年度の終わりですねー。 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

年度の終わりですねー。

須々木です。


気が付けば、年度が切り替わるタイミングとなってしまいました。

世界がなかなか劇的なことになっていますし、さらにそれが自分たちの日常まで侵食していくという今日この頃。

落ち着いて年度を振り返るという気分でもないので、今この時に思うことをまとまりなく書いておこうと思います。

情報感度や情報源、情報入手頻度などにより、各個人の認識にかなりの差があると思いますが、以下、あくまで個人的所感です。

個人的所感ですし、全体的にハッピーな内容でもないので、その点はご了承ください。








食らえ文字の壁!


ウイルスは菌ではないので、生き物がもつ複製システムに割り込みをしない限り、勝手に増えたりすることはできません。故に、人なき場所にコロナウイルスが増殖する余地はありません。ワクチンなど有効な手立てのない現状、人間にできることと言えば、このウイルスの特性をよりよく知り、移動の制限や物理的接触を極限まで減らすことのみ。様々な自由を享受する国や地域で生きてきた現代人にとって、これは個人としても国としてもなかなかのストレスとなります。

先の大戦を招いたブロック経済の否定に端をなす「ヒト・モノの自由な移動」のネットワークは、ウイルスに対しあまりに脆弱です。ウイルスという存在にすら気付くことのできなかった100年前のスペインかぜのときと比較し、遥かに発達した科学は強力な武器ですが、人口増加や都市集中化の進んだ現代では、パンデミックのリスクが下がったとはとても言えません。

世界が悲劇的な局面に突入しつつあることは、もはや疑いの余地がないわけですが、問題はいつ脱するのか。いわゆる「インフォデミック」により、悲観論楽観論が日々ぐちゃぐちゃに入り乱れていますが、収束に至るシナリオにはどのようなものがあるのか。

そもそも新型コロナの厄介な点は、「新型」である点。新型ゆえに、もともと免疫を持っている人はなく、人体がもつ防御機能は即座に機能せず、場合により致死的なダメージを受けることになる。
それに対処するのがワクチンであり、ワクチンの集団接種により基本再生産数をさげることが重要になるが、肝心のワクチンの登場がいつになるのかは、実際のところよく分からない。火事場の馬鹿力で思いのほか早く完成するかもしれないが、それでも今日明日の話ではない。そして、そもそもワクチンができるのかは分からない。実際に、エイズウイルスのワクチンは、人類が叡智を結集してもなお完成には至っていない。東京五輪の延期を来年としたのは、有効なワクチンが完成し接種が可能な状態になるだけの時間を確保するという判断もあったことと思うが、「それまでには完成しているだろう」という見込みを楽観的と捉えるかは個人の感覚によるかもしれない。

仮に有効なワクチンを近いうちに手にできなかった場合、どのようなシナリオがあるのか。イギリスのジョンソン首相が非難を浴びた「感染による集団免疫獲得戦略」が、現実的な話となってくる気がする。多くの人が感染して抗体をもつことができれば、集団内において感染の勢いが下がり安定化に向かうという発想。ただ、新型コロナでは、感染者のうち一定数は死ぬことになる。つまり、この戦略は、多くの犠牲の受け入れを強いることを意味する。「腹をすかせた猛獣の檻の中で、猛獣が満腹になるまで生きていた人が勝ち」みたいな戦法を積極的に受け入れることは難しい。しかも、感染の勢いを調整できれば多少マシかもしれないが、医療崩壊を伴って推移すれば、目も当てられない。そして、さらにネガティブに言えば、感染してできた抗体がいつまで有効なのかよく分からない。抗体ができたとしても、その抗体の力が比較的短期間で失われてしまう場合、再び感染してしまう状態になってしまう。感染の連鎖を止めることにはつながらない。

「ワクチン戦略」でも「感染による集団免疫獲得戦略」でもネックとなるのが、ウイルスの変異。新型コロナウイルスの設計図であるDNAは、コピーされるときわずかなバグが生じうる。ランダムな変異は、時に毒性を高める最悪な進化へとつながることがある。これが100年前のスペインかぜであり、流行の第一波と比べ第二波、第三波は甚大な被害を招いた。せっかく完成したワクチンが効かないような変異、せっかく体内にできた抗体が効かないような変異というのは十分起こりうる。このような変異は、感染が繰り返されるほど発生する確率が高くなるわけなので、医療体制の整っていない発展途上国での爆発的感染は、リスクを大幅に高めることになる。

ここまでのシナリオも相当ひどいものだが、確率的には、ここまでのパターンですら止まらないということもありうる。ワクチンもできず、感染による集団免疫も無力というパターン。ただ、それでも必ず流行は終わる。歴史をひも解くと、過去数百年で複数回の大流行があったペスト(黒死病)では、特にヨーロッパが壊滅的なダメージを受けている。ひどいときには域内で過半数が亡くなった可能性もあると言われるが、この猛烈な大流行は、感染する対象である人間が減り過ぎたために収束した。疫病は、生きた人間が一定以上の密度で存在しなければ発生しない。あまりに死に過ぎれば、感染は自然と収束する。

ホモ・サピエンスというたった一種類の生物が、地球という限られたスペースに数十億も存在する異常な状態を是正するためのメカニズムなのかは分からないが、人口密度が高ければ、環境は破壊され、飢饉が発生し、戦争が発生し、疫病も発生する。人類はこの自然の摂理に抗うように、科学技術を発達させ、社会システムを整備してきた。これらの様々な特効薬で、“人類を減らそうとする自然の圧力”をやり過ごしてきたわけだが、ものには限度があるということなのだろうか。

