはじめて姿を現すのは開始何分か?
⇒ 1時間43分





エンドロールを抜いた2時間の中で考えると、どれも思っていたより後ろだなという印象です。

主観と客観のズレって凄いですね。

もっと大量のインプットをしていればこのズレはもっと小さくなるのでしょうが。

つくる人には、このズレの逆算が必要なんだろうな。







せっかくなので、他にも思ったことを適当にメモっておきます。



本作に限ったことではありませんが、スピルバーグ作品では、主要キャラが登場すると「キャラを立てる」「情報説明」「伏線張り」を一気に処理する流れがかなり顕著ですね。
あるシーンが様々な役割を兼ねまくっていて、少ない時間、少ない労力でスムーズに入ってきます。
細かく見るほど、本当に細部まで行き届いていて凄いとしか言いようがない。

例えば、グラント博士が登場すると「テクノロジーと相性が悪い」「子供が苦手」というキャラ性を見せつつ、恐竜化石発掘の現場(地味と言えなくもない)を見せ、ヴェロキラプトルの習性を語り伏線を張っています。
マルコム博士が登場すると、「コミュ力のある変わり者」としてキャラ性を見せつつ、カオス理論(複雑な系の予測困難性)を語らせ、生態系をコントロールしようとするパークの危うさを予感させます。

どれも本当に短いシーンであり、シンプルなやり取りですが、効果は絶大です。



余談ですが、ヘリで島に降下するとき、グラント博士がシートベルトに手こずる場面。

「テクノロジーと相性が悪い」を思い出させる場面と言えますが、それでも彼は別の方法で解決策(はめずに結ぶ)を編み出します。
そもそも「ジュラシック・パーク」はテクノロジーの塊みたいな場所であり、グラント博士との相性は最悪。
はじめから酷いことが起きるフラグは立ちまくりですが、そんな状況でも彼がしぶとく解決策を見つけ生き延びていく様を暗示していたのかもしれません。

そして、そのようなグラント博士のしたたかさは、パークの恐竜に関しても言えること。
遺伝子操作でメスしか生まれないよう管理されていても、施設外で子孫を生み出すことに成功したように。
生命は想定を超えて振る舞い解決策を見つけ出そうとする。

グラント博士がはめようとしたシートベルトのバックルは左右どちらもはめ込まれる側であり、本来カチリとならない組み合わせ。
オスとメスが揃わなければ機能しないと想定された系が解決策を見つけたように、シートベルトは結局機能します。

着陸シーンのスリル感をアップさせる演出であると同時に、グラント博士のキャラ性、さらには作品全体のテーマ性までリンクする凄いシーンだなと改めて思いました。
このコスパの良さにスピルバーグを感じますね。



開始38分、すなわち映画の3分の1あたりでアレックスとティムが登場し、キャラが揃います。
この二人は本作で希少価値のある「子供」(以後のシリーズでも「子供」は必須要素)。
スリルを増幅させる効果はありますが、やはり重要なのはグラント博士との関係性。
さらに言えば、グラント博士の「進化」を描く上で極めて重要です。
「進化することで生き延びる」(そうでなければ絶滅)というのは本作のテーマの一つだと思いますが、子供が苦手なグラント博士も幾多の苦難を乗り越え、「進化」して島を去ることになります。
島を離れるヘリで、その両脇で眠る二人の子供は非常に象徴的です。

ただ恐竜の恐ろしさを描き人間が叫んだり襲われたりする作品ではなく、キャラの「進化」を描けたことがこの作品をさらに一つ上のレベルにしているように感じます。
そして、続く作品はそこが少し弱くなってしまっているようにも感じます。
シリーズを通して「恐竜との攻防」「恐竜を巡る陰謀」に意識が向きがちですが、この作品の本当の強みはそこだけじゃない。



というか、「ジュラシック・パーク」は時間的には意外と恐竜が登場していません。
数えたわけではありませんが、恐竜の姿が直接見えているシーンは本当に短いと思います。

はじめて恐竜を全身しっかり見せてくれるのは開始20分(ブラキオサウルス)。
主役と言って良い気もするティラノサウルスの姿は、映画の折り返し1時間3分でようやく見せられます。
ヴェロキラプトルに至っては、ラスト20分くらいの登場です。

「ジョーズ」もなかなかサメが姿を現しませんが、「存在は感じさせても姿は見せない」という手法の強さを改めて感じます。
本当に見せたいものは、存在を感じさせてもやすやすと見せてはいけないということなのか。



本格的にパニック映画になるのは、ティラノサウルスが現れて電気柵を破ってから。
つまり、映画後半です。

後半は大きく「ティラノサウルスやばい!」⇒「ヴェロキラプトルやばい!」⇒「ティラノサウルスがシメる!」の流れ。
圧倒的存在感&パワーを見せつけるティラノサウルスと、小回りが利き知的で狡猾なヴェロキラプトルは、まったくタイプの異なる見せ場をつくってくれます。

これらはすべて映画後半で息つく暇も与えず展開していくわけですが、伏線は前半からどんどん張っています。

例えば、ラスト20分しか姿を見せないヴェロキラプトル。
その伏線は非常に丁寧です。


冒頭、化石発掘現場でグラント博士が子供相手に大人げない対応をする場面。

化石の鉤爪を見せつつ、ラプトルの習性をうまく語ります。


ヴェロキラプトルの檻での餌やりや恐竜監視員マルドゥーンの語り。

投入される牛が食われるシーンでも敢えて姿は見せず。

マルドゥーンの語る危険性は、生き物と対峙する者のリアリティがあり、より切迫感があります。


破られた檻とそこから森へ向かう足跡。

でも視界には捉えられない。

不気味以外の何物でもありません。


このように、実際に姿を見る前から「ヤバい」という刷り込みが繰り返されます。
そして最終的に、サトラー博士が頑張って機械室に至り電力を復旧させ喜んだその瞬間に背後から姿を現します。
観客も含めみんなの気が緩んだその瞬間。
だからこその強烈なインパクト。
ここまで丁寧な伏線があったからこそ、余計な説明を省いても「これが噂のヴェロキラプトルか!」とすぐ分かり一緒にヤバさを共有できるわけです。




とまあ、本当はワンシーンごとにブログ記事一つ書けるレベルの偉大な作品ですが、そろそろこのあたりで締めたいと思います。




でも最後に一つ、追加の問い。


「ジュラシック・パーク」が実在したら行きたいか?



これは難しい。

ヤバいのは分かる。
でも、理屈で片付けられない猛烈な引力も感じる。
パークに足を踏み入れたら・・・と考えたときの高揚感は否定できない。
人は欲深く、それ故に罪深く、矛盾を簡単に処理しきれず、二律背反を肯定したくなる。

「ジュラシック・パーク」が描き出すのは、単なる恐竜物語やパニック映画ではなく、そんな等身大の人間。
自然な成り行きで絶滅した生命を復活させることは倫理的に良くないと理解しつつ、どこかで「こんなテーマパークがあったら良いな」と思ってしまう。

ただ恐竜を描くのではなく、恐竜を通して人間を描く。
それができたからこそ、映画「ジュラシック・パーク」は普遍的な価値を持つ名作になったのだろうと改めて思いました。






sho