TOKYO2020開幕 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

TOKYO2020開幕

須々木です。



東京2020オリンピックが開幕しましたね。

開会式ハイライト動画 (YouTube)

開会式フル動画 (NHK/期間限定配信?)



いくつかの競技は先行してスタートしていましたが、昨晩の開会式でいよいよという感じです。

普通に最初から見ていましたが、全体的に簡素な印象はあるもののバランスの取れた良い開会式だったと感じました。

コロナ禍による延期やその他諸々の事情で内容に大きな変更があったのだと思いますが、この難しいタイミングに行う五輪の開会式というものを頑張って考え抜いた末のプログラムだったと思います。

祝祭感や国威発揚より共感とメッセージが求められる場面で、踏み外さず地に足つけてやれた印象です。



選手入場より前のパートは、なかなか重い雰囲気、つらい雰囲気でした。

コロナ禍の孤独や葛藤と戦うアスリートを表現していましたが、変に最初から祭りの雰囲気にするのでなく、世界中が強いられた苦しみに寄り添う姿勢は印象的で、同時に今回の五輪を象徴していたように感じます。

身体的に恵まれた凄い人たちが空気を読まずにワイワイするイベントではなく、ただの人間が困難に打ち勝ち限界を超えられることを世に示すイベントなのだと。

このパートがあるかないかは、開会式だけでなく、大会全体の印象に大きく影響するものだったと思います。

当初の復興五輪という要素は限りなく少なくなってしまいましたが、そもそも復興五輪なら東京五輪でなく東北五輪にするべきだろうという気もするので、取って付けたような演出にならなかったのは良かったと思います。

そもそも原発が片付いていない状況で復興が終わったと思われれば、それは誤ったメッセージになってしまいますしね。

その意味で、リアルタイムの困難に焦点を当てた導入パートは良かったと思います。


選手入場のBGMでいきなりドラクエが流れて、雰囲気がガラリと変わりました(タイムライン的にも)。

音楽の力は偉大だなあと思うと同時に、選手入場とゲーム音楽の相性が物凄くあっていてとても良かったです。

これから旅に出るキャラクターたち大集結って感じ。

僕はあまりゲームをやって育ってきたタイプではないのですが、それでも良いと思ったので、別に「ゲームどっぷりの人限定」ではなく良いと感じたと思います。

今後も積極的に使う流れができたら良いと感じました。



ドローンのパートはあまり長くありませんでしたが、短くてもインパクト大でした。

あそこまで綺麗に連動して動かせるんですね。

規模がデカかったので、スタジアム外からも普通に見えていたようですが、東京のあちこちから直接見て驚きを広く共有できたということ自体にも意味があると思います。

プロジェクションマッピングがやがて定着していったように、ドローンによる演出も定着していくような気がします。



バッハ会長のスピーチは無駄に長かったですね(かなり予定を超過していたらしい)。

その前、橋本聖子五輪組織委員会会長が感極まった感じで気持ちの籠った想定外に響くスピーチをしていたので、余計にバッハ会長のスピーチは微妙に感じられました。

つまらん話を長々としていたせいで、トレンドに「校長先生」があがってきたのはちょっと面白かったが。

そして、森さんの「女性は話が長い」のフラグはこれに繋がる高度な伏線だったのか・・・。



ピクトグラムのパートは単純に「日本っぽいな」って感じでした。

かなりシュールな雰囲気もありましたが、あれは世界的にアリなのか?というのが少し気になりますね。

ピクトグラムは前回東京五輪で英語不得意日本文化が生んだ地味だけど大きな遺産だと思うので、その継承とリスペクトという意味でも良かったんじゃないでしょうか。



聖火点火に関しては特にサプライズなく。



無観客の開会式ではありましたが、座席デザインにはかなり救われていたように感じます。

はじめから客が少なくてもたくさんいるように見える視覚効果を狙ってデザインされていたようですが、ファインプレー過ぎですね。

デザインがもつポテンシャルを強く感じました。



完全にグダグダな式になるかもしれないと思っていたこともありますが、総じて良い式だったと思いました。

もちろん賛否両論あるんでしょうけれど、それはそれとして個人的には見れて良かったと思いました。







さて、ここまで開会式について書きましたが、東京五輪そのものについても多少書いておきたいと思います。

ここに至るまでいろいろ凄い状況でしたが、逆にこういう形で五輪を見る機会もないと思うので、関連する諸々についていま思うところを少し真面目に書き残しておこうと思います。

