『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』見ました。
※遠慮なくネタバレしますので、ご注意ください。
須々木です。
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(原題:Star Wars: The Rise Of Skywalker)を見てきました。
いわゆる「エピソード9」であり、「スカイウォーカー・サーガ」を締めくくる完結編と銘打たれたものです。
ディズニーによる3部作のはじまりである「エピソード7」の感想ブログでも、つらつらと書き殴りましたが、今回も同様のノリで書いていこうと思います。
ところで、「エピソード8」についてはブログを書いていなかったようだ。
「エピソード7」の感想を書いたときには、その後に2作控えていたので、「この先どうなるのか」という気持ち込みの内容でしたが、今回は完結なので、完結したものとして書いていきたいと思います。
さて、いきなり身も蓋もないことを書きますが・・・
STAR WARSは、ジョージ・ルーカスの脚本が却下された時点で、すでにただの贅沢な二次創作。
かつてアンデルセンの人魚姫をディズニーテイストの作品にしたのと同様、STAR WARSを素材としてディズニー作品をつくったに過ぎない。
もちろん、彼らはSTAR WARSのファンであり、全力でSTAR WARSをつくろうとしたと思いますが、無理なものは無理。
トールキンの「指輪物語」を「ロード・オブ・ザ・リング」にするのとはわけが違う。
時代も媒体も違う状況であれば、新たな作品として見ることができるでしょう。
しかし、STAR WARSは、映画→映画です。
例えば、ゴジラシリーズは、すでに何人もの手によって解釈されなおし、制作されることが宿命づけられた存在なので、これもまた別次元。
一本の筋があり、その一本の筋から分岐したサイドストーリーを語るのであれば、まだ可能性はあったと思います。
しかし、メインのキャラクターたちをまとめて引き出し、続きを語ろうとした時点で、その語り手はルーカス意外にはありえなかった。
それがたとえ、多くの人の批判を浴びるような駄作になったとしても、そうであるべきだった。
―――というのは、今更、ここで書き連ねていってもしょうがないことだと思うので、こんなもんで。つくりはじめてしまったものは、もうどうしようもない。
今回、「エピソード9」を見るにあたり、「エピソード1」から「エピソード8」まで、はじめて時系列順に見返してみました。
すでに見知ったものを、改めて落ち着いて眺めながら、ふといろいろ考えさせられたわけですが・・・
ちょっと興味深かったのが、「ルーカス・スター・ウォーズ」って、6作ともスッキリ終わるんですよね。
いわゆる、ヒキの演出が入らない。
続編を作ることがほぼ確定している作品でも、最後はヒキにならない。
それに対して、「ディズニー・スター・ウォーズ」のエピソード7、8は、あからさまなヒキで終わっています。
「ルーカス版」と「ディズニー版」で、見た後の感覚が違うように思っていましたが、結構この「ヒキの有無」は重要な要素という気がします。
興行的にはあった方が良いのかもしれませんが、個人的には、STAR WARSではナシでスッキリが良いと思うんですけどね。
ところで、「エピソード8」のヒキに相当する、最後に子どもがフォースを使う場面は、特に「エピソード9」に繋がるわけでもなく。
「ジェダイ以外にもフォースは使えたりするんだよー」というのを示すための場面だったんでしょうか。
「ディズニー版」では、ポリコレも話題になりました。
ポリコレは、創作において一定程度考慮されるべきという気はしますが、あからさますぎるのは、やはり作品にとってプラスには思えません。
そもそもSTAR WARSは、人種が多様という以前に、種族が多様なのであって、現実世界のポリコレの価値観を持ち込むくらいなら、STAR WARSの世界におけるポリコレを考えて反映させてほしかったです。
ポリコレを無視せよとは言わないので、せめて作品世界に馴染ませてほしかった。
ポリコレの尊重と創作世界の豊かさが、相反する概念にならないよう、もう少し頑張って欲しかった。
余談ですが、シスの側がだいたい人間なのは、皇帝が人間であるためだとか。
「ディズニー版」は、以前のシリーズと比較し、より等身大の人間の感情を描こうとしている気がします。
妬みとか葛藤とかと無縁な存在としてのジェダイ本来の姿から少し距離をおき、人間らしさがより前面に出ている気がします。
ただ、一方で、親子の情愛を信じダース・ベイダーをアナキン・スカイウォーカーに戻し、父子で真の敵を滅ぼした「エピソード6」のラストに対し、「エピソード9」では、結果的には、単純に孫娘が心通わせる余地なく祖父を滅ぼした結末となっているのは、皮肉なものだなとも思います。
ここまでネガティブなこともそれなりに書きましたが、特に「エピソード9」については、かなり満足できる作品でした。
創造主たるジョージ・ルーカスの描く「スター・ウォーズ」に迫ることはできなかったとは思いますが、代わりに、「スター・ウォーズ」を愛する多くの人たちが力を最大限結集した作品として見事な完成度だったと思います。
この制作体制としての強みを可能な限り活かし、やれるだけのことはやったというのが伝わってきました。
各キャラクターも尻上がりで良くなってきたと思います。(正直、最初の印象はどれもかなり微妙だったが)
パルパティーンをラスボスとしたのも、ある意味で潔い。(もちろん、いろいろ唐突感はあるが、そこは力押し)
最後のエクセゴルの戦いは、あそこまでやれば、さすがに圧巻というほかないです。
「ディズニー版」3作から登場したキャラクターたちは、「ルーカス版」6作のキャラクターたちが個々にもっていた強いインパクトを放っていなかったように感じます。
代わりに、より普通に感じられる多くのキャラたちが、銀河の命運をかけて奮闘してきたわけです。
「ジョージ・ルーカスという一人の偉大なクリエイターの手によって生み出された6作品」と「次代を継ぐ立場のクリエイターたちが力を結集してつくり上げた新たな3作品」の関係と、どこかで重なるところがあるように思えます。
というわけで、みんなで頑張り力を合わせ、希望に満ちたエンディングを迎えることができました。
物語が描かれ始めてから、作中でも現実でも、数十年の時間が経過しています。
技術革新、ライフスタイルの変化、価値観の変化・・・現実世界もたえずアップデートされています。
つくる側も見る側も、作中で描かれる側も、このアップデートの宿命から逃れることはできず、やがてこの「エピソード9」に辿り着きました。
その辿り着いた場所として、すなわち、9部作のラストとして(人により評価は様々だと思いますが)満足感十分の、良いエンターテインメント作品だったと思います。
sho