正直言って勘弁して欲しいが、関東大震災、東京大空襲に続く首都の惨状をリアルタイムで見せられてしまう可能性は、現実的に起こりうる確率の話だろう。少なくとも、宝くじで一等を当てるよりは遥かに高い確率のはずだ。東京圏より面積は広く人口は少ないニューヨークで進行する惨状の後追いをしないため、何か手はあるのか。坂道を転がりだしたら、行くところまで行ってしまうというのは、すでに理解されているはず。大きなシステムを内包する社会において、秩序を保ちつつ、不確実性の高い異常事態に対抗することの難しさを感じる。

今はまだ目前に迫る惨状を避けることに全力を尽くす段階なので、あまり話題にあがらないが「ポスト・コロナ」の世界はどうなっているのか。「ポスト・コロナ」の世界で、「本当に怖いのはウイルスではなく・・・」とならないように願いたいところ。

世界の経済大国は現時点で、すでにかなりの深手を負っているが、収束はまだ先のことであり、底がどこにあるのかすら全く分からない状況。結局、一番傷が浅くやり過ごせた国が、国際社会において存在感をアップさせるのかもしれない。なるほど、確かに“戦争”だ。世界最高の医療技術を持ちながら脆弱な医療制度というアキレス腱をもつアメリカが、最大の痛手を負う可能性は決して低くない。対して、強権的な政策をとりやすい中国やロシアが比較的浅い傷で耐える可能性も十分ある。ヨーロッパは、難民流入問題に続く機能不全でEUの存在意義を問いなおすことになるかもしれない。結果として、不和の間隙をついた中国の策略で空中分解する可能性すらある。長く覇権国家として君臨したアメリカと、基本的に歩調を共にしてきたヨーロッパが勢いを失い、中国やロシアが力を増す可能性は低くない。(ロシアは、地球温暖化により、広大なシベリアと北極海の開発に手を出せるようになれば、国力は増大するだろう)人類史におけるパンデミックは、多くの国家を滅ぼしてきたが、現代においても、パワーバランスを変え得るインパクトをもつだろう。多くの国が破綻すれば、シリアやイラクと同様、過激なテロ集団を生むことになるかもしれない。特に、アフリカで多くの国家が破綻し不安定化すれば、中国が動く可能性も十分高いだろう。合法的に21世紀型植民地政策が展開されるかもしれない。中国の習近平とWHO事務局長でエチオピア人のテドロス・アダノムの蜜月は、正直言って不気味である。情勢の不安定化、パワーバランスの変化は、新たな世界秩序を構築するべく、戦火を伴う大戦への圧力を高める。

一方で、新型コロナの第一波を乗り越えた中国が、第二波の直撃を受ける可能性もある。中国は、経済発展を押し進められなければ、背中から人民にナイフで刺される可能性のある国家。経済的にどうしようもない状況になり、反政府運動が広がる可能性は、十分あると言えるだろう。そもそも中国大陸で長く安定して国家が存在しているイメージはあまりない。中華民国→中華人民共和国→中華民国などというパターンも絶対ないとは言えない気はする。


アメリカ、ヨーロッパが壊滅し、中国、ロシアが凌げば、個人の自由を至高のものとする価値基準は変革を迫られるかもしれない。大きな政府による管理社会が、新世界のスタンダードになるのか。近年の情報技術の急速な進展を見るに、管理社会を構築するだけの材料は、十分揃っていると言える。グローバル社会を忌避する勢力が台頭する可能性もある。パンデミックは、今回の新型コロナだけとは限らないわけで、必ずしも短絡的な発想でもない。自由に行き来できる権利は、パンデミックのリスクを負ってもなお守らなければいけないことなのかと。

フェイス・トゥー・フェイスなしに成立する社会システムへの変革はいずれにしても進んでいくのだろう。やがて、リアルに会うこと自体が、ある種の贅沢になっていくのだろうか。自分の肉体をリアル世界において移動させること自体が、環境負荷を高めることに繋がり、疫病発生を招くとして、避けられることになるのだろうか。

一方で、もし仮に、ここまでつらつらと書いたすべてが杞憂に終わり、被害を最小限にとどめて「ポスト・コロナ」を迎えることができれば、日本としては、「災い転じて福となす」となる可能性もある。避けられなかった犠牲を悼みながら、東京五輪と大阪万博はやってくる。共通の悲劇を乗り越えた末に迎える世界的イベントは、ただの五輪やただの万博ではない。日本の今後を左右する岐路になるかもしれない。


以上、前置き。








・・・などと、いろいろ思いを馳せるのも悪いことではないと思います。

ただ、個人が手を伸ばせる範囲は限られているし、だからこそ現状はシンプルで、結局「引きこもりは正義!」なんでしょう。

引きこもるだけで社会貢献できる珍しいタイミングなので、ここは素直に引きこもって、読書したり漫画を読んだりゲームをしたり映画を見たりアニメを見たりするのが良いと思います。

そして、浴びるようにインプットして飽きてきたら、アウトプットすると良いでしょう。

創作ですよ!

安定して充足感に満ちた状態では、なかなか創作意欲が湧かない人も多いのではないでしょうか。

だとすると、今はまさに、“創作のための時間”!

・・・というわけで、僕もいろいろ創作をば。









sho