当然のことながら、須々木個人の考えなので、その点はご了承ください。





まずは聖火ではないバーニング・・・というか、どこまでも続く不祥事の数々について。

俄かには信じられないレベルの杜撰な意思決定を短期間にいくつも見せつけられている気がしますね。

正直もうお腹いっぱいです。

一つ不祥事が起きるたびに盛大に炎上し、消火もままならないまま新たな燃料が投下され再び炎上という感じで、本当に留まるところを知らずという感じですね。

これら個々の不祥事で経緯の詳細は異なるものと思いますが、一方で俯瞰して捉えることにも意義があると思うので、その方向で少し触れておきます。

あくまで個人的な見解ですが、不祥事が明るみに出るたび「特定の誰か」にその根源を丸ごと見出そうとするのは、改善という点で考えればあまり賛同できないと感じています。

それより強調されるべきは、組織の綻びであり、組織としてのキャパオーバーという観点。

勿論、コロナ禍という特大級の不運が引き金となった点に同情の余地はあると思います。

ただ、東京五輪を巡る不祥事の数々が、コロナ禍だけに起因したものだと考えている人はあまりいないと思います。

 

すなわち、新たに生まれた問題ではなく、もともとあったものが表面化しただけだという感覚です。

各種報道を見ていて率直に思うのが、意思決定に関わる人々がその能力を十分に発揮できない状況に置かれているんだろうなということ。

これだけの規模のイベントなので、訳の分からない人が混ざるのはどうしようもないことでしょうが、逆に非常に優秀な方もたくさんいるでしょう。

でも、ハマっているポジションがいろいろ噛み合っていないのでしょう。

世の中には様々な人がいるわけなので、各個人の資質に文句を言ってもキリがない。

重要なのはむしろ、人材とポジションのマッチング。

 

「なぜこういう人がそのポジションに!?」というやつですね。

今回の五輪では、このマッチングがうまくいかないというシステムの不全にこそ、厳しい目を向けるべきと感じます。
(マッチングというより、単純なマンパワー不足を感じるところもありますが)





五輪はその規模の大きさから、政治や国際情勢とも無関係ではいられません。

そして、今回の五輪については政治家も悪い意味で目立ちまくっています。

なかなかビックリな議員さんたちがいるわけですが、ビックリな議員は「国民の代表者」として選挙に当選してそこにいるのも一つの事実。

よって、むしろ選ばれてしまった過程を分析して反省した方が良い気がします。

「国民のことが全然分かってない!」とか言っても、議員だって国民ですし、悪いところを丸ごと押し付けるのが正義って雰囲気はいかがなものかと。

みんなで選んだんだから、思考停止して脊髄反射的にスケープゴート探しするだけというのは非生産的だと感じます。

「思考停止による因果応報」とみんなが受け入れてから話は始まるのではないかと思います。



・・・などということは、コロナ禍以前から普通に感じられる部分でしたが、外圧がなければなかなか大きな変化を受け入れられないのが日本っぽいところ。

そして、その外圧がコロナ禍であり、場合によっては今回の東京五輪なのかと思います。
(もしかしたら福島原発事故から含むべきかもしれませんが)

