Ще не вмерла Україна | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

Ще не вмерла Україна

須々木です。

 

ブログではスルーすべきかとも思いましたが、リアルタイムで起きている出来事に関心を向け、時代の肌感覚を自分なりに残しておくことも意味があるだろうという考えのもと、つらつら書いておこうと思います。

 

 

 

 

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「21世紀に国と国の間で侵略戦争が起きるなんて思ってもみなかった」などと思うほど楽観的ではないので、どちらかと言えば「ついに起きてしまったか」というのが正直な気持ちでした。

 

 

感覚としては、新型コロナが国内でも猛威を振るい始めた2020年に近いかもしれません。

 

スペイン風邪、もっとさかのぼればペスト、天然痘など、世界の歴史に影響を与えるレベルの大規模な疫病の存在は知識としてもっていました。

 

そして、将来パンデミックが起きる可能性も普通に認識していました。

 

そのため、新型コロナの情報が入ってくるようになった時点で「起きてしまったか」というくらいのテンション。

 

「なるほどこれがパンデミックか。でも、起きたものはしょうがない、どうやり過ごそうか」と。

 

 

東日本大震災のときの感覚も近いかもしれません。

 

日本で生きている以上、「いつか巨大地震が起きるかもしれないよ」と当然のように言われて育ってきているわけですし、実際「いつか起きるんだろうな」と多くの人が思っていたでしょう。

 

あの日「少し大きめかな?」と思っていたら、あっという間に揺れが大きくなってきて「あー、ついに来たのか」と普通に思いました。

 

結局、思った以上の規模ではありましたが。

 

 

これらと同じ感覚で「ついに起きてしまったか」です。

 

 

 

 

 

戦争、疫病、大地震。

 

一生のうちに1回も経験しないことがある一方、人類の歴史を紐解けば、珍しいわけでもないイベントです。

 

そして、これらは「できれば一生経験したくない」という以外にいくつか共通する特徴があります。

 

それは“ひずみ”の結果として起きるということ。

 

例えば、大地震はプレートの運動を原因とする大地のひずみが限界に達したとき、そのエネルギーを解放する形で発生します。

 

戦争や疫病はもう少し複雑だと思いますが、富の不均衡などの経済的事情、人口増加に起因する諸問題、都市化による人口密度の過剰な上昇など、何らかの“ひずみ”の末に始まります。

 

凄く冷めた言い方をしてしまえば、“ひずみ”がある閾値を超えたとき〈神の見えざる手〉として災厄が発生し、それが結果的に“ひずみ”を和らげていくイメージです。

 

人類は、科学技術の発展や政治システムの改良により、閾値そのものを押し上げたり、仮に災厄が起きてしまっても最小限の被害に留める工夫を追求したりしてきました。

 

でも、そもそも起きないようにはできない(たぶん)。

 

 

 

戦争、疫病、大地震に関して、他にも厄介な共通点がある気がします。

 

それは、連鎖的に起きることが少なくないということ。

 

巨大地震がしばしば前震や余震を伴うように、大きな災厄はその前後に関連する別の事象を伴うことがあります。

 

大きな災厄で大きな“ひずみ”が解放されれば、その周囲が“ひずみ”の一部を押し付けられる形になり、そこで局地的に閾値を超えれば、やはりまた解放され災厄が発生する。

 

そのような視点で見たとき、現在ウクライナで起きていることは、冷戦という巨大な災厄の余震なのか、これから激化する米中覇権争いの前震なのか、もしくは他の何かなのか。

 

結局のところ、のちに振り返らないと分かりませんが。



この先、反ロシアの感情が高まって、世界中が「ロシアを殲滅したい」と願うようになれば、たぶん連鎖反応は続くのでしょう。

 

真に平和を願う多くの人たちの間で、「反戦」と「反ロシア」の混同が起きないことを願うばかりです。


しかし、いったいどう終わらせる気で始めたのか。

 

ウクライナを力でねじ伏せても、世界中から厳しい制裁を受けることは明らかなのに。

 

もしもこの現状が、理性的かつ緻密に練られたシナリオに沿っているのだとしたら、かなり不気味です。

 


実際のところは情報不足でよく分かりませんが、理想的なことをいうのであれば、ロシア国内で反戦の声が高まって国の方針を変えさせることになればと思います。

 

21世紀に国家間で侵略戦争が起きてしまったことに失望感はありますが、起きてしまった以上、もっともマシな終わり方をしてほしいものです。

 

ロシアに自浄作用はあるのか、それとも行くところまでいかないと止まらないのか。




新型コロナという人類共通の敵が現れ、世界が結束していく・・・などということは、少なくともグローバルなレベルでは起きることもなく。

この馬鹿らしく虚しい戦いが何をもたらすのか。

 

歴史から、そしてフィクションから学べることは多いと思います。

 

歴史を学ぶことで過去から教訓を得ることができ、一方、フィクションはある種の思考実験として未来を想像する能力を鍛えることに繋がります。

 

想像力低下、視野狭窄は疑心を招き状況の不安定化に直結します。

解像度の高い想像ができれば、大きな損害をもたらす争いはより少なくなっていくでしょう。

 

予知夢のように明瞭なシミュレーションができれば、実際にやりあう必要性がそもそもなくなります。

 

そう考えると、平和のための最大の武器は「勉強」なのかなという気もしてきます。
 

 

 

 

できるだけ少ない被害で、できるだけ早く終わることを願いつつ。

 

 

 

 

 

sho