いまさら「AKIRA」を見ました。
須々木です。
先日、そのうち見なければと思っていた「AKIRA」(劇場アニメ)をようやく見ました。
というわけで、例によって、思ったことをまとまりなくつらつらと。
※ストーリーそのものには触れないので、ネタバレはないです。
まず、シンプルな感想を。
公開当時にリアルタイムで見た人とは全然違う感覚だと思いますが、時代が変わったとしても、作品の持つエネルギーや本質的価値は全く損なわれない、本当の意味で物凄い作品だなと思いました。
質量、熱量、存在感・・・いろいろなものが圧倒的でした。
圧倒的すぎて、狂気と言っても良いレベルで。
「2020年東京オリンピック」というのは、ネットなどでも話題になりましたが、作中でも現実でも、それを平和に無難に迎えることはできず。
作中における「2020年東京オリンピック」は、第三次世界大戦後復興期ということで、現実の「2020年東京オリンピック」よりは、「1964年東京オリンピック」に近いものだとは思います。
ただ、制作された1980年代当時の感覚をもって、30年以上先の未来を想像して描かれたと考えると、いろいろ興味深い気がしてきます。
技術革新を重ね清潔感と秩序を保った調和的な未来・・・などというものとは真逆。
あらゆるカオスの中、あらゆる不満を抱え、それでいて―――というよりは、だからこそ爆発的な生命力を感じさせる。
(このあたりは、村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」に近いものを感じました)
健全な成長とは言い難いけれど、無気力・無関心・無感動のドツボにはまることなく生きる若者たちの外向きのエネルギーは、1980年代であれば、当然であり、日常であり、何より普遍的だと思えたのでしょう。
だから、思い描いた「30年以上先の未来」にも、その雰囲気は確かに息づいているはずだと。
しかし、現実は結構違う方向に転がっていきます。
「制作してからそれなりに経過している作品の中で描かれる未来」では、インターネットの有無というのが決定的な違いを生んでいる気がします。
AKIRAもそうですが、攻殻機動隊、エヴァンゲリオンなどでも、ストーリーは、制作している時点から見て未来の世界で展開していきます。
ブレードランナー(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?)、ニューロマンサー、マイノリティー・リポート、バック・トゥー・ザ・フューチャーなどでも同様。
制作時期が、インターネットが普及し始めるタイミングと比較してどうだったかにより、影響の度合いは異なりますが、だいぶ昔の作品でも、インターネットに類するものが登場する作品がいくつかあるのは驚きです。
「AKIRA」では、科学技術の進歩は見られますが、インターネット的なものは存在していません。
よって、インターネットが人々の価値観にもたらした不可逆的な変化については、捉えられていません。
ただ、だからこそ、現実におけるインターネットというもののインパクトを改めて感じることもできます。
そして、「インターネットのない世界で価値観を構築した世代」、「インターネットが社会を変えていく様をリアルタイムで体験した世代」、「生まれたときから当然のようにインターネットがあった世代」の間にある断絶は、とてつもないものなのだなと改めて感じました。
これは言語の違い以上の強烈な断絶で、多様性と声高に叫ばない限り、一つの社会を形成し機能させること自体に支障をきたすものだなと。
「AKIRA」は、物凄く力強い作品だからこそ、現実に辿った世界と並べて、比較し語ることができる気がします。
並べてみたとき、インターネットの有無の他にもう一つ、決定的な違いを感じたのが、社会の中を占める若者の存在感です。
人口比率的に、今と比べ圧倒的に若い世代が多かった当時の空気がダイレクトに反映されているように感じます。
しかし、現実の現在は、留まることを知らない少子高齢化の渦の中。
社会全体の活力という意味では、どうしても若者が多い状態と比べれば、劣ってしまいます。
これは、自然の摂理であり、それが良いとか悪いとかいう以前の問題として。
一方で、現在年輩の方々にとって、AKIRAの世界の空気感は、よりリアルな感覚で、きっと懐かしいものなのでしょう。
「最近の若者は・・・」と思わず口をついて出てしまうのも無理はない気がします。
若者がエネルギーの塊というのは、古今東西で揺らがないものだと思いますが、そのベクトルは、全然違うものになってきた気がします。
「AKIRA」の世界で若者たちが常に社会に対する不満を全身で表しているのは、社会に対する興味の裏返し。
自分たちは社会に繋がっているし、社会の一員だし、むしろ社会において自分たちこそが主人公だという感覚があるように思います。
対して、現在の若者は、モニター越しに社会全体を俯瞰できる(少なくともそう感じることができる)状況で、どこまでも傍観者であり、観客になってしまっている。
いつでも世界に対して発信できる全能感をもつ一方で、何をやっても相対化され、絶対的なものとして自分を認識することが困難な状況。
現実の2020年に、AKIRAで描かれた2019年を眺めると、両者のコントラストが、痛々しいほどくっきりと現れているように感じられます。
どちらが良いとか悪いとかではなく。
奇しくも、世の中は、世界規模で同時かつ急激に価値観の変革を迫られる重大局面に突入しかけています。
導火線に火がつき、チリチリ音を立てながら、デカい本体に近づきつつあるイメージです。
コントロールできないカオスの中でどうあるべきか。
そんなことが、一人一人に問われる時期に入るのかもしれません。
そして、そのような思索に耽るとき、「AKIRA」という作品は、一つの取っ掛かりを与えてくれるような気がします。
というわけで、時代が変わり、価値観が変わろうと、その時々において新たな意義を提供できる凄い作品だと感じました。
どこまでも力強い、破壊と再生の物語に、感服です。
sho