黒船来航、太平洋戦争、原発コロナ五輪という流れなんですかね。




一方で、ボロボロになってからが日本の真骨頂という気もするので、個人的には未来に関して結構楽観視している部分もあります。

このままトラウマに溺れて卑屈にどこまでも落ちぶれていくことはないだろうと。

安定的衰退よりショック療法的変化の方が、日本が成長の踊り場を抜け出す好機(必ずしも経済的な意味だけではなく)なんじゃないかと感じます。




SNS等の影響で情報の流れが以前とはかなり違うので、目立つビジュアルや大きな声だけインプットしているとかなりカオスに感じますが、
少し冷静に見渡すと「ひたすら全力で嘆きまくって疲弊している人たち」と「次に来るであろう変化を狙って静かに爪を研いでいる人たち」がいる気がします。
(もちろん他に、よりニュートラルな立場、すなわち「基本的には流れに身を任せる人たち」がたくさんいると思いますが)

それぞれ自分にあった身の振り方をしてもらえれば良いと思いますが、シンプルに考えれば「次に来るであろう変化を狙って静かに爪を研いでいる人たち」がポストコロナで優位に立つのでしょう。

肝心の「ポストコロナ」がいつ来るのか分からないという難しさはあるので、最低限のメンタル強度がないと厳しい面はあるかもしれませんが。

「未来の不確実性」への耐性は、本当に個人差が大きいと感じることが多々あります。

ちなみに、自分の感覚としては、偉い人がビックリなことを言ったりやったりしても天災と全く同種のものに感じるので、特に強く憤りを向ける対象にはなりません。

勿論これは「政治家の失言とかにいちいちイラついて文句言って、みんな馬鹿だなあ」というやつではありません。

あくまで適不適の話。

僕があまり憤るのに向いているタイプではないだけです。

そもそも、社会の中で「憤り」を明確に表現する人は必要だと思っています。

子供に対し、親が怒ってみせて「こういうことをすると人は怒るんだよ」と体験的に教えるのと同様、何をすると人が憤るのかというのは理屈ではなく「憤り」そのものでしか伝えられないことだと思います。

ただ、僕よりもっと適した人がしっかり憤ってくれているので、わざわざ僕が憤るまでもないな、という感じです。

僕はその分、楽しく能天気に生きていきます。





余裕がなくなり視野が狭くなると陥りがちなのが「少しでもかかわった人も一緒くたに罰する」という発想。

誰でも気軽に発信者になれるSNS時代という土壌にコロナ禍が被り、そこに五輪関連不祥事がダメ押しする形であちこちに蔓延っていると感じます。

ストレスにさらされ続けると脳の機能は低下しますが、結果として至るこの発想は負のスパイラル直行のかなり危険な状況と思えるものです。

しっかり本質を見て区別して解釈する意識を持たなければ、今回の五輪でより色濃く炙り出された病巣の範囲を見誤ってしまう気がします。

 

本当によく目を凝らし解像度をあげなくてはいけないと感じます。

「考えるな、感じろ」ではなく、普通に「もっと考えろ」だと思います。




アスリートは勿論ですが、他にもただ純粋な気持ちで五輪を盛り上げ広く感動を届けたいと思っていた多くの人たちにとって、今回の五輪に至るまでの状況は本当につらいことばかりだったのだろうと思います。

心が折れかけたり、心が折れてしまった人もいたでしょう。

だからこそ、そういった人たちには、いつも以上の強いエールが贈られるべきだと思います。



すべてが白、すべてが黒というような極端な発想は、おそらく生産的な結果に繋がらないでしょう。

時代錯誤な偉い人たちは最大限非難されるべきだと思いますが、だからと言って「五輪にかかわった」というだけで無闇にすべてを非難していく空気を肯定することはできません。





まとまりなくいろいろ書きましたが、僕はオリンピックとか結構好きなタイプなので、世の中が楽しく盛り上がれたら良かったのになと率直に思います。


オリンピックそのものに対し複雑な感情を抱くことはもはやどうしようもない部分だと思います。

しかし、せめて選手たちには無条件の応援を向けたいものです。

世の人々がしばしの停戦協定で矛を収め、オリンピックとオリンピアンを分けて考えるクールさを取り戻し、少しでもポジティブな何かが見出せたら良いなと思います。



というわけで・・・

フレー! フレー! ニッポン!!



(以上。夏休みの宿題で、東京2020オリンピックについて書くことになった学生の気分で作文してみました)





sho